迷宮


 人が集まりつつある広場がざわめきだしたのは、エフィー達がその場所についたばかりの頃合だった。
 重い鎧がぶつかりあう金属音と共に、十数人のラキアの兵が縦横に走り抜けて行く。彼らの手には、刃先が三叉に分かれた柄の長い槍を持ち、今から戦争にでも赴くと言わんばかりの形相で、砦の外側へと向かって走り去って行く。そして、そう遠くない所からは聞き慣れない獣の咆哮が聞こえ、続いて叫びに似た人の声が上がる。それは、まるで奇襲を受けたかのような、そんな場面に酷似していた。エフィーは思わず何が起こっているのか知ろうと、ラキアの兵が走り去って行く砦の出口に向かおうとしたが、それは適う事無く防がれた。

「行くな。あれは陽動だ」

 聞き覚えの無い声が聞こえ、突然背後から肩を掴まれたエフィーは振り返った。
 エフィーの肩を掴んでいたのは、ジュリアでもラーフォスでもなければ、勿論リューサでもなかった。振り返った先に視界に飛び込んだ人物は、エフィーの全く知らない人だった。
 年の頃は壮年を少し過ぎたくらいの、恰幅の良い男だった。白髪の混じり始めた髪の上には、白銀の美しい冠がちょこんと乗っかっていて、身に纏う服装は傭兵と言うには無理のある、貴族の正装のようなきっちりとした軍服だった。そして否応にも目に映る鮮やかな赤い外套が印象的だった。腰に豪奢な飾り細工が施された長剣をさしているものの、およそ戦に向かう風でもなく、かと言って一般人とはまた違う雰囲気を持つ男だった。
 男はエフィーの肩を掴んだまま、もう一度重々しく口を開いた。少し掠れた、それでも未だに力を失わないはっきりとした低い声が言葉を紡ぐ。

「砦の外より、あやかしの獣が襲って来たらしい。じゃが、数はそう多くは無い。我が国の兵に任せておけば時期に納まるだろう」

 そう言って、男はようやくエフィーの肩を離した。
 エフィーは呆然とその人を見詰めてから、騒ぎが拡大したのか先程よりも激しい雄叫びが上がる外の方を見やった。

「でも、これからラキアの城に行くのに、良いんですか?」

 これからラキアを奪還すべく、傭兵を足したラキアの兵が城へ向かうはず。それなのに、このような場所でラキアの兵が足止めを食って大丈夫なのだろうか?

「このような展開が待ち構えている事ぐらいは予想済みだ。だからこそ、傭兵を募った。そなたの言うとおり、これより傭兵は予定通りラキアへ赴く。そして我がラキアの兵は砦の守りに回す」

 言ってから男は声を小さくして、小言を言うようにそっとエフィーとその周りにしか聞き取れない声で呟いた。

「私の馬鹿息子が、私の居ない間に好き勝手やってしまったようでな、恐らくそなた達は何も知らぬのじゃろう。初めからラキアの兵は城へ寄越さぬはずだった。私が北の遠征に向かっている間に、まさかこのような事態になっているとはな……。魔族が不穏な動きを見せていた事は知っていたがな」

 馬鹿息子と言う言葉に、エフィーはこの人が誰なのかおおよその見当がつき、心のうちで吃驚する。だけど、知りたいことがあったので、あえてそれを顔には出さないで、再び分をわきまえた口調で聞き返す。

「でもそれじゃあ……」

 ラキアに潜伏する魔族を撃退するだけの力があるのだろうか?
 傭兵の数は多く見積もっても五十人を少し越えた程度。グループ分けで行動するのならば、たった十組程度しかいないのだ。それだけで、ラキアの魔族に打ち勝てるのだろうか。
 そう問おうとしたけれど、言い切る前に再び男が口を開く。

「確かに、人数的にも戦力的にも乏しいのは承知の上だ。しかし、ラキアは様々な場所にゲートが開いていてな、そちらの処理だけで兵は一杯一杯なのだ。だからこそ、傭兵達に頑張ってもらわなければいけない。それに、恐らく城に立て篭もっている魔族は、それほど大きな力は持っていない。もし、本当に凶悪な魔族ならば、国の民は一人残らず殺されていただろうからな」

 だからこそ、恐らく大丈夫。男の言いたい事が分かり、何となくだけどエフィーは納得する。

「それに、砦を襲わせた魔族のやり口からして、足止めが目的なのが容易にわかる。だからこそ、今が好機じゃ。獣と我等が戦っていると思えば、魔族も少しは気を抜くだろう? そこを突く」

「ああ、そっか」

 男の読みの深さと、行動力に素直に感動する。
 てっきりそのまま数に物を言わせて、殴りこみに行くかと思っていた。そんな自分の浅はかな考えに心のうちで嘲笑し、常識の程度がどれだけ違うかも実感する。恐らく、セレスティス大陸は平和すぎたのだ。だからこそ、このような緊急時も他人事のように感じてしまう。
 そんな事を思っていると、ジュリアがエフィーの肩越しに、溜まった疑問を問いかけようと口を開いた。

「ねぇ、貴方ってもしかして……」

 言動と、この場に似つかわしくない不自然な姿の男を不思議に思ったのだろう。が、その答えをくれたのは、男ではなかった。

「父上、準備が整いました」

 左右に二人の護衛を連れて現れたのは、昨日意味無く長い熱弁をかましてくれた、まだ若いラキアの現王その人だった。そして彼は麗しく父と呼んだその人に礼をすると、エフィーを一瞥してから、男に近付く。

「ち、父上って……事は……?」

 恐る恐る、ジュリアが王と呼ばれるその人と、エフィーの隣の中年の男を見比べて、次第に青くなって行く。まさか、そんなに偉い人だとは思っていなかったらしい。
 急に恐縮してしまったらしいジュリアを見やり、父王らしい男は優しい微笑を浮かべた。

「引退した身だ。そんなに畏まるな」

 そう言って笑った男は、やはり王と呼ぶには穏やかそうで、酷く優しげな雰囲気を持っていた。それでも彼の言動は上に立ってきた者の実績があって、言われてみれば確かにそうだと気付く。
 いつの間にか辺りは、――砦の外側を除いて、すっかり静まり返っていた。「準備が整った」と言った王の言葉どおり、エフィーとジュリア以外の募った傭兵達は広場で立ち並んでいる。訓練された兵士のように、一寸の乱れも無くとはいかないけれど、それでも彼らなりに綺麗に五、六人ずつの列を作っていた。それに気付いたエフィーはジュリアを引き連れて、ちゃっかりと並んでいたラーフォスとリューサのいる列に紛れ込む。
 ラキアの王その人は、それを見届けてから小さく喉の調子を整えるように、こほんとわざとらしい咳をして一歩後退し、父王に場を譲る。男はそんな息子の姿を微かに困ったように見つめてから、ようやく静まった広間の中心までゆっくりと歩いてきた。
 一時の間を置いて、ラキアの前王は辺りを一度見回してから口を開いた。しかし、静まり返った広間に響いたのは、少し掠れた低い声ではなかった。この場に最も似つかわしくない声が、場の静寂を引き裂いて凛と響き渡る。

「ようやく準備できたみたいだね。あんまりにも遅いから、待ちくたびれちゃった。感謝しなよ、こうしてわざわざ来てあげたんだから」

 何処からか投げかけられたのは、澄んだ幼い声。良く通る高い声色は、男なのか女なのか判別しかねるが、酷く無邪気な響きを持っていた。
 しかし、広場を囲う砦の壁が声を反響させ、声の主が何処に居るのかは分からなかった。
 突然予期せぬ言葉が投げかけられて、広場にいた者達は怪訝そうに辺りを見回す。王も、その父も眉間に皺を寄せて、警戒するように注意深く見える範囲の全てを見回す。けれど、声の主らしき子供の姿を捕らえる事は出来なかった。
 辺りがざわめきだした頃、再び声が投げかけられた。

「大人しく待ってようかと思ったけどね、君たちがあんまりにものろまだから迎えに来てあげたんだよ。それに脆弱な君達に敬意を表して、プレゼントもあるんだ」

 不意に視界が僅かに暗くなる。
 空から降り注ぐ陽光が何かによって遮られ、照らし出されていた大地に影が広がっていく。
 エフィーは何かを考える暇も無く、空を見上げた。そして、視界に入れた物を呆然と見入る。
 それは、ブラックホールと言う単語が酷く似合いそうな、漆黒の異空間だった。
 飲み込まれれば、永遠に彷徨う無限回廊にでも放り出されてしまうのでは、と錯覚してしまうほど、黒い世界が空から迫る。

「さぁ、宝捜しツアーの始まりだよ。楽しんできてね」

 無邪気な笑い声が空から響いてきて、そこに秘められた邪な感情には誰も気付かずに、広間に居た人々は全て漆黒の闇に飲み込まれた。
 誰一人、声の主を探り当てる事が出来ずに、その視界は暗闇に染まる。
 そして、広場に再び陽光が差した時には、その場所には動く物は何一つ存在していなかった。
 それを空の上から楽しそうに見下ろしていた少年は、満足そうに微笑むと、やがて自身も暗闇の空間に溶け込むように同化して消えた。






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