拒まれた腕
エフィー達が山の麓の宿を出発し、フェルベスへ辿り着いたのは、陽が高く上りきった昼過ぎであった。
まずは宿を取ろうと発案したラーフォスに全員が同意し、宿探しを始めた。以前立ち寄った港町のデューベルとは違い、フェルベスは比較的小さな街だった。フェルベスに三軒しかない宿の中で、最も港に近い宿を見つけることに、それほど時間はかからなかった。
宿での手続きを終え、皆が荷物を降ろして一息ついた頃には、日が僅かに傾き始め、夕食の買出しに忙しい町の者達が食品店を回りだしていた。
「やっとフェルベスね。レイルを見つけるのも、今日中に済んじゃったりするかもね」
ベッドに腰掛け、浮いた足を遊ばせながらジュリアは機嫌良く言った。
「そうだね。宿屋は三軒で、ここの宿にいないって事は別の二つを回ればいいんだもんね」
ジュリアに同意し、エフィーも機嫌よく相槌を打つ。
部屋を見回すとラーフォスやリューサも同じようにベッドに腰掛け、荷物の整理を始めていた。
だが、アジェルだけは部屋の端にある窓際に立ち、沈黙を守ったまま外を見つめていた。
肩にかける革鞄も下ろさずに、くつろぐ様子を見せない。
いよいよレイルに対面するのだ。エフィーと同じように、早く探しに行きたいのかもしれない。そう考えたエフィーは窓際のアジェルに声をかけた。
「ねえ、アジェル。レイル探しに行こうか」
その言葉に、アジェルは外に向けていた色素の薄い瞳をエフィーに向けた。
一瞬、口を開きかけたアジェルは、すぐに唇を閉ざし、小さく被りを振った。一度閉ざした瞳と唇が開いたときには、いつも通り無表情のエルフがそこにいた。
「良いよ。今から探せば、夕刻までには見つかると思う」
そう広くは無い町だ。まずは宿を当たって、出かけているようならばしらみつぶしに町を捜索すれば良い。
アジェルも同じ考えだったのか、エフィーに同意し、壁際に預けていた身体を浮かせた。
「あ、私も行きたいんだけど……」
エフィーも寝台から立ち上がったところで、ジュリアの控えめな声が上がる。
視線を向けると、ジュリアは申し訳なさそうに小さく右腕を挙手してエフィーを見上げていた。
「先に靴……買いに行きたいな、なんて。勿論、一人でも買えるから、エフィー達だけで先にレイル探してもらってもいいかな?」
町に着くまで、ジュリアはラーフォスの予備のサンダルを布で巻いて履いていたが、そもそもサイズが違うし、一時的な応急処置でしかない。フェルベスに着いたらジュリアの靴を買いに行くという事をすっかり忘れていたエフィーは申し訳ない気持ちに襲われた。
先にジュリアの靴を買いに行く方が良いだろう。
ちらりとアジェルの様子を伺えば、返答は任せるとでも言うように視線だけを流した。
「ジュリア、一人で行くなんて言うなよ。僕も一緒に行くから……」
そもそも、ジュリアの靴がなくなってしまったのは、ラーフォス以外の全員の責任だ。
優先順位を考えるならば、、ジュリアの要望を先に叶える方が良い。時間はまだたくさんあるのだから。
「いいよ、エフィー。アジェルだって、早くレイルに会いたいでしょ?」
「でも……」
珍しく健気なジュリアの様子に戸惑いつつ、エフィーは言葉を濁らせる。
どうするべきかはっきりしないまま、一瞬訪れた沈黙にラーフォスが助け舟を出した。
「じゃあ、ジュリアさん。私と一緒に靴探ししませんか? 丁度、色々と買い物もしたかった事ですし。レイル探しはアジェルとエフィーさんに任せて」
どうですか、と爽やかに微笑んでラーフォスはジュリアに答えを求める。
ジュリアは拒否する理由など無く、むしろ一緒に来てくれる人がいるのは嬉しいのですぐさま相槌を打った。
「本当!? 助かる。ラーフォスなら可愛い靴選んでくれそうだもん。じゃ、そういう事だから、エフィー達はレイル探してきてね」
「あ、うん。ラーフォスありがとう。リューサはどうする?」
一人会話に入らず荷物整理を続けていたリューサは、エフィーの声に顔をあげた。
「ん? あ、オレ? オレはそうだなー、宿で留守番してんかな。もしかしたら、すれ違いでそのレイルって人に会うかもしれんし」
レイルの外見的特長はリューサにもラーフォスが簡単に話している。
よほど記憶力が悪くない限り、間違える事はないはずだ。それに、すれ違いの可能性は決して低くはないだろう。リューサの言葉に甘え、エフィーは立ち上がった。
「じゃあ、リューサにお願いするよ。荷物も置いていくから、ついでに見ておいてもらっても良い?」
「かまわんよ。じゃ皆、気ぃ付けてな」
「こんなのどかな街で何かがあるとは思えないけどね」
「のどかだからって油断すっと、案外痛い目見ることになるかもしれないぜ? 長年の旅の先輩の言葉はきっちり聞いとけって」
そう言ってリューサは悪戯っぽく笑った。
忠告にしては軽い口調だが、年長者の風格かリューサの言葉を軽んじようとは思わなかった。
エフィーは小さく相槌を打って、リューサに言葉を返す。
「うん、気をつけるよ。デューベルでも痛い目にはあってるしさ。じゃあ、アジェル僕らはレイル探しに行こう」
エフィーは最低限の持ち物だけを持ち上げる。硬貨がいくらか入った小銭入れに使用している財布を上着の内ポケットに入れ、リューサの忠告を考えて父の大剣を肩にかける。
準備が整い、再びアジェルに視線を向けると、彼は黙ったまま荷物を肩にかけたままエフィーの傍まで歩み寄ってきていた。
「後は頼んだよ」
一言だけ呟くような微かな声で告げ、アジェルは宿の部屋の扉を押し開いた。
振り返りもせずそのまま出て行くアジェルに、エフィーは慌てて後追おう。
「あ、置いてくなよ。ジュリア達もまた後でな!」
勢い良くそれだけ言って、エフィーは宿の階段を下り始めたアジェルに続いた。
木製の扉が軋んだ音を立てて閉じられると、部屋の中の喧騒は一瞬にして消えた。
ラーフォスは訝しむように瞳を細め、扉を見つめる。しかしそれもほんのひと時の事で、すぐにジュリアに向き直ると「私たちも出かけますか」といつもの優しげな笑顔を浮かべた。
「うん、こんどは丈夫な靴がいいよね。どんなのにしようかなー」
買い物気分で浮かれている少女は、巨大な荷物の中から小さな布製の手提げ鞄を取り出し、そこにサイフを入れて立ち上がる。
「リューサ、ミストも見ててもらって良い? 街で迷子になっちゃうと困るから」
ジュリアの寝台に寝そべっていた小さな小竜は小さく鳴くと、再び柔らかな寝台の毛布に顔を埋めた。
「了解〜。お前らも遅くなる前に帰って来いよ」
一人留守番役のリューサは、宿を出て行こうとする二人に軽く手を振って見送る。
「うん、夕刻までには帰るよ。じゃ、ラーフォスも行こっ」
ラーフォスの繊細な手を握り、嬉しそうにジュリアは扉を開いて宿を出て行った。
その後姿が見えなくなるまでリューサは手を振り続けていたが、部屋の扉が閉まると同時に小さな小竜を見つめる。
小竜は閉ざされた扉の前に移動していたが、開かないと理解すると悲しげに一声鳴いた。
「お前もオレと一緒に留守番だ。ほらナッツ食うか?」
袋から取り出した木の実をちらつかせて小竜を誘う。しかし、ミストはつまらなそうにジュリアの寝台まで戻り、再び毛布に顔を埋めた。
つれない態度にカチンときながらも、久々ののんびりとした一人の時間をリューサは満喫する事にした。