氷れる眠り


 肌を引き裂くような冷たい北風が、険しい山々の間を吹き抜けた。時折思い出したように山の木々から、純白の雪が零れ落ちる。どんよりと曇った空を映す白い大地は、暗い灰色に染まっていた。吹き抜ける風に氷のつぶてが混じり、容赦なく道行く人を打ち据えた。

「決まった事とはいえ……誰が好き好んでこんな雪山を越えるって言うのよ」

 ベージュがかった白い毛皮のコートを纏ったジュリアが、いつもと変わらない甲高い声で喚いた。それを聞いた周りの少年二人と青年二人は、それぞれ違う反応を見せた。一人は溜息を吐き、一人は穏やかに微笑みかける。後の一人は、ジュリアの言葉に怯え、もう一人は話自体通じていないようだった。

「山越え嫌なのか? 結構楽しいもんだぜ」

 ジュリアの怒りがさも不思議と言わんばかりに、リューサは軽く受け答えた。深緑の布を髪に巻きつけた彼は、その上に更にフードを被っていた。それでも吹雪く雪は合間から入り込み、漆黒の髪を白い飾りで彩っている。背の高い褐色の肌のエルフを見つめ、ジュリアは眉間に皺を寄せた。

「そもそも何で貴方がここにいるのよ。旅の途中じゃなかったの?」

「ああ、今も途中だぜ?」

 何故そんな事を聞くのか。彼の瞳は、そうジュリアに問いかけていた。
 ジュリアは呆れたように隣のエフィーを見やった。エフィーはジュリアの視線に気付き、やんわりと苦笑いを浮かべた。
 こうなったのは半分、エフィーが原因だと言えた。
 ラキアを取り戻した国王は、奪回二日後にラキアを開放した。本当ならば、取り戻した次の日にでもラキアへ向かいたかったのだが、それは叶わなかった。慎重な前王はまず、危険が残っていないかを兵士達に確認させた。そして危険が無いと分かると、第一に民を家へと誘導した。そして落ち着いた二日目、ようやくラキアへの入国を許された。リューサとは城門まで一緒に行動し、その後別れたはずだった。
 ラキアで神族についての情報を探しながら、進路を話し合う。探し人であるレイルは、南へ向かうと言っていたらしい。だから、ラキアへ足を踏み入れていると思っていたが、彼の痕跡は皆無だった。全ての宿という宿を回り、彼の特徴を述べ聞きまわった。しかし現実は厳しく、それらしい人物は見ていないと返答された。
 足懸かりをすっかり失ってしまい、失意に暮れていた時、再びリューサが姿を現した。また会えたのも何かの縁だと、彼はエフィー達を食事に誘い、そこで色々な話を聞かせてくれた。途中、饒舌なリューサの話を遮り、エフィーはレイルの事を尋ねてみた。彼は自信たっぷりの表情で、知らないと告げた。
 しかし、それを聞いていた飲食店の主人が口を挟み、その日の昼、レイルらしき人物を見たと教えてくれた。主人の話によれば、レイルは北方のフェルベスへ向かうと、連れと話し合っていたらしい。フェルベスへの道は二通りある。山脈を迂回しての遠回りだが安全な道。中腹より歩みを妨害する吹雪と寒さを誇る、セルゲナ山脈を越える道。どちらにするかを深く迷い、後者の道を行く事で話はまとまった。同じ場所を目指すなら、早い道を選んだ方が得策だ。もし、彼が迂回ルートを行っていたとしても、先回りしていればフェルベスで出会う事ができるだろう。
 ラキアで準備を整え、フェルベスへ向かう。そこまでは良かった。

「俺が旅しちゃ可笑しいか?」

 彼が、今ここにいる全員を呆然とさせる行動に出なければ、全てが順調だった。

「そうじゃなくて……。何で……何で私達に着いてくるのよ?」

「ああ、それか。んなもん、面白いからに決まってんだろ」

 悪びれた様子も無く、リューサは当然とばかりに答えた。
 そう、全てが順調だった今日の朝。昼に差し掛かる頃に、休憩のため歩みを止め、お茶でも飲もうとその場に座り込んだ。そして四つの紙コップに、水筒に入れてきた紅茶を淹れた。それぞれが紙コップを手にしたが、一つ足りない事に気付いた。エフィーが不思議そうに見回すと、褐色の肌のエルフが不自然なほどに一向に馴染んでお茶を飲んでいたのだ。いつの間にか、彼はついてきていたらしい。しっかりと、防寒具の装備も忘れずに。

「まあ、良いんじゃないかな。大勢の方が楽しいし」

 ジュリアを宥めようと、エフィーがその肩に手を置いた。するとジュリアは勢い良く振り返り、エフィーの胸倉を掴み引き寄せた。

「エフィー。唯でさえ男ばっかの集団を、更に暑苦しくさせてどうするの」

 そう言うジュリアの瞳は本気だった。エフィーは引け越しになりつつ、必死に彼女を落ち着かせる言葉を捜した。

「うん、まあ、大変だね。でもさ、ラーフォスとは気があってるし、良いんじゃないかな」

 ジュリアとラーフォスは妙に気が合っている節がある。ラーフォス自身、言われるまで男性だと気付かない容姿と、穏やかな物腰が相まって中性的な雰囲気を持ってる。何よりも彼は装飾品や服などの趣味は女性的な趣向らしく、ジュリアとは話が合うらしい。彼女もそれは自負している。しかし、それとこれとは別問題だ。

「そうね。でもそれとこれと話は別よ。とにかく!」

「……とにかく?」

 一度言葉を切り、ジュリアは更にエフィーを引き寄せる。そしてエフィーだけに聞こえるように、小声で囁いた。

「次は女の子拾ってきなさいよ」

 そう言って、ジュリアはエフィーを解放した。
 ジュリアを見やると、彼女はやや気恥ずかしそうにそっぽを向いていた。エフィーは思わず苦笑する。

「拾ってって……、物じゃないんだから」

 ジュリアがリューサの同行を拒んでいる訳ではないと分かり、エフィーは安堵する。
 そろそろ落ち着いてきたらしく、ジュリアは小さく息を吐いた。

「俺も同意だぜ。やっぱ花は多いほうが……」

 ジュリアの小声を聞きつけていたのか、リューサも悪乗りをする。

「貴方は黙って! 口を開くなら、せめて道案内の役割果たしなさいよ」

 聞き取るのも困難な早口で喋り、ジュリアはリューサを見上げた。
 リューサは困ったと言う様に手を後頭部に回し、首を捻った。

「まぁ、そうなんだけどな……。どうにもこう吹雪いてちゃ、方向感覚失われるっつーか」

「リューサ、それってどういう意味?」

 エフィーは嫌な考えが頭に浮かび、それを否定してくれると信じて問いかけた。
 リューサは難しそうに唸って、地図を凝視する。しばらく誰もが口を閉じ、リューサの答えを待った。
 沈黙に終止符を打ったのは、横からリューサの地図を奪ったアジェルだった。
 アジェルは静かに、色素の薄い瞳で地図を見つめた。

「……リューサ。これどこで手に入れた? 見たところ、ダリス大陸の地図みたいだけど」

 地図の中心部には、目立つ赤い文字でダリスと描いてある。ダリス大陸は、ルーン大陸より西に位置する大陸だ。気候は比較的暖かく、緑の山脈が聳え立っているらしい。しかし、セルゲナ山脈はダリス大陸には無い。あくまでもルーン大陸のものだ。

「リューサ?」

 全員がリューサを見つめ、彼はいてもたってもいられなくなり折れた。

「……はは、地図間違えた」

 ラーフォスとリューサを除く三人は、呆れたような視線をリューサに向けた。

「自身満々に山脈の道知ってるって言ってたじゃない」

「あー、悪かったって。で、どうするよ? 引き返すか、このまま進むか」

 今エフィー達がいるのは、セルゲナ山脈の中腹だろう。麓に足を踏み入れた時、雪は欠片も見当たらなかった。気候がやや寒々しく、冷えた風が吹いていたくらいだろうか。しかし、進むにつれ寒さは一層増し、所々道に雪が被さっていた。ここらで引き返していれば問題はなかったかもしれない。だが、かなり奥まで進んでしまった今、戻るのは困難に思われた。
 ふと気付くと天候が悪化し、粉雪がちらほらと舞い落ちていた。次第に冷風が混じり、凍えるほどに冷たい雪が辺りを吹き抜けた。それでも大丈夫と踏んで、道を進んでしまったのが過ちだった。
 吹雪に囲まれ、道も分からなくなってしまった。今は仕方が無く、立ち往生している。

「どうするも何も、道が分からないんじゃ戻りようが無い」

 今まで来た道の足跡は、吹雪く雪に掻き消されている。戻るべき道を探すだけでも、骨の折れる仕事だ。それに、戻れる保障も無い。追跡している側なので、時間を無駄にする事も出来そうに無かった。

「じゃあ、僕が空から周りを確認するのは?」

 名案を思いついたとばかりに、エフィーが発言した。

「こんな吹雪の中で空なんか飛んだら、それこそ迷子になるわよ」

「そっか……」

「まあまあ、完全に遭難したら、またその時考えれば良いでしょう? 磁石は壊れていないようですから、このまま北へ進んで良いと思います。頂上に辿り着けば、何か分かるかもしれませんし」

 やや険悪なムードの中を遮って、ラーフォスが穏やかな口調で皆を宥める。
 助け舟を出され、エフィーは心の内でラーフォスに感謝した。

「……そうだね。こうしてても時間の無駄だし。ラーフォスの言うとおり、さっさと進もう」

 リューサの地図を丸めて持ち主に返し、アジェルは肩に積もった雪を払った。肩に乗っかっていたミストは、雪と共に払われて危うく落ちかける。しかし、素早く反応したジュリアによって抱き上げられた。

「そうね。山頂に着けば、きっと休める場所もあるかもしれないし。今戻ったら、エフィーのやりくりも無駄になっちゃうもんね」

 ジュリアも頷いて、山頂の方へ方向転換する。
 エフィーはジュリアの言葉の意味合いを理解し、苦い思い出を呼び起こした。山越えすると決まった時点で、防寒具などの準備が必要となった。それらを購入するにあたって、結構な出費を覚悟しなくてはいけなかった。ラーフォスは魔術で冷気を遮断する術を持っているから、防寒具は不要と言っていた。しかし、少なくともエフィーを含む三人はそれらを購入しなくてはいけなかったのだ。
 今更それらを思い出し、エフィーは難しそうに唸り、浮かび上がった眉間の皺を指で伸ばした。

「エフィー。自分の出費は無かったんだから、いい加減諦めなさいよ」

 立ち止まって考え込んでいるエフィーに気付き、ジュリアが戻ってきた。

「まあ……王様から賞金もらえたけど……」

「そうそう。あれはすごいラッキーだったけど、所持金は変わらないで済んだんだから、気にしない。ね?」

 ラキアに到着した後、入国審査をしている兵士から、金貨の詰まった袋を手渡された。理由を問うと、魔族を追い出してくれたお礼だと、前王より届けられたとの事だ。エフィーはありがたくそれを頂戴し、有頂天になっていた。しかし、その気持ちも、三日と続かなかったわけだ。金貨はほぼ全て、防寒具を購入する事に使われてしまったのだから。

「まあ、そうだね」

 エフィーは生気が薄れた老人のように笑った。ジュリアはそれを見て満足したらしく、そのまま先に歩き出した三人を追った。
 エフィーは己に背を向けた四人を見つめた。多少難関はありそうだが、まだ困った状況には立っていない。しかし、何故か一縷の不安を覚える。それが何なのかは理解できなかったが、込み上げる不安は次第に膨れていく。
 気のせいだと思い込み、エフィーは先に歩いていった四人を追った。






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