白と黒の狭間


「……で、これからどうするの?」

 満面の笑みを仮面のように貼り付け、ジュリアはエフィーに問い掛けた。その一皮向いた先にある怒りに恐怖を覚えつつ、エフィーは視線を斜めに流す。そして助けを求められそうな誰かを探してみる。が、視線の先には我関せずと言わんばかりにこちらに背を向けたアジェルと、例の黒いエルフ――リューサと談笑するラーフォスだけだった。どこをどうひっくり返しても、ジュリアが怒りをぶつけるべき標的になるのは、この中ではエフィーだけ。
 エフィーは仕方なさそうに、辺りの様子を窺った。
 砦に着いて、一緒に馬車に乗ってきた傭兵や旅人、派遣されてきた聖職者たちは、ひとまず砦の門をくぐった先にあるこざっぱりとした円形に広がる広場につれてこられた。馬車で分けられてしまっていたエフィーとジュリアも、ジュリアがラーフォスの腕を無理矢理引いて、他の人々が列を作る中を裂いてこちらに合流してきた。
 そして、何故か馬車で偶然助けてしまった黒いエルフはこちらに着いてきている。見たところリューサには、他に連れが居ないようだった。

「どうする、って言われてもなぁ。目的地は魔族に落とされちゃったらしいし、そもそもこの大陸で他の町に行くとしたら山越えしなくちゃいけないらしいし」

 ルーン大陸は一癖も二癖もある地形をしている。海に面した外側は、大半が切り立った崖で、少ない砂浜は船着場でぎりぎりだ。大陸の三分の一ほどは樹海が広がり、中心部には王都ラキア、そして東北側には凍れるルーン山脈が聳え立っている。その山脈を越えた先にある、世界最大の大陸に向けて船を出す港町フェルベスはルーン山脈を越えるか、もしくは大陸の外側を大きく迂回して行くかである。どちらにしても、大いに時間がかかるか、もしくは準備が必要で、エフィー達はその準備をラキアで終えるはずだった。山脈を越えるならば防寒着などが必要不可欠であるし、山脈を迂回してのルートを進むならば食料云々の買い足しをしなくてはいけない。徒歩で行くのだから、それらを一日遠いアダートまで戻り買い足す訳にもいかず、仕方なしの状況だ。
 そして何よりも、エフィー達の目的は旅をすることではない。探し人を見つけないくてはいけないのだ。
 雀の涙ほどの足跡を辿りながら、たった一人、神の血を受け継いだと言われるレイルを探さなくてはいけない。そのためには、こんな所で留まる訳には行かないのに、状況は芳しくなかった。

「どうしてこう上手く行かないのかしら……? って言うか、そもそも何でラキアが魔族に襲われてるのよ。魔族だって無意味に人間を襲う程暇じゃないでしょうに」

 魔族は人間を時に食料として殺す事がある。しかしそれは自然の理以上に殺す事はあまりないし、ましてや国一つまるごと占拠するなど前例の無い話。最も、前例があるかないかは、セレスティス以外の大陸を知らない二人には分からない事だけれども。
 それでも、聞いた話では魔族は誰一人傷つける事無く城と町を奪ったと言う。
 それが意味する事は、彼等は殺戮目的でも魔族特有の残忍な遊びでも無いと思われる。何か目的でもあるのだろうか? 不意に疑問が浮かび上がるが、大して興味を持つほどのものでもなく、すぐにその事はエフィーの脳裏から離れた。

「人騒がせな話だよな。僕らまで巻き込まれてるし……」

「つまり……、その人騒がせな魔族を撃退するまでは、足止めを食らう訳なのかしら?」

「そうじゃないかな。何せ、行く場所が他に無いんだから」

 思わず二人の口から、落胆の溜息が漏れた。
 そして、ジュリアは深く沈み込むように瞳を曇らせた。ほんの一瞬、見間違いかとも思うほど僅かな時であったが、その翡翠色の瞳に深い影がちらついた気がした。だが、エフィーがそう思ったつかの間、ジュリアは急に顔を上げて、力強く一言、嬉々とした様子で言い放った。

「つまり、その魔族をぶっ飛ばせば、それで万事解決って事ね!?」

 彼女にとっては、国一つまるまる乗っ取った魔族にすら恐怖を抱かないようだった。それどころか、しとやかさの欠片も感じられない発言に、エフィーはただ呆れ果てるしかなかった。

「あのさ……、そんなに簡単だったらこんなに傭兵を募ったりしないんじゃないかな」

 もっともらしい言葉を言うけれど、ジュリアはけろりと言い返す。

「あら? たかが魔族相手に本当に大袈裟ね。こんな辺境地で遊んでるような魔族が、大したことある訳ないじゃない」

 元来より楽観的なジュリアにとって、大騒ぎしているラキアなどどうでもいい事らしい。

「そうは言ってもなぁ」

 実際被害を受けたのはエフィー達ではないし、魔族がどんなものなのか知らない。ただ、これだけ大勢の戦力を集めているのだから、生半可な事ではないような気もする。けれどやはり関わりたくないと思う自分が確かに居た。ジュリアの言うとおり、さっさと終わらせてしまいたいところだ。勿論、自分にそれをこなすだけの力があるとは思えないのだけれど。
 二人がわいわいと話し合っていると、一人辺りを見回していたアジェルがこちらに近寄ってきた。その表情は特別厳しい訳では無く、いつも通りどこか冷めはいるが怒ってはいなさそうだ。エフィーの判断で一行は馬車に乗るという結果になってしまった為、それなりの責任を感じていたエフィーは心の奥底で安堵する。恐らく、ジュリアの次点で短気なのはこのエルフなのだから。

「まわりが噂してたけど……、城に立て篭もってる魔族は二人らしいよ」

 手を伸ばせば届くくらいの距離まで近づき、アジェルは口を開いた。

「二人の魔族にこれだけの傭兵? ……アホらしい」

 小馬鹿にしたように、ジュリアは大きく肩をすくめて溜息をついて見せた。
 だが、エフィーも少しばかりその気持ちに同調できる気がした。いくらなんでも、ラキアのしている事は大袈裟なのではないかと思う。巻き込まれた身としては、いい迷惑だ。

「それで、どうするんだ?」

 アジェルの意見はどうかと、聞いてみる。

「……とりあえず、はた迷惑なそいつら潰しとく」

 ほんの少しも淡々とした表情を崩さずに、アジェルはそう言いきった。
 エフィーは言われた意味を心の中で復唱してから、出てきた答えに吃驚する。

「……は?」

「だから、魔族殺っとく」

「ええぇっ! それって、つまり、これに参加するって事じゃ……」

「そう。その方が早そうだし、もしかしたら何か見つかるかもしれないし」

 不可能とか、力量不足だとかは考えないのだろうか、この連れ二人は。
 思わず突っ込みたい衝動に駆られるけれど、かといって自分にいい考えがあるわけでもなく、返せる言葉が見つからずに口をつぐむ。
 すると、ジュリアがエフィーの方をポンポンと軽く叩いた。

「そんなに深く考えることじゃないでしょ? この私だっているし、これだけの傭兵もいるんだから」

 一人で相手にするわけではないし、ましてや必ずエフィー達が魔族と戦う訳でも無いのだから安心しろと、そう言うことらしい。それに、今は行き場が無いのだから、流れに身を任せるしかないのかもしれない。それはそれで不安だけれど、仕方が無いのだから受け入れるしかない。
 エフィーは困ったように幼馴染に引きつった笑みを向けた。ジュリアもにっと口角を上げて微笑み返す。

「大丈夫。きっとなんとかなるって」

 その自信は一体何処から来るのか、世界七大神秘にも等しいくらい頭を悩ませる疑問が思い浮かび、それでも口にすれば痛い目を見るのはエフィー自身なのだから、あえてそれ以上は追求しない事にした。
 ただ、何か悪い事が起きてしまうような気がして、エフィーはぼんやりと徴集された人々が群がる広場の中心を眺めた。ざわめく人々は本当に色々な人が居て、状況が別ならばもっと驚きながら興奮していたかもしれない。各地から集められた腕に覚えがある者や、何かしらの魔術を操る者。平穏でない大陸だからこそ見ることの出来る、一種異様な光景。冷めた平和に包まれていたセレスティス大陸に無かったもの。
 そして溜息を吐く暇も無く、集った嵐が動き始めた。
 広場の中心、少しばかり高く掲げられたその場所に、黄昏色の冠を豊かな黒髪の上にのせた男が姿を表す。ラキアの王その人が、集った傭兵達の前に姿を表したのだ。同時に、ざわめいていた周囲が次第に声を失ったように静かになっていく。
 エフィーもつられたように口をつぐみ、成り行きを決めるその人を見つめた。






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