拒まれた腕


 外は晴渡った気持ちの良い天気だった。
 海から流れてきたのだろう潮風がエフィーの濃い茶色の髪を優しくさらっていく。前を歩くアジェルの鮮やかな紫銀の髪も、風に遊ばれながら光を受け、水晶のように輝いて見えた。
 フェルベスの街道は綺麗な赤煉瓦で舗装され、港町らしく街道の両脇には様々な露店が人を呼び込んでいる。異国の布や服、アクセサリーなどを売っている店もあれば、海の幸を主体とした食品を売っている店もあった。
 ついついよそ見しがちなエフィーは、それでもアジェルの進む先をしっかりと追う。
 先ほど、エフィー達が宿を取った宿屋とは別の宿屋に訪れた。店主の話では、レイルらしき人は来ていないと言う。
 一軒目の宿屋では情報を得られなかったが、二軒目では確実に情報を掴める。そんな予感がしていた。アジェルも同じ考えなのか、二軒目の宿屋に向かう道を、いつもよりも早足で進んでいる。エフィーは置いていかれまいと、アジェルの後に続いた。
 道中、会話らしい会話はしなかった。
 アジェルはもともとあまり自分から喋る方ではないし、エフィーもフェルベスの町並みやレイルの事で頭が一杯だった。アジェルとレイルが再会した時には、兄弟という事もあり喜びを表すだろう。だが、初対面のエフィーはレイルに何を話しかければ良いか、それを必死に考えていた。
 アジェルが簡単な紹介と事情くらいは説明してくれるだろうが、その後エフィーはレイルに何と言おうか。
 考えても「始めまして、僕はエフィーです。いきなりですみませんが神界への道を教えてください」という直球の言葉しか浮かばない。ジュリアがいればフォローしてくれるだろうが、残念ながら今は同行していない。
 そわそわとするエフィーを一瞥しながら、アジェルはようやく目的の宿に辿りついた。

「エフィー、二軒目」

「え? あ、ここがそうか。いるといいね、レイル」

「……そうだね」

 そう呟いたアジェルは、愁いを帯びたように目を伏せる。まだ再会する事に迷いがあるのだろうか。温泉宿での会話を思い出し、エフィーは複雑そうなアジェルの様子に心を痛める。
 ――レイルを探すつもりできたのに、今は……会いたくないって思ってる――
 茜色の光が差し込む宿屋での、アジェルの本音を聞いたエフィーは、複雑な心境でアジェルを見やった。見つめた先のアジェルは、やはり戸惑いが隠せない表情をしていた。封印の森で出会った時の、無表情を仮面のように貼り付けていた頃よりも、アジェルは感情を表に出すようになっているように感じられる。

「アジェル、僕が先に宿屋の人に聞いてくるよ。ここで待ってて」

 まだ迷いが消えないアジェルを気遣って、エフィーはアジェルの横をすり抜けた。

「でも……」

「聞くだけだから平気。もしかしたら留守かもしれないしね」

 宿屋の扉を片手で押して、エフィーは単身宿屋へと身を滑り込ませた。
 木造建築の、質素ながらも暖かな雰囲気を持つ、少しだけ洒落た宿屋だった。年頃の少女達が喜びそうな、明るい暖色系等の帳やテーブルクロスが目を引く。家具や調度品はどれも丸みを帯びて、オブジェのように可愛らしくそこにある。ジュリアがここにいたなら「可愛い!」と喜びはしゃぎ出しそうな宿屋だった。
 宿屋の主人であろう中年の女性が、エフィーの訪問に気付き営業の笑顔を浮かべた。

「いらっしゃい。宿をお求めですか?」

 宿屋では聞きなれた言葉を女性が話すと、エフィーは申し訳なさそうに小さく首を横に振った。

「いえ、ちょっと人探しをしているんです。この宿にレイルというエルフは泊まっていますか?」

「レイル様? えーっと、ちょっとお待ちくださいね」

 女性は黒縁の大きな眼鏡をくいっと押し上げると、宿帳を開き、名前の羅列を目で追う。
 その様子を不安げに見つめながら、エフィーは次の返答を待った。

「レイル様……あ、いらっしゃいますね。綺麗な金髪の若いエルフの方ですよね? その方でしたら、一昨日から宿にお泊りですよ」

「本当ですか!?」

 ようやく目的が叶った事に心の中で歓喜する。
 しかし、ついにやけたエフィーの表情を凍らせる言葉を女性は話した。

「今日はお連れの方と一緒に朝から出かけてまだ戻ってきてませんね……。申し訳ないのですが」

 すみませんと付け加えて、女性はすまなそうに頭を下げた。

「えっと……、そうですか。じゃあまた出直してきます」

「宜しいですか? お待ちになっていかれても大丈夫ですが……」

 宿屋の食堂を手で指し、女性は小首を可愛らしくかしげる。
 だが、エフィーは外で待っているアジェルの意見も聞かないのは悪いと思い、「ちょっと連れと相談してきます」とだけ、伝えて宿を出た。
 宿屋の出口では、アジェルがエフィーの戻りを待っていたかのように、扉の隣に背を預けていた。丁度視線は扉に注がれていたので、出てきたエフィーと必然的に目が合う。
 エフィーは肩をすくめて残念そうに首を横に振った。

「ここの宿に泊まってるみたいなんだけど、今日は朝から出かけてるんだって。どうする?」

 簡潔に事情を説明して、アジェルの意見を仰ぐ。
 アジェルは視線を赤レンガの地面に落として、少し考える素振りを見せた。
 宿で待った方が確実にレイルを捕まえる事ができるだろうが、いつ戻るかも分からない相手を待ち続けるのも時間の無駄だ。かといって、むやみやたらに街を歩き回って探すのも、無駄が多い。宿に残してきたリューサや別行動中のジュリア達の事を考えれば、できるだけ早くにレイルに会いたい。

「……宿で待っても、戻らないかもしれないから、街を探そう」

 しばらく考えた後、アジェルは小さな声でそう呟いた。
 ほとんど同じ考えだったエフィーは異論する事なく、素直に頷いた。

「うん、時間的にもまだ明るいし、探しやすいかもね。待ち伏せしてたら、何か警戒されちゃいそうだし」

「まあ、多少は警戒してると思うけど、大丈夫だよ」

「じゃあ早速行こうか。見つからなかったら、またこの宿に戻れば良いんだし」

 意見がまとまったところで、エフィー達は再び街の街道を歩き出した。
 フェルベスは港町にしては少しだけ変わった地形をしている。
 山を降りたすぐ先の街だからかもしれないが、小高い丘が多数存在している。また、山の頂上から流れる巨大な川がフェルベスの小さな隣町との間に走っている。
 街へ着いた当初、宿への道を歩いていたエフィーは、川の激流に驚いたものだ。一部小高い丘が崖のようになっており、その下には激流の川がある場所もあった。そこには観光客であろう人々が集まっていた。見晴らしの良い場所なので、若い恋人達や旅人の憩いの場になっているのかもしれない。

「アジェル、どこから探す? 露店の辺りはさっき歩いてきたけどいなかったから、もしかしたら別の場所にいるかもしれない」

「そうだね……レイルは高い場所が好きだから、もしかしたら丘の方にいるかもしれない」

「丘? あ、街の東の方の……。じゃあそっちから回ってみようか?」

「ああ。見つからなかったら、もう一度ここに戻ってくれば良い」

 単調な声でそう呟くと、アジェルは左肩に背負った革鞄を背負いなおし、壁から背を浮かせる。そして街の東の小高い丘へと向かうべく、歩き出した。エフィーもそれに続き、一歩を踏み出す。
 一度宿屋を振り返ったが、街道を歩く人々が宿に入っていく光景は無い。待つより行動だと自分に言い聞かせて、エフィーは再び歩き出した。


◆◇◆◇◆


 丘まで辿り着いたのは、陽が傾き、茜色の光が丘を赤く染めた頃だった。
 道中、注意深く辺りを見回し、レイルらしき人物を探したが、それらしい人は見つからなかった。アジェルもエフィーと同じように辺りに探りを入れていたため、二人の足は宿に向かうときよりも随分ゆっくりとしていた。
 その為、目的の丘まで来るのに時間がかかってしまっていた。
 小高い丘の上は、人が数人いるだけだった。
 それもほとんどの人が沈む太陽を見つめた後、足を帰路に向けていた。
 エフィー達は互いに無言のまま、一番高い丘に登った。渓谷のように大地を裂いて走る川が見えるところまで着た所で、二人は足を止める。丘から見下ろせる場所に視線を走らせてレイルらしき人物を探すが、それらしき人影は無かった。
 エフィーは無駄足だったかとため息を吐く。ちらりと隣のアジェルを盗み見ると、赤い光がアジェルの髪色を紅色に染め上げ、別人のように見えた。アジェルは静かに瞳を閉じて、耳を澄ませているようだった。
 丘の上の背の高い木の枝葉が風に吹かれ、ざぁざぁと海の波のような音を奏でる。
 エフィーはアジェルの傍から少し離れ、辺りの様子をもう一度伺った。
 視界の端から端までを見渡し、新しい訪問者や帰路につく人々を見下ろす。

「やっぱり、ここじゃないみたいだな」

 残念とばかりに肩を落とし、エフィーはアジェルを振り返った。その刹那、アジェルが一際大きな声でエフィーの名を呼んだ。

「エフィー! 後ろ!!」

 叫ぶと同時に、アジェルはエフィーに向かって走り出す。左手には指輪から姿を変えた短剣が握られていた。

「え……?」

 状況が飲み込めないエフィーは、アジェルに言われるまますぐさま後ろを振り返った。
 そこで、風を裂く音が過ぎる。
 視界の端には赤い陽光を受けてきらめく鏡のような何か。
 それが鋭く細い剣だと理解するよりも先に、痛みがエフィーを襲った。






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