遠い偽りの夢


 花の茎と茎を絡ませ、その合間に新しい花を刺し入れる。それを繰り返して、花の冠は次第にその姿を形成していく。最後の一輪で隙間を埋めて、ガザニアの花輪が完成した。
 太陽にも似た鮮やかな橙色のガザニアの花畑の中、リューサは己の仕事ぶりに満足して、出来上がった花輪を隣に座る女性に差し出した。
 フィオレは零れんばかりの柔らかな微笑を浮かべて、リューサから花輪を受け取る。
 リューサは大雑把そうに見えるが、意外にも手先は器用らしい。出来上がった花輪は、細工師が仕上げた彫り物のように、見事な出来栄えであった。造花の花輪のように繊細に整い、それでいて本物の花の生き生きとした鮮やかさを持つ。
 フィオレはしばしリューサの作り上げた花輪に見惚れ、翠緑の瞳を優しく細めた。

「綺麗。リューサは本当に器用ね」

「こんなんだったら、いつでも作ってやれるぜ?」

 着飾るだけの美辞麗句など遠く及ばない極上の誉め言葉に、リューサは満足して薄く笑う。
 自慢げにフィオレの瞳を覗き込むと、フィオレは嬉しそうに笑みを零した。そしてリューサより受け取った花輪をそっと頭部に乗せる。

「似合うかしら?」

 鮮明な橙色のガザニアは、フィオレの栗色の髪によく映えていた。まるで、彼女のために作られた冠であるように、フィオレの一部として自然に溶け込み、彼女の控えめな美しさを惹き立てる。優しい陽光に照らされ輝くガザニアの花。それはリューサの最も好んでいる花でもあった。

「ああ、似合ってるぜ。流石オレの秀逸な技術」

「またぁ、調子良いんだから」

 リューサのおどけた様に、フィオレはおかしそうに声を上げて笑う。

「でも本当に素晴らしいわ。その器用さを生かして、技工士にでもなってみたら?」

「それも悪くねぇな。ならオレが花飾り作って、フィオレがそれを売るか」

 夢を空に描くように、一輪のガザニアの花を天に翳して、それをフィオレに差し出す。
 フィオレは黄みがかった橙色のガザニアに手を差し伸べた。

「二人で?」

「ああ、二人っきり。海を越えて遠い町でさ」

 誰も知らない遥かな遠地へ、腕に一杯の花を抱えて。目指すは二人を知るものの存在しない新天地。雲の流れる方へ歩みを進め、時に風に誘われるように道を外れて、誰も知らない道を築いていく。
 それは過酷な自由。叶わないと知りながら、望むもの。

「素敵ね。……ねぇリューサ、わたし貴方となら――」

 最後まで言い切ろうとしたフィオレの唇に、人差し指が添えられた。
 リューサの褐色の指先が、優しくフィオレの言葉を抑える。
 それ以上は口にしてはいけないとでも言うように、リューサは寂しそうにフィオレに微笑みかけた。
 無言の抑圧に、フィオレは瞳を伏せた。

「どうしてかしら。……どうして、言葉にする事も許されないの?」

「さぁ、何でだろうなぁ」

「あなたが、人間だったら……。ううん、私がエルフなら良かったのよ」

 リューサはエルフで、フィオレは人間。相容れぬ二つの種族。
 互いを愛する事はおろか、本来ならばこうして談話する事すらも許されない現実。
 フィオレの住まう人間達の集落は、ダークエルフを嫌悪していた。美しい容姿の白き森のエルフと見比べて、人間達の瞳には、褐色の肌のエルフは不気味に映るのだろう。邪神を崇め奉る一族などという懐疑的な噂まで流れているらしい。愚にも付かない噂ではあるが、ダークエルフはその不実の噂を釈明しようとはしなかった。愚かな戯言など勝手に吠えさせておけとでも言うように、リューサの故郷の者は人間を蔑み、見下していた。互いを嫌いあい、時に憎しみ合う二つの部族。
 不仲な双方は交流も持たず、友好的な逢瀬も固く禁じられていた。
 リューサとフィオレがこうして笑いあう事は、互いの一族を裏切る行為でもある。
 何よりも、精霊に近き存在であるエルフは、一つの呪いを受けて生まれている。決して過ちが生まれぬようにと、精霊王が施した永遠の呪い。
 かつて、一人の精霊と一人の人間がもたらした悲劇を、繰り返さぬようにとかけられたもの。
 それは、精霊の眷属であるエルフにも適応されていた。
 言霊に封じられた呪い。
 人を愛し、それを言葉にした時、呪いの封印は解き放たれるのだ。
 エルフは精霊の加護を失い、その永遠とも言える長き命を奪われる。そして人は精霊に近き存在を愛した罰を受け、己の命の半分を愛したエルフに差し出さなくてはいけない。唯でさえ短い時しか生きない人の時間を、愛情の代償にするのだ。
 想いあっていても、それを口にしてはいけない。
 愛情表現の最も大切な役割を持つ言葉は、呪いを孕んでいるのだから。
 リューサはフィオレの命を削りたくは無い。誰よりも好いているからこそ、大切にしていたかった。せめて二人で笑い合える時が、少しでも長く続けば良いと願うばかり。硝子の様に脆い今の関係は、一瞬のうちに崩れ去ってしまうと知っていたけれど。それでも、リューサにとって、フィオレと共に笑い合うこの時間は、掛け替えの無いものだった。

「人間もエルフも魔族も、みんな仲良くできる時代が訪れれば良いのにな」

 争う事もいがみ合う事も無く、皆自由に共存していける世界。それは夢見る事もできない理想。

「そうね……。そんな世界なら、とても幸せでしょうに」

「オレは今でも幸せさ。ただ、今以上に幸せになるためには、種族間の隔たりなんて無くなっちまえばいいと思うだけさ」

 リューサは人間が好きだ。短い人生でありながら、夢や希望を持って精一杯生きる、力強い者たち。若さ故の視野の狭さや、感情の起伏が激しいのも含めて、愛すべき種族だとも思っている。動物達を食すのだって、彼らが生きるために仕方が無い事だと理解している。彼らを否定するのは、食物連鎖の上位に入る生き物全てを否定するも同じだ。それは魔族も然り。
 そう考えてしまえば、同じ人型の種族である人間やエルフに、隔たりなど無いのだ。
 同じ世界に生きる者たち。それがどうして憎みあうのか。リューサにはその理由が分からない。

「リューサの理想はとても素敵ね。いつかきっと私達みたいに、何の隔たりも無く笑いあえる日が来ると良いわね……」

 フィオレは空へと大きく花びらを広げるガザニアの花に触れて、ぽつりと呟いた。

「来るさ。時間は掛かるかもしれねぇけど、オレがそんな世界作ってみせるさ」

 夢物語だと深く理解してはいても、フィオレにとってリューサの言葉は力があるように思えた。それは理想では終わらず、いつか本当にそんな日が来るのではないかと錯覚してしまう。世界の綺麗な部分も、汚い部分も受け入れてきたリューサならば、それを実現させる事が出来るのではないだろうか。

「ねぇリューサ、わたしはあなたを誇りに思うわ」

 愛を告げる事が出来ないのならば、愛とはまた別にある彼への気持ちを、フィオレは囁いた。
 その言葉を耳に受けて、リューサはフィオレに微笑みかける。
 この幸せが永遠に続けばいいと願いながら、急に胸に込み上げてきた不安を飲み込んだ。
 空は清々しい青。風に揺れるガザニアの花。真新しい若草色のワンピース。儚げなフィオレの微笑み。
 その全てが懐かしいものであるのに、その先に不安を覚えるのは何故だろうか。
 ただ、今の一瞬が凍り付けば良いと願う。この幸せな時間が、永遠に続けば良いと、それだけを望んだ。これ以上、思い出を蘇らせてはいけないような、そんな気がした。


◆◇◆◇◆


 水に波紋が広がる。
 ゆっくりと近づいてくる波動に気付き、ジュリアは背後に振り返った。
 腕の中の少年は先ほどからぴくりとも動かず、ジュリアの喧騒も知らずに眠り続けている。
 振り返った先にあるものは、氷りつくような凍てついた水の流れる水路。まるで意志を持っているかのように不自然な流れの速さを誇った、氷の城の冷たい罠。僅かながら苦痛を強いられた水路を忌々しいと思いつつ、ジュリアは波紋の広がる水面を凝視した。

「……随分と出迎えが遅いのね。私達は客人よ、もう少し愛想の良い応対したらどうなの?」

 冗談めいた口調で、それでも目線だけは挑むような鋭さを帯びて、ジュリアは水面に言葉を投げる。
 流れを塞き止めて波紋を広げる水面に、異変が生じた。冬の湖の如く、深い闇色に塗り潰された水底から、氷の柱が上る。氷柱は水面に顔を覗かせると、水面は瞬く間に凍りついた。
 氷柱の先に花が咲くように氷の破片が広がり、その上に氷細工の人形が咲いた。
 明らかに自然現象では無い異変に、ジュリアは警戒を強める。
 半分以上氷りついた水路に、小さな歪みが広がった。それを合図に、氷で形成された人形の瞳が、満月を思い浮かばせるような金色に色づく。そこだけ生きているかのように、禍々しい輝きを帯びる月色の瞳。
 それを真っ直ぐに見つめ、ジュリアは予想が外れていなかったと確信する。

『これはこれは失礼した。先に少々粗野な客人がいらしたのでな。あなた方には少しお休み頂いてお待ち下さればと思っていたのですが……』

 辺りに、暗く不気味な声が響いた。
 人の言葉でも古代の言葉でもない、忌まわしい響きを持つ言葉。ジュリアのみ聞き取る事の出来た、彼女の遠い故郷の言葉だ。
 直接耳に響いているとすら思えてしまう、優しい口調に隠された威圧感のある声。それはジュリアの知らないものであったが、氷の人形を媒体として言葉を吐き出す相手を、ジュリアは知っていた。

「残念だけど、貴方の術は私には効かない。いくら待っても、私は眠らないわ」

 城に入り込んだときから、どことなく感じてきた違和感。張り詰めた静かな空間の中、凍えるような冷気によって上手く誤魔化されていた、魔力の流れ。それは人を眠りに誘う魔術。夢と現実の狭間を渡り歩きながら、最後には夢の世界へ意識を投げ出してしまう呪い。
 それに気付いたのは、玉座に刻まれた文字と、過去の記憶にある一人の男の話。
 かつて、ジュリアの故郷で問題を起こした男が、その国の統治者によって追放された事。そしてその男は、夢を操る能力を持つと言う。男は夢の世界を至上の芸術と思い込み、同族をことごとく夢へと誘い、文字通り、二度と目覚めぬ眠りへと導いた。しかし、ジュリアの故郷は人殺しを罪と呼ばない。普段ならば放置されるはずだったその男は、統治者である一族に手を出して、永久追放と言う罰を与えられたと言う。
 記憶の糸を辿り、ジュリアは今この場所で話している相手が、その男ではないだろうかと疑念していた。

『そうですな。我が力は、貴い血筋の貴方には効かないでしょう』

「分かってるなら、早く私達をここから出して」

 金色の瞳の人形を睨み付け、ジュリアは普段よりも声色を落として命じる。

『真に申し訳ないが、それは出来ないのです。貴方を除くお仲間の皆様は深く眠っておられる。自らの意思で夢から這い出ない限り、目覚めは訪れない』

「冗談じゃない。だったら、貴方を倒して術を解くわ」

 魔術は余程の強い念がない限り、術者の死と共に力は消える。
 強い力を持つ魔術ほど、高い集中力を必要とする。少しでも相手の集中力を削げれば、この魔術を破る事が出来るかもしれない。

『面白い事を仰る。しかし、貴方と遊んでられるほど暇ではない故、貴方にはここで消えて頂く』

 ぱきり、と硬質な素材のものが折れる音が響いた。同時に、ざわりと気持ち悪く肌を撫で付ける、不穏な空気。
 咄嗟に、ジュリアは立ち上がった。
 人形から視線を外し、見上げた天井。鋭く切っ先の尖った透明なつららの根本が、ひび割れていた。見る見るうちにひびは深く亀裂を走らせ、やがて天上とつららは分離する。切り離されたつららは宙に漂い、その切っ先を真っ直ぐにジュリアへと向けた。

『ご機嫌よう、リラ家の末の君』

 氷で作られた人形の口元が笑みを象った。
 次の瞬間、数え切れないほどの鋭いつららが、ジュリアへ向けて飛んだ。






back home next