氷れる眠り


「浮かんでこないな」

「浮かんできませんね……」

 二人して水面を凝視し、独り言のようにぽつりと同じ言葉を繰り返す。
 思わず喉を突いて出てきた言葉に、ラーフォスとリューサは嘆息した。
 橋の上から見たところ、流れは早くない。ある程度の泳力があれば、すぐに浮かんでこられそうに見える。しかしそれは、水底の急な流れの変化を知らないからそう思うのだ。実際の流れは激流と言っても過言ではない。それに飲まれたエフィー達は、文字通りひとたまりもなかっただろう。

「まさか、流されたわけじゃないよな?」

 リューサに問われ、ラーフォスは不安げな表情を浮かべる。冗談でも流されたなどと思いたくないラーフォスは、魔術で周辺の気を探った。人の気配があれば、魔力の流れに反応するはずだ。しかし、ラーフォスがどれだけ魔力を空気に流しても、それに反応するものは無かった。

「……どうやら、流されちゃったみたいです」

 苦虫を噛み潰したような顔で、ラーフォスは無理矢理微笑んでみせた。
 視線を交差したリューサは、呆然とその言葉を聞く。そして頭の中を整理してから、事の重大さに頭を抱えた。

「嘘だろ……。三人そろって流されたってのか?」

「多分、そうでしょうね。エフィーさんも戻ってこないところを見ると、流されたと考えるのが普通でしょうから」

 それなりの時間が経過したと言うのに、エフィーはおろか、ジュリアもアジェルも姿を見せない。それどころか気配すらも遠く離れてしまったらしい。このまま待っていても、三人は戻ってこないだろう。そうなれば、ラーフォス達がすべき事は一つ。

「探しに行きましょう」

「水に潜るのか?」

 零度に限りなく近いであろう流水を指し、リューサがうんざりと問いかける。
 しかし、リューサの予想を裏切って、ラーフォスは首を振った。

「いいえ。私達まで流されても仕方ないでしょう。もしかしたら、あちらの通路がこの先の水路へ続いてるかもしれませんから、進みませんか?」

 本来ならば全員で向かうはずだった橋の先にある通路を指し、ラーフォスは腰を持ち上げた。そしてジュリアが脱ぎ捨てていったコートと、荷物を持ち上げる。コートのフード部分がもぞもぞと動き、ラーフォスは不思議そうにそれを見つめた。

「何だ?」

 リューサがフードの部分を指先で突くと、中のものは反応して飛び出した。小さな、それでも恐るべき俊敏を見せ、飛び出したものはラーフォスの肩によじ登った。それは威嚇するようにリューサに牙をむき、ラーフォスの肩の上で虚勢を張る。
 その様を視て、期待して損したと、リューサは落胆した。

「ああ、ミスト。こんなところにいたのですか」

 寒さのせいか、小さく震える子竜に手を差し伸べ、ラーフォスは落ち着かせるように頭部を撫ぜた。ミストは気持ちよさそうにラーフォスの手に甘え、小さい声を上げて鳴いた。
 どうやらアジェルではなくジュリアのフードに隠れていたので、落下は免れたようだ。

「お前の主人が何処にいるか、分かりますか?」

 どれほどの知能を持つかは分からないが、動物は人よりも感覚的に冴えている。淡い希望を込めてミストに尋ねると、子竜はぴくりと首を上げた。ラーフォスの声に答えるように小さく鳴くと、ミストは氷の上に降りた。そして二人を誘うように橋を渡りきり、ちらりと振り向く。

「着いていってみましょう」

「あれにか?」

「ええ」

 そんなものを当てにするのかと呆れるリューサに微笑んで、ラーフォスはミストの後を追った。小さな手足を必死に動かし、ミストは通路の先を進んでいく。
 ラーフォスも行ってしまったので、リューサは仕方なく一人と一匹が進んだ道を歩き始める。
 この城に辿り着いてしまったのも、アジェルを初めジュリアとエフィーが流されてしまったのも、思い起こせば自分が原因だ。しかし、エルフであるリューサが道に迷うなど、おかしな話だ。森や山の麓に村を起こすエルフは、人間に比べ地理感覚に優れている。事実今まで見知らぬ土地であろうと、生まれ持った方向感覚で乗り切ってこれたのだ。たとえ地図が間違っていたとしても、道から外れ遭難するなど、どうも解せない。
 それに、先ほどから感じている違和感。この城に足を踏み入れた時から感じていたもの。
(気配が無さ過ぎる)
 しんと静まり返った城。凍てつく氷に包まれた地下。流れる水。外は一面雪景色。これだけ自然が揃っているにも関わらず、自然を司るものの気配を感じない。
 世界中いたるところに存在しているはずの精霊の気配すら、完全に無いのだ。

「なあ、ラーフォス。古い噂なんだけどな、ちょっと聞いてくれ」

 前を歩いていたラーフォスが振り返り、リューサをちらりと見つめた。

「何ですか?」

 歩く速度はそのまま、視線だけリューサに向ける。それでは体勢的にきついだろうと思い、リューサはラーフォスの隣まで小走りに近づいた。

「魔界から追放されたっていう、氷の伯爵の話だ。知ってるか?」

「氷の伯爵……? ああ、知ってますよ。少し前に流行った噂ですよね」

 記憶の糸を手繰り寄せ、ラーフォスは相槌を打つ。
 リューサが言っているのは、御伽噺にも似た類のものだ。
 古来より存在する魔族達の世界、魔界。地上界とは別の空間にあると言われ、遥か昔、神々によって封じられた闇人が棲息すると言われている。しかし、かねてより魔界に封印されている魔族だ。その世界から追放されるなど、あるはずも無い話。けれど、それが現実に起こったと騒ぎ出す旅人がいたから、噂は広く流れたのだ。信憑性の薄い噂だったが、当時ゲートから現れ出でる魔族が後を絶たなかったため、普段なら決して受け入れられないような噂も、迷信深く信じられたのだろう。

「その話はこうだったよな。人の立ち入らない雪山の奥深く、死へと続く道の先、凍れる眠りの城に悪魔が住まう。闇にすら追放された氷の伯爵は何も知らぬ旅人を捕らえ、永遠に目覚めぬ眠りへ導くだろう」

 古めかしい言葉で流された噂。旅の途中でその噂を聞いた時、リューサもラーフォスもくだらないと笑い流した。けれど、今の状況を考えると、馬鹿馬鹿しいと思う反面、妙に不安が込み上げる。
 ――永遠ニ……目覚メヌ眠リ…ヲ約束……シヨウ。
 人間のラーフォスならいざ知らず、エルフであるリューサにさえ解読できなかった文字。
 それを読み解いた少女は、その意味を理解していた。そして微かだが恐怖を訴えていた。
 たまたま思い出した噂と、ジュリアの言葉。
 偶然にしては出来すぎている。

「永遠の眠り……、それは死を意味するものなんでしょうかね」

 ぽつりとラーフォスが呟き、リューサは「まさか」と答えた。
 胸中は穏やかでなかったが、それでも前向きに考えておきたかった。
 小さな子竜が先を行き、二人はそれを追い続ける。通路は長く、途切れる様子を見せなかった。


◆◇◆◇◆


 危機を脱したらしいエフィーは、ほっと安堵の息を吐いた。冷たい水に浸食され、凍えていた身体も乾き、ほんのりと温まったため気分が良い。

「お前、何故こんなところにいるんだ?」

 立ち上がり、渇いた服と髪を確認しているエフィーを見つめ、男は不審そうに目深く被ったフードの奥で眉を潜めた。
 ここで出会ったのは偶然かもしれないが、何故このような辺境の地に人がいるのか。よくよく考えればおかしな話だ。
 男の問いに反応し、エフィーは少し考える間を置いてから答えを述べた。

「道案内してくれてた仲間が道を間違えちゃったみたいで、遭難しかけてたんだ。そしたらこの城があって、ちょっと休ませてもらおうと思ってさ。でも玉座に近づいたら急に落とし穴が出来て、良く分からないうちにここまできちゃったみたいなんだ」

 エフィーは今までの経緯を簡単に説明し、同じ事を男に聞き返す。

「俺も似たようなものだ。道を違えたのは連れだがな」

「へぇ。……そう言えばさ、何で君の剣が橋に刺さってたんだ?」

 エフィーは男の剣を見つけたときの状況を思い出す。
 普通に手を伸ばしたのでは決して届かないであろう場所に、剣は突立てられていた。わざと刺した訳では無いだろうし、かと言って捨てたというのでもなさそうだ。エフィーから剣を返してもらった男は、それを大切そうに鞘に収めた。必要と思っているのに、何故あのような場所に剣を刺したのか。
 剣さえなければ、エフィーを含む三人は、誰一人として水路に落ちはしなかっただろう。
 何故なのかと問うエフィー横目に、男は素っ気無く答えた。

「そんな事はどうでも良いだろう。悪いが、先に行かせてもらう」

「え? ちょっと待って」

 踵を返してその場から去ろうとする男を、慌ててエフィーは追いかけた。
 いくつか聞きたい事があった。この水路がどこまで続くのか。男は誰なのか。
 エフィーよりも長くこの場所にいたであろう男なら、少しは何か知っているのではないだろうか。そう願い、エフィーは通路を進む男に駆け寄って並んだ。

「まだ何か用か?」

「うん。僕が流れてくる前に、別に二人流れてこなかった?」

「見ていないな。俺があの場を通ったのは今さっきだ」

 エフィーが助かったのは偶然。彼が通りかからなければ、再び水流に飲まれていただろう。その場合、ジュリアとアジェルに合流できたかもしれないが、それはそれで困る状況だ。

「そうか。……君の連れはどこに?」

「知るか。知ってたらさっさと合流してる」

「名前、まだ聞いてないよな。何て言うの?」

「……何でもいいだろう」

 愛想の欠片もない返事に、流石のエフィーもへこたれた。
 普段、やかましいくらいに元気な少女が一緒なので、どうにも会話が素っ気無いと疲れてしまう。アジェルも口数は少ないが、ここまで素っ気無くはないだろう。リューサに関しては、別の意味で疲れるのだが、それでも彼との会話は楽しい。
 だが、全く面識の無い相手なのだから、これが普通なのかもしれない。
 恐らくこれ以上何かを尋ねても、この男は有意義な答えをくれないだろう。そう判断し、エフィーは押し黙った。
 水路の隣の通路は真っ直ぐ一本道だ。エフィーが流れてきた方向と、ジュリア達が流されていったであろう方向。エフィーが流れてきた方に戻れば、ラーフォスと合流できるだろう。しかし、その前にジュリアとアジェルを探すべきだとエフィーは考えた。ラーフォス達もエフィーが戻らなければ、通路を進むはずだ。ならば、エフィーは真っ直ぐに通路の更に奥へ進む。
 男が一度、エフィーを振り返ったが、何かを言うでもなくそのまま進んでいく。
 行く方向が一緒なので、エフィーもその後に続いた。






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