拒まれた腕


 突き飛ばされるような衝撃が、エフィーの肩を走り抜ける。突然の事にエフィーは均衡を保つ事が出来ず、勢いに任せて地面へと転がった。同時に、金属同士をぶつけ合うような高い音が響いた。

「何が……?」

 地面へとうつ伏せに倒れたところでエフィーは顔を上げ、音のした自分のいた場所に視線を向ける。空色の瞳が映し出したのは、アジェルが一対の短剣で細身の長剣を受け止めている場面だった。
 アジェルは短剣を交差させて受け止めた刃を弾き、エフィーを背に庇うように横に飛んだ。
 最初、エフィーに刃を向けたのであろう相手は、灰黄色の外套を身に纏った人物だった。目深にフードを下ろしているので、その表情は伺えない。だが、フードの隙間から垣間見える口元には薄い笑みを浮かべていた。

「エフィー、下がってて」

 相手の動きから目線を逸らさずに、アジェルは短くそう告げると、再び切り込んできた人物の刃を今度は片方の短剣で受け止め、空いたもう一つの刃で相手に素早く切りかかる。長剣を持った人物はアジェルの攻撃を易々と背後に飛んで交わした。アジェルは攻撃の手を緩めることなく、再び切りかかると同時に腰を落とし、足払いを仕掛ける。しかし、それも予測していたかのように相手はアジェルの刃を剣で受け止め、力任せに弾き身軽な動きで足払いも避けた。
 一進一退の素早い攻防を目の当たりにしてにエフィーは唖然とする。
 一体何が起きているのか、理解できなかった。
 突然襲われた理由も。それに素早く反応し攻撃を始めたアジェルも。
 どうして良いか分からず、エフィーは立ち上がりながら二人のやりとりに視線を走らせた。
 二人の動きはまったく無駄が無く、互いに次の手を知っているかのように刃を交わす。その様はまるで剣舞でも踊っているかのようだ。
 アジェルが短剣を一振りすれば相手は避け、そのまま流れるような動きで攻撃に転じる。アジェルも負けてはおらず、両手の短剣を美しい弧の軌道を描いてなぎ払う。一歩踏み込んでは軽快に刃を振るい、相手に攻撃の機会を与えない。
 徐々にアジェルが押し始めていると感じたエフィーは、立ち上がり、己の背の長剣を鞘から抜き放つ。いつでも加勢できるようにと構え、二人のやり取りを見つめる。

「何のつもり?」

 細身の剣の突きを軽く避けたアジェルは、灰黄色の外套を纏った人物に問いかける。
 しかし相手からは返事が無く、返るのは鋭い刃の一撃のみ。
 アジェルは小さくため息を吐いて、再び深く腰を下ろして強く地面を蹴った。
 瞬く暇も無いほどの速さでアジェルは相手の背後に回りこむと、肘鉄をわき腹に叩き込む。一瞬だけ相手が怯む。それを見逃さなかったアジェルは続けて足払いをかけた。すらりと伸びた足が相手の足元を掬い、均衡を崩した灰黄色の外套の人物に追い討ちをかけるように、細身の剣を握っている右腕を蹴り上げる。細身の剣はアジェルの望み通り相手の手元から離れ、少し離れた場所に回転しながら落ちた。同時に、足元の均衡を崩された相手は、しりもちをつくように地面に転がる。外套を纏った人物が素早く立ち上がろうとしたところで、アジェルは短剣の切っ先を相手の喉元に突きつけた。

「何のつもりだって聞いてるんだ……――レイル」

 港から吹き込んできた潮風が、強く吹き抜ける。丘の上の木々がざわめき、芝生の草が横凪に揺れた。
 同時に、灰黄色の外套のフードがふわりと風に揺れて脱げた。
 目深に被っていたフードに隠されていたのは、アジェルに良く似た少年だった。
 癖の無い髪は紅の夕日を受けて燃えるように輝き、風に遊ばれてさらさらと流れる。色素の薄い肌と瞳はアジェルと瓜二つと言っても過言ではない。それほどまでに、二人は良く似ていた。相違点を挙げるならば、アジェルは額を隠していないのに対して、レイルと呼ばれた少年は額に緑色のバンダナを巻いている。それが淡い金色の髪に良く映えていた。
 もう一陣風が吹き抜けた。
 レイルは静かに瞳を閉ざすと、口元にだけ笑みを浮かべた。

「本当に……生きてたんだな」

 アジェルの問いかけには答えず、自分に聞かせるようにレイルは言葉を零した。
 その声は、氷の城で出会った少年と同じものだった。エフィーの思い違いではなく、やはり彼こそが古代神の後継者たる神族の少年だったのだ。

「アリア」

 知らない名前がレイルの口から発せられ、エフィーは不思議そうにアジェルに視線を向けた。見つめた先のアジェルの表情からは、一切の感情が抜け落ちていた。人形のように無機質で凍てついた仮面を貼り付けている。背筋に冷たいものが伝うほど、今のアジェルは人ならぬ存在に思えた。

「その名前は嫌い。俺はアジェルだよ」

「どっちでも構わない。生きてたなら、それでいい」

 感情を押さえつけているようなアジェルとは逆に、レイルの表情は優しげだった。再会の喜びか、口元が綻んでいる。
 そんなレイルに気を抜かれ、エフィーは構えていた剣を背の鞘に戻した。
 突然襲ってきた理由は分からなかったが、ようやくレイルに出会えたのだ。
 一つの目的が叶い、エフィーは喜びに気持ちを高ぶらせる。しかし、そんなエフィーを一瞥したレイルは、冷笑を浮かべた。

「――後ろの、どうして庇うんだ? 殺せば良かったのに。分かってるんだろう?」

 レイルから発せられた一言に、エフィーは表情を凍らせた。唖然として、アジェルとレイルを交互に見やる。アジェルは一度だけエフィーに視線を向けた。その表情はどこか申し訳ないとでもいうように見える。しかし、すぐにまた凍てついた仮面を顔に貼り付かせたアジェルは、レイルの言葉を否定した。

「分かってる……――でも、殺さない」

 何の事を言っているのか理解できず、エフィーは狼狽える。

「相変わらずなんだな」

 くつくつと喉の奥で笑い、レイルは喉元に突きつけられた短剣を緩く腕でどかす。
 レイルに殺気がないと思ったのか、アジェルも短剣を指輪の形に戻した。
 それでも殺伐とした空気が消えない次の瞬間、立ち上がったレイルは素早く拳を固めアジェルの鳩尾に渾身の一撃を叩き込んだ。唐突の事に反応できなかったアジェルが、くぐもった悲鳴を上げる。しかし、それも一瞬の事で、アジェルはレイルの腕の中に倒れ込んだ。

「っな!? アジェル!」

「寄るな」

 レイルの奇行に驚いたエフィーは慌ててアジェルに駆け寄ろうとするが、レイルの鋭い一言で足を止めざるを得なかった。
 レイルは落ちていた剣の方に手をかざす。すると装飾細やかな細身の十字の剣はレイルに引き寄せられるかのように宙に浮き上がった。そのままレイルの手中まで浮遊し、レイルは近づいた獲物を手に取る。そして剣の切っ先をエフィーに向けた。
 エフィーは鋭い視線で睨まれ、思わず震えそうになる足に力を込めた。

「どうして……アジェルを……?」

 レイルの腕の中で動かなくなったアジェルを見つめ、エフィーは動揺したまま問いかける。
 しかしレイルがその問いに答える前に、異変が起きた。
 微かに地面が揺れている。それに気付いたエフィーは足元を見つめた。気のせいではなく、次第に激しくなる揺れが地震だと理解した頃には、揺れが一層激しくなっていた。

「っうわ!」

 立っている事ができずに、エフィーはその場に手をついてしゃがみ込む。
 レイルとアジェルの方を見やれば、レイルは空を仰いでいた。
 飛ぶつもりなのかと思ったエフィーは、次の瞬間、己の予想が甘いものだと感じた。
 空から何かが落ちてくる。
 雨のように幾重にも重なる白い光。それはレイルとアジェルに向けて落ちてきた。
 光が大地に当たった刹那、光が弾け、地面が吹き飛ばされて地響きが一層増す。気付くと丘の地面に亀裂が入っていた。その亀裂を更に深くせんとばかりに、光の雨は容赦なく降り注ぐ。
 レイルとアジェルがどうなっているのか、光の雨に遮断されてエフィーの肉眼で捉えることはできなかった。
 ただ地面の割れる音が続き、光はより一層強く激しく大地を叩き割る。
 嫌な予感がしたエフィーは、喉がつぶれるほど大きな声でアジェルの名を呼んだ。
 しかし答える声は無く、ついに丘が決壊する音がエフィーの耳に届いた。

「アジェル!」

 レイルの腕の中で気絶しているアジェルの安否が気になり、エフィーは光の雨の方へ這うように近づく。
 土煙と眩い光が視界を眩ませ、地響きだけがエフィーに状況を伝える。
 丘の横には渓谷があり、激流の川が流れている。
 アジェルは泳げない。もしも川の中へ放り出されてしまっては一大事だ。
 焦る気持ちを抑える事ができずに、エフィーは光の中へと腕を伸ばした。
 光はエフィーを傷つけることなく、透き通っていった。同時に雨のように降り注いでいた光が止む。
 エフィーは光が止んだ事を知ると、迷い無く土煙を上げているレイルとアジェルがいた場所に這い寄った。そして我武者羅に名前を呼び、手探りで二人の存在を探す。
 視界の利かない最悪の状況の中、いつ崩れ落ちるとも分からない丘の上でエフィーは温かな何かに触れた。
 それが人の一部であると確信したエフィーは、両手で力一杯掴む。しかし、それは次第に重みを増し、ついにはエフィーの両手で辛うじて捕まえられる状態になる。
 掴んだ人が崖から転落したのだと気付いた時には、エフィーの肩に二人分の重みがのしかかっていた。






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