始まりの終わり


「ここが最深部なの、かな……」

 悠然と己を見下ろしてくる扉を見つめ、ジュリアは呟いた。
 最深部かどうかはこの扉を開け、その先に行くまでは分からない。けれど、今までの殺風景な回廊を思い起こせば、彼女がそう思うのも無理は無いだろう。

「どうだろう。でも、これって普通に開くと思う?」

 エフィーは握りすらも無い背の高い扉を見つめ、そう言った。押して開くにしては、少しばかり大きすぎるだろうし、それを成すだけの力が自分にあるとは思えない。それはもちろん、握りがあったとしても同じ事だ。石で出来ていると思われるこの扉をどうすれば開くことが出来るのか。二人には見当もつかなかった。

「押してみるしかないわね」

 見上げていてもしょうがないと言わんばかりに、ジュリアは扉へと近づいた。そして二対の扉の片方に手をついて、押してみる。本人は必死に押しているのだろうが、扉は動く素振りを見せなかった。ただ空しく、力を入れている足元が少しずつ押し返されていく。やがて勝ち目の無い押し相撲を止めたジュリアは、諦めたように振り返り残念そうに肩を竦めてみせた。

「だめ。全然動かない。何かの合言葉で動くとか?」

 仄かに光を纏う扉だから、もしかすると魔術か何かで動くのかもしれない。世界には『封印』という名目のもので、魔術以外の干渉を受け付けなくする術があるらしい。それは普通、扉や大切なものを保管するための箱などにかけられる魔術だ。解呪するには、大概合言葉や逆魔術を使用する。この扉も恐らくそういったものではないかと、ジュリアは考えているようだ。 しかし、合言葉となるのは古代語や神々の言葉など、一般人には見当もつかないであろうものが常だ。ジュリアも少しばかりなら古代語を知っているだろうが、僅かな知識だけで解呪出来るほど簡単な封印などそうそう無い。

「でも合言葉なんて分からないだろ? ……本当に動かないのかな」

 力があるほうとは言えないが、もしかして動かせないだろうか。そんな淡い期待を抱いて、エフィーも先程のジュリアと同じように扉を押すべく、両の手を扉についた。そして、両の足を石の床に押し付け、無機質な扉を押してみる。けれどやはり扉は動かず、薄気味悪く青白く光るだけ。

「駄目だ……。ここまで来て行き止まりなんて、痛いなぁ」

「それじゃあまた私にまかせて。押して駄目なら、燃やしてみましょ」

 けろりと言い放ち、ジュリアは少し扉から離れ、両の手を扉へと向けた。
 彼女が何をしようとしているのか理解したエフィーは、咄嗟に扉から離れる。
 それを確認したジュリアは、小さく口の中で呪文を呟く。聞きなれた言葉が響き、次の瞬間扉の傍の地面から勢い良く火柱が上がる。ひんやりとしていた空気に熱風が混じり、一瞬その場に熱を伝える。しばらく火柱は高く盛り、やがて煌々と光る炎が揺らめき、扉の前から炎が消えた。
 扉は、焦げ後一つついてはいなかった。先程と、まったく変わらないままその場に立ち尽くしている。

「これも駄目なの」

 それなりに自信があったのか、ジュリアは先程よりも落胆する。

「本当に、開かないのか」

 手は尽くしたとまで行動を起こしたわけではないが、これでは八方塞だ。
 エフィーは疑り深く再び扉に触れた。
 石でできているはずの扉は、先程の炎に巻かれてもなお冷ややかな感触を失っていなかった。ぴたり、と手に吸い付くように、磨かれた滑らかな感触が伝わる。そして、不意にそれは起きた。
 仄かな光を放っていた扉から、ゆっくりと輝きが失われていったのだ。

「えっ……?」

 目に見える変化と感じないほどにゆっくりと、扉は力を失ったかのように灰色の石の塊に姿を変えていく。完全に光が消え去り、それでも異変は止まらなかった。突然の出来事に瞳を瞬く二人を横目に、扉は重い音を立てて少しずつ動き出した。少しずつと暗い回廊の先を覗かせて、扉は徐々に開いて行く。
 刹那、困惑する二人の合間を鋭い風が吹き抜けた。条件反射のようにエフィーは瞳を細め、開かれた扉の先へ吸い込まれる風を目で追った。ヒュウっと耳元で風音が通り過ぎる。そして同時に、聞こえるはずの無い音が脳裏を過ぎる。聞き覚えのある、透明な声が。
 ――さぁ、このまま真っ直ぐに進んで……。
 エフィーは、はっと顔をあげた。けれど視界に映る人影は無く、扉の先の暗闇だけが見て取れた。

「エフィー? これって……」

 ようやく我に返り、エフィーは隣に振り向く。ジュリアは信じられないといった表情で、頭一つ分高いエフィーを見上げていた。彼女の見た限りでは、エフィーが扉に触れたと同時に扉が開いたと思っているのだろう。だが、エフィーにその感覚は無かった。ただ触れた瞬間、本当に何も予期していなかったにも関わらず、扉が動いた。まるで、見えない力がエフィーの手を通じて流れたかのよう。それでも、エフィーは何も感じなかった。これは決して自分の力ではない。突然の出来事だったが、それだけは言えた。

「ジュリア、今何か聞こえた……?」

 呆然と開いた先を見つめ、エフィーは問いかけた。
 そんなエフィーを怪訝そうに見上げ、ジュリアは首を横に振る。

「何も。どうかしたの?」

「いや……。ただ、呼んでるみたいだ」

 ぽつりとそれだけ呟き、エフィーは先程まで半信半疑だった夢が夢で無いと確信する。
 真っ直ぐに進む先の、暗い部屋。しかし、真っ暗闇ではなかった。仄かな灯火のような小さな光が見える。

「行こう」

「うん。……大丈夫かな?」

「多分。ほら、生き物の気配とか無いし、封印の森みたいな事態にはならないよ」

 暗闇に潜むのが幽霊やお化けなど、そういった類のものでない限り、この先には何もいない気がした。固く閉じられていた扉の中に、生き物がいるとは思えなかった。もちろん、安心して進めそうな雰囲気も無いのだけれど。

「それもそうね。まぁ、いるとしたら魔族かな? それなら全然怖くないんだけど」

「あはは、僕は魔族も勘弁だけどね」

 出来れば争い事を回避したいと思っている事には変わりないので、エフィーは苦く笑っておいた。
 そして恐る恐る、二人は背の高い扉をくぐるべく一歩足を踏み出した。


◆◇◆◇◆


 空気の流れに異質なものが混じる。
 それを素早く感じ取ったラーフォスは、その気配を捕らえるべく精神を集中させた。短く呪を呟き、そっと暗闇の空間に手を翳す。先程から追い続けてきたもの。からかうように蠢くそれを、魔力で作り上げた檻に閉じ込める。見えない力に阻まれて、右も左も動くことが出来なくなったそれは、ようやく動きを止めた。
 目に見えないその存在に、ラーフォスは声をかけた。

「悪戯に手を出すのはおやめなさい」

 暗い迷宮の中、ラーフォスの低い声だけが静かに響く。
 ラーフォスは光を灯してはいなかった。魔術で光を呼び、闇を照らす術を持つにも関わらず、彼はあえてそれをしなかった。迷宮に飛ばされてからずっと感じていた異質な気配を探り続け、その場から一歩も動かずにいたのだ。そして機を窺い続け、すぐ近くまで寄ってきたそれを捕らえる事に成功した。
 しばらく沈黙が続き、それは魔力の檻の中で忍び笑いを零した。
 無邪気な笑い声だった。子供のような高い声色の、わざとらしい上品な笑い。くすくすっと黒い空間に木霊して、ようやく笑い声が止む。そして、一呼吸の間をおいて見えない存在はラーフォスに答えた。

『随分と鋭いですね。見つからないように、こうして精神だけを飛ばしたって言うのに』

 それはやはり、音無き声だった。頭に直接響く、空間には響かない音。恐らく、近くに誰かが居たとしても、この声は聞こえていないだろう。声の主は、語りかける相手にだけ声を送っているのだ。正確に言えば、声と言葉の情報を。

「先日から貴方の気配を感じてましてね。いつ手を出してくるか、警戒しながら構えていたんですよ」

 見えない相手に微笑みかけながら、ラーフォスは凛然と答えた。

『別に警戒するほどでも無いでしょう? 僕はただ迷い歩いてる子に道を教えるだけ。道を選ぶのはあの子。進むのもあの子自身。僕はきっかけを与えるに過ぎない』

 捕らえられているにも関わらず、余裕のある声色で闇に紛れた存在は言う。
 ラーフォスはそんな相手に動じる事も無く、平然と再び声をかける。

「きっかけを与えるだけとは随分と親切な物言いですね。実際は、自分の企みに加担させたいだけでしょう?」

 微笑は絶やさないまま、ラーフォスは鋭く釘をさす。するとまた、笑い声が頭に直接響いてきた。

『その言い方だとまるで僕が悪事を働いてるみたいですね。まぁ、善事とも言い切れませんけど。……僕は別に誰だって良いんです。ただ、選べる人員がほとんど残ってないんです。仕方ないでしょう。フェイダも古代神も、うまい具合にあの人の描いた策略に呑まれたし、古代神の御子達は相変わらず反抗的。そうなったら、自然とあの子に近づくしかなくなるんです』

 皮肉な感情を含む言葉で、それは当たり前のように言う。
 ラーフォスは理由が滅茶苦茶な相手に呆れ、小さく溜息をついた。

「……こんな事、あの子に知れたら激怒しますよ。今日はたまたまいないから良いようなものの」

『ん、それは大丈夫です。いないところを見計らって近づいたんですから。それに、あの少年だって僕が手を出す出さないに関係なく、最終的に神界へ来る事になる。彼が額のものを所持している限り、あの人からは逃げられませんからね』

 それは運命だとでも言うように、その存在はまた含みのある笑い声を響かせた。
 ラーフォスもエフィーの額にあるものが何であるか知っている。それが人の持つべきものでは無い事も。選ばれたわけじゃない。彼はただ巻き込まれただけだ。父である人から、それを渡されたと言う理由だけで、馬鹿馬鹿しい波乱に巻き込まれる羽目になる。
 彼は安全な大陸を出てしまった。大陸を出ず一生を終えることが出来れば、彼は普通の人として生きていけただろう。それはもう一人、この迷宮にいない少年にも当てはまる事柄。ひっそりと生きていれば、このように「上」の存在に目をつけられることも無かったはずだ。
 それでも彼らが大陸を出てしまったのはもう過去の出来事で、今は戻る事も出来ない。
 見つかるのは時間の問題。
 それでもラーフォスにはどうする事も出来ない。手を出せるわけでも、守れるわけでもない。ただ、忍んで成り行きを見届けるだけ。

「……そうかもしれない。でも、彼が行く道に、貴方の手出しは無用です。貴方にも、私にも干渉する権利は無いのですから」

『それは貴方の考えだよ。僕は僕なりの目的がある。……それに、魔族も不穏な動きを見せている。時間は、あまり残っていないんです。遊んでいられるのも今のうちだけ』

 急に辺りの空気が流れを変える。まるで、闇に漂うその存在の声に反応しているかのように。
 闇に紛れるその存在は、ラーフォスの作り出した魔力の檻を解くべく、目に見えない重圧をかけてきた。
 わざわざ打ち破られ、己に被害が飛んでくるのも癪なので、ラーフォスは黙ったまま檻を解いた。
 しばしの静寂が暗闇の空間を支配し、やがて小さな呟きと共に暗闇は暴かれた。魔術で作り出した檻を解いたラーフォスは、今度は小さな光を召喚していた。それは姿の見えない存在と、もう話す事は無いとの意思表示に思われた。

『何か、聞きたい事でもあったんじゃないんですか?』

 解放された存在は、静かにそう問いかけてきた。

「別に、聞きたい事はありません。ただ、忠告をしようと思っただけです」

『……そう。それじゃあ、時間の無駄でしたね。僕は忠告されたぐらいじゃ諦めません。――でも、しばらくは手を出さないでおいてあげましょう。どうせ運命は変わらないでしょうから、僕が手を下す意味は無いですしね』

 余裕を失わない自身に満ち満ちた声そう言い、その存在は再び空間を一回りする。そして、その場にもう用はないと言わんばかりに、踵を返した。

『次に会う時は、多分上の世界でしょうね。では、御機嫌ようラーフォスさん』

 わざとらしい丁寧な言葉遣いでそう言い、声の主はその場から遠ざかっていった。
 完全に気配が消えて、ラーフォスは緊張を解いた。そして、この場に留まる理由が無くなったので、ようやくその場を動き出す。
 導かれるように、もしくは初めから道を知っているかのように、迷い無く真っ直ぐに暗い回廊を進む。
 やがてその姿は回廊の中心部へと消えていった。






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