白と黒の狭間


 陽は既に西の彼方に没し、紺青の夕闇が空を覆い尽くす頃合、ラキアの砦はざわめきだした。
 長く続いた「公演」がようやく終わりを告げ、王が集められた人々の前から姿を消したのは、陽が今にも沈みそうな時刻だった。その間立ちっ放しで無駄の多すぎる話を聞いていた者達は、呆れ半分、苛立ち半分にようやく砦の中に入ることを許された。
 勿論、その中に紛れて、エフィー達も砦に入り込んだ。
 長い説明を律儀に聞いていたらしいラーフォスは、砦の中の沢山ある部屋は好きに使って良いらしいと教えてくれたので、エフィー達はまだ誰にも使われていない部屋を探した。砦の中の部屋には簡素な寝台のみが配置されているだけの、ただ、ぽっかりと四角く暗い部屋があるだけだ。扉こそ木製の普通のものだが、窓すらないその部屋はまるで牢獄のようにも見える。この場所で過ごすと思うと、エフィーとジュリアも溜息が込み上げてくるのを止められなかった。
 寝台は一つの部屋に六つづつ置かれていた。部屋自体そう広くは無いので、六人が寝泊りするので一杯一杯だ。エフィー達一行は四人なので、ほぼ部屋を一つまるまる取りたいところだが、出だしに遅れてしまったので四人一緒にいられる部屋が中々見つからない。お陰で広さだけはある、石造りの冷たい砦を歩き回る羽目になった。
 砦は思ってみたよりも広く、石造りながらかなり精巧に作られているようで、守りに関してはそれなりの保障はされているようだった。中心部は広間があり、その周りを円形に廊下が続き、廊下を挟んだ外側の壁に面して個室が用意されているようだった。既に砦の一階と二階の個室は満員で、とてもではないがエフィー達が入り込める雰囲気も隙間も無かった。後は、風通しが少しばかり良さそうな三階のみ。
 ジュリアはうんざりしたように眉間に皺を寄せて、苛立ちを体現するようにいつもよりも歩く速度が速く、近付きがたいオーラを発しているように見えた。

「あのお喋りがさっさと終わらせてくれればいいのに。そうすればこんなに疲れなかったわ」

 前を歩きながら、憤りを隠す事無く感情のまま口にする少女は、それでも思慮深く空いている部屋はないかと視線を左右に流していた。

「まともだったの、始めのほうだけだもんな。後半からは魔族の罵倒に変わってたし」

「あんな王様じゃあ、国とられて当然よ。そもそも、魔族が襲ってきた理由もわかってないなんて、大丈夫かしらあの人。なのに、明日から魔族撃退の為のなんたらかんたらだもの。呆れて物も言えないわ」

 王の演説にジュリアはかなり腹を立てているようだった。それもそのはず。詳しい事情も、今の状況も説明されず、明日から魔族討伐のために王都ラキアへ進むらしいのだ。
 砦からラキアまではそう遠くない。徒歩でも一時間かからずに辿り着く事ができるだろう。砦の頂上からはラキアの城が見えるのだから。
 だが、はいそうですか。と簡単に言い切れるわけでもなく、かと言ってエフィー達が抗議する理由も無く、明日は徴集されるまま流される予定だ。多分恐らく、魔族を討ち取る為に未だ慣れない剣を握る事になる。それがエフィーにとって今一番の憂鬱だ。ジュリアとアジェルの場合、魔族が恐ろしいとは感じていないようだったが。

「まあ、もし魔族を討ち取ったら報酬がもらえるらしいですし、ラキアで色々と買出しをしなくちゃいけないのですから一石二鳥じゃないですか」

 確かに、山越えをするなら防寒具一式をそろえる為に、それなりの出費は考えなくてはいけない。エフィーの手持ちの旅費だけでは少しばかり心もとない。ならばいっその事、魔族を討ち取って報酬の金貨をごっそり頂こうと言っているらしい。
 最も、それをこなすだけの力量があれば問題は無いのだけれど。
 魔族が討ち取れなかった場合、徴集された傭兵達には微々たる報酬しか与えられない。王と呼ばれるその人からその言葉が発せられた途端、耳を塞ぎたくなるような反感の声が屯した。それもそのはず。報酬目当てでやってきた者も、少なくは無いのだ。

「大体やってることが横暴なのよ。何で私達がこんなくだらないことに巻き込まれてるのかしら」

 最初、乗り気だったとはとても思えない様で、ジュリアは苛々と言葉を吐き出す。
 と、前を歩く彼女の足が止まった。不意にジュリアを見やると、彼女の視線の先には一つの個室があり、エフィーもつられてそちらを覗くと、まだ誰にも取られていない空室があった。

「ラッキー……かしら?」

 不幸中の幸いか、とりあえず部屋を得る事が出来たので、ジュリアの怒りは少しばかり削がれたようだ。エフィーもとりあえず、一息つける場所を手に入れられて、ほっと落ち着く。  まだ後ろからぞろぞろとやってくる、部屋を見つけていない者達に取られる前にと、エフィー達は早速部屋へと入り込んだ。
 部屋に入り込んでから出た一言は、少しばかりの困惑の言葉だった。

「……え?」

 部屋はがらんとしていて、誰もいないはず。だが、不自然に一つの――廊下からは壁の死角になっていて見えなかった場所の寝台の上に、見慣れない荷物を見つけ、驚く。誰かが先に荷物を置いていたのだろうか。けれど、荷物が置いてある寝台は壁側の一つだけで、他の五つは空いている様だった。

「どうする? 他に探す?」

 出来るならば四人だけで部屋を取りたかったエフィーとしては、誰かが居るのは良くないかと思い、後ろを振り返り訪ねる。視線を泳がせた先で一番初めに目が合ったのはアジェルで、すぐに返事をよこしてくれた。

「他に見つかるかわからないし、一人くらい良いんじゃない?」

 恐らく一行の中で最も神経質と思われるアジェルがそう言うので、エフィーはこの部屋で落ち着く事を決めた。荷物の主は帰ってはきていないようだが、後で挨拶すれば問題ないだろう。そんな訳で、四人は好き好きに部屋の寝台を乗っ取り、寛ぎ始めた。


◆◇◆◇◆


「ジュリア、魔族ってそう頻繁に地上界に出てくるもんなのか?」

 寝台の上でだらしなく横になりながら、エフィーは隣の寝台の上でアジェルの元からひっ攫ってきたらしい小さな竜と戯れる幼馴染に声をかけた。ミストはジュリアの手から小さな焼き菓子の欠片を奪おうとして、小さな体のばねを最大限に駆使して忙しく飛んだり跳ねたりを繰り返す。ジュリアはからかうように子竜の届かない所に菓子を持ち上げたり、わざと近づけたりして遊んでいたが、エフィーの言葉に振り返った。

「さぁ。普通は無理なんじゃないかしら? 今回はきっと特別よ。だって、ルーン大陸のどこかに、『ゲート』が開いちゃったって、ラーフォスが言ってたじゃない。だから、こんなに行く先々で魔族に遭遇するんだわ」

 思い起こせばゲートが開いた事と、セルゲナ樹海の西の亡霊に扮していた魔族は関係あったのかもしれない。ゲートが開いた事により、また、あの魔族が水の属性で、長く続いた雨も相まって魔族の力が強まり、それで長い封印から解き放たれたのかもしれない。

「ゲートって、簡単に開くものなのか?」

「まさか。空間を無理矢理捻じ曲げてできるものなのよ。いくらなんでも頻繁に出現する訳ないわ。……まぁ、例外で力ある魔族なら作り出すことが出来るらしいけど」

「今回のが力ある魔族が作り出した奴だったら、大変だな」

 勿論、その場合は即、関わらないで去る気だけれども。

「まあね。でもそんな魔族、そうそう地上界に出てくる訳ないわ。暇じゃないもの」

「そうだよな。能ある鷹は爪を隠すって言うし」

 しばらく下らない談笑をしながら、ごろごろと転がっていると、エフィーの視界に部屋の隅の寝台の上で眠るアジェルの姿が飛び込む。そう言えば、このエルフは部屋に来て早々寝台に滑り込み、眠ってしまっていた。普段から睡眠を異常なほど多く取る性質だけれど、いくらなんでも寝すぎじゃないかと思う。そんな事をふと思うが、すぐに興味を逸らし再び部屋の中を見渡す。ラーフォスは何か本を読んでいた。表紙の内容から察するに、魔道書か何かのようだった。

「ラーフォス、何……」

 読んでいるのか。問おうとした言葉は途中で途切れた。変わりに部屋の隅から大袈裟な罵声が飛んだ。エフィーの知る言葉ではなかった。紡がれた言葉は、寝起きの為か掠れながら、それでも耳を突くような大音量で部屋に響いた。
 エフィー、ジュリア、ラーフォスは一斉に声がしたその場所に視線を走らせる。三つの双眸の先には、アジェルが寝ていたはずの寝台があった。その上では今にも殺しかねない勢いで、見知った黒い男の首を片手でぎりぎりと締め上げながら、眉根を寄せて男を睨みつけているアジェルがいた。
 突然の事態に呆気に取られ、ジュリアは手にしていた焼き菓子がミストに奪われた事も気付かなかった。

「り、リューサ?」

 黒い髪に黒い肌の、異国の装束を纏うその人は、首を締められているにも関わらず、にへらっと笑いながら振り返った。

「また会ったな。あ、不法侵入じゃないぜ。オレの荷物、ここに置いとったはずだから」

 放置されていた寝台の上の荷物を視線で指され、エフィーは納得する。つまり、部屋を先取っていたのは、この黒いエルフらしい。それは理解できたが、何故彼が眠っていたアジェルに首を締められているのか理解しかねる。

「あのさ、何してるの?」

 アジェルの鋭い視線がエフィーに向けられたため、あまり聞きたくないような気がするけれど、とりあえずエフィーは尋ねてみた。すると彼は、親指を上に立てて突き出し、さらについでにウインクまでして得意気に一言、躊躇いも無く言い放った。

「眠り姫ごっこ」

 次の瞬間、見事なまでに彼の体が宙に浮き、彼の荷物の置いてある寝台まで吹き飛んだ。






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