始まりの終わり


 重圧的な扉をくぐり、その場所へ一歩足を踏み入れた途端、二人は別の空間に放り出されたような錯覚に襲われた。
 扉の先の部屋は、静かだった。今までの重苦しい暗闇と静寂ではなく、ただ穏やかな静けさを保つ空間。何がどう違うとは形容しがたいが、今までの回廊とは違う空気に満ちていた。それは神聖な場所のようにも感じられる。瞳に映る景色に大差は無いはずなのに、何故かそう思えた。

「行き止まり……」

 雰囲気に呑まれたのか、ジュリアは普段よりも声のトーンを落として呟いた。
 彼女の言うとおり、扉の先は行き止まりだった。そう広くは無い部屋。石の壁は今までの濃厚な灰色ではなく、白く磨かれていた。床は橋を寄り集めたように、細く幾重にも枝分かれして、床の一段低くなっている場所は、透明に澄んだ水が満ちている。水面は揺らめく事無く、仄かに光を反射して存在だけを誇示していた。脆く、今にも砕け散ってしまいそうだと杞憂する張り詰めた空間。触れてはいけないのでは、と思ってしまうほどに純粋な――。

「ジュリア、あれ」

 エフィーは部屋の中心部にあるものを見つけ、指で示す。回りを見回していたジュリアは、エフィーの声に導かれて視線を真っ直ぐに戻した。

「あれは……」

 部屋の中央には、円形の白い祭壇がぽつりと佇んでいた。そして、祭壇の上には、不自然に宙に浮かぶ光が存在した。幽玄な輝きを放つそれは、酷く儚いものに見えた。それは触れることの出来ない光ではなかった。

「リューサの言ってた噂は本当だったのか?」

 二つの視線の先にあったものは、青く半透明な小さい石だった。宝石と呼ぶには飾り気が無く、それでも仄かな光を放つ様は神秘的であった。石は、祭壇の上に支えも無く浮かんでいた。まるで重力などそこには存在しないように。

「それじゃあ、もしかしてあれは……」

 聞いた時は、半信半疑だった。
 神話に伝えられる宝玉の涙の一欠けら。大地に弾け飛び散ったはずの四つの輝石。それはラキアの城に眠ると言う。

「――そう、それは英知を司る青きグレンジェナ。神すら焦がれ、喉から手が出るほど欲しがってるものだよ」

 聞きなれない高い声が凛と響き、二人は動きを止めた。
 同時に、先程までは誰も居ないと確信していた背後に、冷ややかな気配を感じ取る。僅かな戦慄を覚え、エフィーは真後ろに振り返った。

「君は……」

 先程の声が空耳ではないと確信させるように、振り向いた先には一人の少年がいた。
 視線が交差し、少年は口元にあどけない笑みを浮かべる。そしてゆっくりと、一歩エフィー達に近づいた。

「始めましてだね。そしてご苦労様」

 知らない少年だった。小柄な体躯はジュリアと同じか、少し小さいくらい。年の頃は恐らく十代前半だろう。漆黒のローブを纏い、それとは対照的に色素の薄い髪と肌。青白い部屋に触発されてか、本来は銀色であろう髪は僅かに青味がかって見えた。しかし、そんなものよりも目を引いたのは、少年の両の瞳だった。片方は深い暗紫の瞳。もう一方は、鮮やかな金色の月に似た色彩。左右の均等な顔の造りに対し、色合いの異なる瞳は禍々しいほどに目を引く。そしてそれが、少年の異様さを醸し出していた。

「貴方……魔族ね」

「ご名答。良く分かったね。人型の魔族なんて、そうそうお目にかかれるものじゃないのに」

 くすくすっと小さく微笑み、少年は更に一歩二人に近づいた。
 少年の言っている意味が分からず、エフィーは事情を飲み込んでいるらしいジュリアを横目に見た。彼女は忌々しそうに、魔族だと称す少年を睨み付けていた。普段は決して敵意を感じさせるような表情をしないジュリアだが、今は随分と殺気立っていた。前にもこのような表情を見た気がして、エフィーは記憶の糸を手繰り寄せる。そして、いくつかの場面が思い浮かび、不意に金色の瞳を思い出す。セルゲナ樹海で、西の亡霊を語っていた存在の異質な姿と、人にはありえるはずのない輝く月のような禍々しい瞳。それは、魔族に共通する証だと言う。
 そして、目の前の少年の右目は、暗闇でもはっきりと映える黄昏色の輝きを持っていた。

「どういう事だ?」

「魔族はみんな人型ってわけじゃないのよ。樹海にいた魔族を覚えてる? あれは確かに魔族だけど、中途半端な人型だったでしょ。それはね、力のある魔族じゃないからなの。本当に力のある魔族は……、上級魔族っていう部類に入るのは人間と変わらない姿だから……」

 つまり、前に会った魔族は下級に分類される魔族で、今目の前にいるのが本来の魔族の姿だと言う。見るだけでは、少年は人と変わらない。あえて、違いをあげるとすれば、彼の耳が少しとがっているように見えるところだけだ。
 確か、城を攻めた魔族は銀色の二人の魔族だったと聞いた。銀の色彩を持つ、二人の人型の魔族。そのうちの一人が、今目の前に姿を現した。その目的は、大体見当がつく。多分、リューサの推測が間違っていなければ――。
 エフィーは背後にある祭壇の上の輝石を思い浮かべ、少年に問いかけた。

「君が、僕らをこの場所へ飛ばしたのか?」

「そうだよ。宝探しは僕の性に合わなかったからね。でも、君には感謝してるんだよ? お蔭様で、苦労せずにそれが手に入るんだから……」

 『それ』に該当するのであろう、エフィーとジュリアの背後の輝石を見つめ、少年は悪戯っぽく笑った。

「だから、君たちはもう用済み。でも、頑張った君らにねぎらいとして無事に地上まで送り届けてあげるよ」

 その言葉に、リューサの言っていた事があながち間違いではなかったと確信する。
 魔族は、グレンジェナが目的で王城を占拠し、国の人々を追い出した。そして、ゆっくりと時間をかけて探すつもりだったのだろうが、ラキアの王が傭兵などを募ってしまったため、それを利用されたのだ。恐らく、何らかの方法でこの魔族たちは、エフィー達を見張っていたのだろう。そして誰か一人がこの場所まで辿り着けば、後は奪うだけで良い。単純だけれど狡猾な方法に、まんまと当てはめられたと言うわけだ。

「グレンジェナのために、こんな大掛かりな事をしでかしたのか?」

「まあね。これが一番手っ取り早いからね。別に僕は王城の奴らを追い出さなくても良かったんだけどさ。邪魔なら殺せば良いだけだし。……ま、お優しいルシェ様の希望で、わざわざ手間ひまかけて追い出してやったんだから、少しはありがたがってみたら?」

 己のやっている事に欠片も罪の意識が無いのか、少年はさも当然のように言い放った。
 エフィーはその言葉に、眉宇を寄せる。何かを言い返そうと口を開くが、声を出す前にジュリアが割って入った。

「貴方みたいな魔族が、グレンジェナをどうするつもり?」

「それに答える義務は無いよ。さ、そこをどいて。僕も暇じゃないんだ」

 あどけない微笑を絶やさないまま、少年はそう言って右手を前に差し出した。
 そして低い雑音が聞こえたかと思うと、少年の手のひらに灰色の光が取り巻く。何の詠唱も無く行われたそれに、危険を予期したジュリアはすぐに発動できる炎術の詠唱をする。
 僅かな間をおいて、少年は手のひらを軽く振り上げる。同時にジュリアも、呼び寄せた炎の精霊に命を下す。

「させないっ!」

 少年の手から光が放たれ、ジュリアの呼び出した魔力の炎と衝突する。
 光は風を生み、炎が混じり熱風を辺りに散らす。空間に鋭い衝撃が駆け抜けて、エフィーはジュリアをかばうように一歩前へ出て、衝撃とジュリアの間に挟み入った。
 術と術がお互いを相殺し、その衝撃により床に満ちていた水が飛沫を上げて飛び散る。
 宙に舞い上がった水飛沫は、今度は雨のように冷たい床へと降り注いだ。
 衝撃が完全に止み、エフィーとジュリアが視線を向けた先には、降り注ぐ冷たい雨に打たれる少年が居た。
 少年は小さく呆れたような溜息を吐いた。

「どうやら、ただじゃどいてくれないみたいだね……」

「当たり前でしょ。こんな苦労したのに、魔族なんかにお宝を持っていかれたんじゃ、土産話にもならないわ。貴方にこれは渡さない。これは魔族が手にするものなんかじゃや無いもの」

 神々の遺物と称されるものを、むざむざ魔族に渡せるか。そう意気込んで、ジュリアは再び詠唱の体勢を取る。
 少年はそんなジュリアを見つめ、そして視線をずらしてエフィーを見つめた。

「君も、邪魔するの?」

 突然そう問われ、エフィーは条件反射で頷く。
 グレンジェナなどどうでも良い。ただ、こんな小さな石のために迷惑を被ったラキアの人々を考えると、やはりグレンジェナを渡すわけにはいかなかった。そして何よりも、グレンジェナが欲しいと言っていた黒いエルフを思い出す。
 へらへらしていた彼がそう言った時の表情は、何故か哀れみを感じてしまうほどに寂しげだった。何か理由があるのかもしれない。それが何かは知らないけれど、少しの間共にいた者の願いくらいは叶えてやりたい。
 少なくとも、エフィーはリューサに好感を持っていた。
 悪事を働いても悪びれた様子のない小生意気な子供よりも、ずっと。

「二対一だよ。諦めて帰った方が良いんじゃないか?」

 もちろん、魔族とはいえ自分よりも幼い子供を傷つけたくは無い。
 相手は魔術を操るようだが、武器を持っているようには見えなかった。むしろ小柄な体を見る限り、肉弾戦など出来ないだろう。それを考慮して、警告を含む言葉を告げる。
 しかし、エフィーの言葉に少年は可笑しそうに笑った。
 清涼とした空間に、高く澄んだ声が響く。
 二人は少年のその様に、怪訝な視線を向けた。
 少年は笑うのをやめると、笑いすぎて薄っすらと滲んだ涙を拭った。そして軽く大地を蹴る。床から足が離れた少年は、そのままふわり、と重力を無視して浮かび上がった。結構な高さまで昇った少年は、悠然と二人を小馬鹿にしたように見下ろした。

「それじゃあ、実力行使だ」






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