白と黒の狭間


「軽い冗談だったのに」

 寝台の先の壁まで転がり、したたか頭を打ち付けたらしいリューサは、起き上がって後頭部のあたりを片手でさすっていた。対してアジェルのほうは、安眠を妨げられた事と、心臓に悪い冗談やらで酷く機嫌が落ちているようだ。普段は仮面を貼り付けたように感情の起伏の乏しい表情も、今は瞳を細め眉間に皺を寄せている。今話しかけようものならば、八つ当たりの対象になる。そう周りに思わせる雰囲気を身に纏っていた。

「いや、あんたらに挨拶してから部屋に入ろうと思ったけどな、寝てる奴居るからちょっと起こしてやろうと思ったんよ。けど中々起きないしなぁ」

 確かにアジェルの寝起きの悪さはエフィー達も良く知っている。それ故に、朝と眠っている時は彼に近付かないようにしていると言うのに。それを知らないリューサは、とりあえずアジェルの嫌がりそうな事を思いつき、それを実行してみたらしい。結果としてはアジェルは起きたし、リューサの思惑通りなのだが、投げ飛ばされる事までは予測していなかったようだ。
 投げ飛ばした本人は、かなり不満があるようで、更に柳眉を吊り上げる。

「次やったら屋上から放り投げるよ」

 やはり怒っているらしく、いつもよりも強く発せられた声色は微かに怒気を含んでいた。
 だが、その言葉を受けたリューサは飄々と笑い、別段悪いとも思っていないような口調で軽く謝る。それを横目に眺めていたエフィーとジュリアは気が気じゃなく、更にその隣のラーフォスは何故か楽しそうだった。

「いやー、砦回ってるうちに誰かが部屋に入るとは思ってたけど、まさかあんたらだったとはな。偶然って案外あるもんだな」

 一人で納得したようにうんうんと頷いて、リューサは寝台の端に腰を下ろした。エフィーはようやく我に返り、横目でエルフの様子を窺いながらリューサに声をかけた。

「何で砦を回ってたんだ?」

「ん? ああ、それは夕飯が出るかどうかを確かめる為さ。何せ何も無いだろ、この部屋。これじゃあ自炊する訳にもいかんし、食堂の場所くらいは調べないといけないからな。それに、ちょっと調べもんもあったんよ」

「調べ物?」

 今度はジュリアが尋ねかける。リューサはへらへらした表情を引き締め、真っ直ぐにジュリアを見つめながら一言、呟いた。

「そっ。何でも、この国にお宝があるらしいって話の調べもんをな」

「お宝?」

「ああ、神々の宝が眠ってるっていうな」

 神と言う単語が出てきて、一番に飛び付いて来たのは当然の如くエフィーだった。間を置かずにそれは何かと訊ねると、リューサはにんまりと口角を上げた。

「あんたらも興味あるか? 随分昔の噂なんだけどな、あー……、六百年くらい前だったかな。何でも神族がこの国に来たとか何とかで、その時に落し物してったらしくてな、それが今でも城のどこかにあるって話だ」

 神の落し物と言う時点で信憑性やらに欠ける感じがする。しかし、封印の森にいた古代神の事を考えれば、その話もあながち嘘とは言い切れないのかもしれない。それに、レイルの足跡が途絶えた事もあり、少しは神族に関する手掛かりになるかもしれないと、そんな淡い期待が浮かぶ。
 周りの様子を窺うと、ラーフォスは興味深そうに耳を傾け、ジュリアはあまり興味なさそうに再びミストと戯れていた。アジェルはラーフォスほどとは言わないが、それなりに興味があるようで、先ほどの機嫌の悪さは少しばかり中和されているようだった。

「でも、何でリューサがそんなもの探してるんだ?」

「何でって、神族じゃねぇか。し・ん・ぞ・く! はぁ、最近の若い者は神話に疎いって言うけど、本当だなぁ……。神族って言えば、一夜で世界を崩壊させたって伝説持ちの化け物集団だろ? その落し物となれば、かなり価値あるものに違いないぜ?」

 半ば説教じみた口調でリューサは言い切った。
 エフィーとしては、神話に疎いと言われた事が始めてであり、そう言う見方をされた事に少しばかりむっとする。理知的な雰囲気など持っていないし、間違っても頭脳明晰に見えないとは理解している。だが、これでも生まれてから十年以上は独学だけれど神学について学んできた。狭い翼族の村で学べる事など微々たるものではあったが、神話に興味を持たないそこら辺の若者と一緒にされるのは些か腹が立つ。

「僕だって、神族が至高の一族だって事くらいは分かってる。天地創造から世界が滅びたところまでの話も知ってるよ。……だけど、リューサは価値あるものが欲しくて、わざわざこんな危険な場所に来たのか?」

 確か、出会い頭に彼は富と名誉がどうとか言っていた気がする。冗談だと受け流していたが、実は本気だったのだろうか。価値あるもののために、戦が始まろうとしている場所に進んでやってきたというのか。当てになるかも分からない噂を頼りに、神族の遺物を探すのだろうか。外見からも、その性格からも、彼が富を求めているだけの人間には見えない。むしろそう言ったものには無頓着のように見えるのだけれど。

「まあ、そう言えばそうだな。ずっと探してたっちゅう事もあるし、今回は結構期待してるんだよな。もっとも、見つかる保障なんて無いけどな。何せこの噂聞いたの、十年前だし」

「は?」

「いや、だから十年前……。いや、二十年だったか。結構前って事だけは憶えてるんだけどな。ま、噂っちゅうのは不確定なもんが多いしな!」

 そんな生半可な言葉だけで、命の危険があるかもしれない場所へのこのこやってきたこの男の真意がわからず、エフィーは心の中で溜息をついた。世界は広いと、思い知らされた気がする。

「神族の落し物なんて見つけて、どうする気?」

 機嫌よく笑みを浮かべていたリューサの視線が斜めに向き、静かに紡がれた言葉に楽しそうとは違う微笑を向けた。

「どうもしないさ。ただ、欲しいんだ」

 駄々をこねる子供のような言葉を、ただ一言呟いて、リューサは笑った。

「でもさ、そんなたいそうな物、王様の許可なしで持ち出せるとは思えないけど? むしろ、そういう物って、宝物庫かどこかにあるんじゃないのか?」

 神族の遺産ともなれば、国で扱う場合厳重に保管されていると考えるのが当然だ。それに、そんな物をラキアの王が簡単に手放すとは思えないし、こっそり持ち出す事だって容易じゃない。第一、「欲しい」と言っている彼だからこそ、最悪の場合、盗みでも働くつもりではないかと、微かな不安が過ぎる。だけど、彼が根っからの悪人には到底見えない。

「そこなんだよなぁ。何でもあれはラキアの王自身、見た事無いらしいぜ。……つまり、まだ見つかっていないんだ、その遺物は」

「それじゃあリューサはどうやって探す気なんだ?」

 長年城に住んでいたはずのラキアの王自身見つけていないものを、どうやって見つけるというのか。ましてや、噂自体当てにならないというのに。考えたくは無いが、石畳全部ひっくり返して探すつもりなのだろうか。

「んなもん、魔族が見つけた所を横取りするに決まってるだろ」

「はぁ?」

 ミストと戯れていたはずのジュリアが顔を上げ、呆れたような声を出す。
 だけどもリューサは至って真面目に、もう一度同じ言葉を繰りかえした。

「だから、魔族から奪うんだって。いいか、よーく考えてみろ。破壊と殺戮に至上の喜びを覚える魔族が、国中の者を追い出して篭城してるんだぜ? それこそ、神の遺物目当てに決まってるじゃねぇか。世間知らずなあんたらは知らんかもしれないけど、ラキアに眠る神の遺物は結構有名な話なんだぜ?」

 確かに、城に篭っている魔族の動きは不審だ。何の意味があって、国一つ乗っ取ったのかも分からない。だけど、リューサの言うとおり、遺物が目当てなのならば、話が通るかもしれない。つまり、城に篭城している魔族たちは、神族の遺物を探すために邪魔なラキアの人々を無理矢理追い出し、何をするでも無く城を守らせるかのように魔獣を呼び出し、邪魔される事を防ごうとしている。
 話の筋が見え、エフィーは納得したように頷いた。

「へぇ、それじゃあ魔族は宝探ししてる訳なんだ」

 神々の遺物ともなれば、魔族にとっても価値があるのだろう。
 そしてそれほどまでに彼らが欲する遺物に、微かな興味を覚える。

「その神の遺物って、一体何なんだ?」

 まさか行方を眩ました蒼き宝玉などではないだろうが、それでも魔族が必死になって探しているほどの何か。一体それはどんな物なのだろうか。命の危険を冒してまで欲しいと言うリューサなら知っているのかもしれないと、淡い期待を込めて訊ねてみる。すると、リューサは悩む間も無くあっさりと一言、言い放った。

「命を司る、蒼きグレンジェナだ」

 リューサの一言を境に、ほんの僅かであったけれど、四角い部屋の場は冷たく固まった。
 知りたいと望んだのは自分自身なのに、その単語だけは聞きたくなかったと、そう思う。
 何故か心に棘を刺されたような気がして、エフィーはぎこちなく笑って受け流した。






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