空の上と下


 辿り着いた船着場のチケット売り場は、さほど混雑してはいなかった。人々は皆、出港間近なのでチケットなど当の昔に買ってしまっているのだろう。もしくは完売しているか。どの道、すんなりと並ぶ事無く辿り着く事が出来たので、それに越した事は無い。
 レイルは小さな木と煉瓦で作られた小屋の窓に近付いた。大きく開いた売り場の窓からは、新聞を読む小柄な男が覗ける。先日、レイルがチケットを買ったときとは違う男だ。
 男は近づくレイルに気付くと新聞を読むのをやめ、俗に営業スマイルと言われているらしい、零れ落ちそうな笑みを浮かべ迎えてくれた。

「いらっしゃいませ。乗船券をお求めで?」

「違う。客のリストか何かを見せてもらいたいんだ。最近の奴を」

 いつ頃の船に乗ったのかは分からない。
 それならば片っ端から調べるまでだ。
 男は少しだけ考えてから窓際にある机に行き、引き出しからファイリングされた名簿らしき物を持ってきた。

「個人情報が書いてある訳ではないですから、大丈夫でしょう。誰かお探しで?」

 そう言って、男は黒いファイルを差し出してきた。

「ああ、ちょっと行方不明になった奴がいてな。急ぎで探しているんだ」

「そうですか。最近は何かと盗賊やら海賊で物騒になってきましたからね。乗客に対して名前などを控えるようになったんだ。まぁ、住所までは分からないからあまり意味は無いんですけどね」

 男が少しばかり躊躇った理由が分かり、レイルは礼を言ってからファイルを受け取った。
 確かに、個人情報や住所などが書かれていては見せる事はできないだろう。けれど、運良くこれは出身地と簡単な名前だけだ。ページを捲ると、名前を愛称や通り名らしきものなどで書いている者もいた。これならば、見せても問題ないと判断したらしい。
 レイルは前の船に乗り合わせた人々の名前を指でなぞりながら、淡い水色の瞳を凝らして一つ一つ確認していく。約二十余名の名前が書かれた一ページ目には、それらしい名前は無かった。
 ファイルを捲り、次の名前を見ていくと、見知った名前がそこにはあった。

「ラーフォス……?」

 それは、先日デューベルでたまたま会った、神出鬼没な自称吟遊詩人の名前。割と珍しい名なので、そうそう見かけることは無い。出身地には、恐らくありもしない所を記しているようだった。レイル自身、彼の出身地は知らない。もっとも、知りたいわけではないのだけれども。
 レイルはその名を暫く見ていたが、すぐに考えを切り替えると、名簿の下へと指を下ろす。
 ラーフォスの下には、出身地セレスティスと書かれた二つの名前があった。
 不思議に思ったけれど、それよりも不審な前三人の下に書かれた名前に思わず目を見張る。探していた文字が流れるような上手いのか下手なのか分からない文字で綴られている。
 そこには、死んだ時かされていたレイルの片割れの愛称が、彼の特徴ある字で書かれていた。

「アジェル」

 その人は、正式名称の前の三文字で名を呼ぶと怒る癖があった。名前が女の子みたいだからと。
 けれどレイルは、嫌がるその名でわざと呼んでいた記憶がある。何となく、皆と別の呼び名を呼びたくて。でも、探している兄はこういったリストには正式名称は書いていないだろう。レイルだって長い正式名称は滅多に口にはしない。エルフの村で、それは一種の特殊な意味が込められていると伝えられ、その名は親と親しい者達にしか知られてはいない。レイルの名を言えるのも、家族と極数人の者達だけだ。
 そして兄が自身の名を書くとすれば、それは普段呼ばれている愛称の方。
 何よりも、出身地が封印の森と書かれている事が、この名前を書いた人物を決める。

「まさか……」

 生きている?
 この三年間、もう二度と会えないと思っていた。死んだと聞かされてから、どれほど絶望していただろう?
 それらは全てこの瞬間に消えうせた。
 今すぐにでも探し出して、ただその姿を見たかった。三年もの間離れ離れになっていた片割れを。生きているのならば、レイルと同じ十七歳になっているのだろう。何よりも、無事でいてくれているのならば、それだけで十分だ。
 そこで一つの疑問が浮かび上がる。
 何故、セレスティス大陸を出てきたのだろうか?
 神々すらも立ち入る事が許されない大陸にいれば、身の安全はある程度保障される。外の世界は神々の手がすんなりと届く。当然の如く、魔族からも神族からも刺客を向けられていたレイルはそれらを全て焼き払ってきた。それは母である破壊と再生を司る古代神の巨大な力を受け継いだからこそ出来た芸当。そして故郷の外は常に危険がまとわりつく場所だ。そんな世界へ、力を持たないはずの兄がむざむざ出てきた理由は?
 恐らくラーフォスも共にいるのだろう。
 母である古代神と妙に親しげだった金の髪の青年は、レイルとアジェルに関してもつきまとってくる節がある。何の為なのかは知らないけれど、決して悪い奴ではない事だけは確かだ。
 様々な疑問が浮かぶ。もしかしたら、自分を探しているのだろうか?
 そんな事を考えていると、後ろから聞き慣れた声が投げつけられた。

「レイルったら、こんな所で何をしているの?」

 さっと振り向くと、少し離れた場所に彼が連れるお荷物がいた。
 美しいという訳ではないが、どこか不思議な雰囲気を持つ女性だった。長い鳶色の髪は背中の真ん中辺りで邪魔にならないように縛り、化粧気の無い顔は一言で言えばシンプルな感じだ。背は女性にしては高い方で、レイルとほとんどど目線も変わらない。それでも人目を引く巫女装束のような服装が、彼女の職を現している。恐らく神に仕える者か何かだろう。
 レイルよりも少し年かさの少女と言う域は脱しているであろう女性は、腰に右の手を当てて、空いている左腕には見るからに重そうな一抱えを遥かに超えたような紙袋を抱え、機嫌が悪そうにレイルに冷めた視線を投げつけた。

「あんたには関係ないだろ。第一あれだけ待たせておいて、ちょっとの買い物の結果がそれか?」

 レイルは女性の持つ大柄な子供程もある紙袋を指差して溜息をつくと、視線を逸らしてファイルを閉じる。

「あなたの話に関係なくても、この荷物を持つ義理はあるわ。こう言うのは男の子の役目でしょ? それにこんなのちょっとじゃない」

 そう言って女性は何を買ったのか聞きたくも無い巨大な紙袋をレイルに押し付けるように差し出した。

「自分で持てよ」

 レイルは荷物を受け取らずに、売り場の男に視線を移す。すると女性は再び抗議の声をあげた。

「あら、か弱い女に力仕事をさせる気?」

「か弱い女は片手でそんな馬鹿でかい荷物持ち上げたり出来ねぇよ」

 女性は「失礼ね」と呟くが、それ以上押し付けようとはせず、レイルの隣に並んで何を見ていたのか気になり、覗き込んだ。
 彼女は清楚なその外見からは予想もつかないほど力持ちでもあるのだ。これくらいの荷物など、さほど重いとも思っていないだろう。恐らくレイルと腕相撲でもしようものならば、彼女はいい勝負の後に勝利を収めるであろうからこそ、あえてレイルは手を貸そうとは思わなかった。彼女もそれが分かっているのか、別に気を悪くした様子も無く、再びレイルに話し掛けた。

「レイル、もうすぐ出港時間になるわよ? 早く船に乗りましょう?」

「ああ、だけどその前に聞きたい事があるんだ」

 レイルはファイルを窓際にいる男に差し出した。

「この船に乗った奴が何処に行ったか分かるか?」

「ええ、分かりますよ。その定期船はルーン大陸のセルゲナ樹海に面する港に行きますね。それからセルゲナ港からダリス大陸への連絡船があります。ほとんどの乗客はこの連絡船に乗り換えるんですが、先の船では数人ルーン大陸で降りる人がいましたね」

「ルーン大陸に? それはどういう奴だった?」

 レイルが問い掛けると、男は記憶を辿るように額に指を当てて少し考え込んでから、レイルに差し出されたファイルのページを軽く捲る。

「あぁ、これです。この四人連れの人達と、あとは、多分この人じゃないかと」

 男はレイルにも見えるようにファイルを傾けて、いくつかの名前を指差した。
 指差されたその中には、ラーフォスから始まりアジェルの名前までの四人が含まれていた。

「今時ルーン大陸に行くなんて、変わってますよね。何でもゲートが開いて、魔族が溢れるようにうじゃうじゃしているって話ですからね」

 それは最近では割と有名な話でもある。デューベルは海を隔てていて被害は受けていないけれど、噂は大海を越えても流れるものだ。ルーン大陸は世界でも屈指の強国でもあるので、そう簡単に落ちることは無いと思われているが、それでも魔族の被害は簡単な言葉で説明できるものではない。そのような場所へ行く理由でもあるのだろうか?
 レイル自身がルーン大陸に向かおうとは思っていた理由は、ただ目的も無いのでうざったい魔族でも全滅させてやろうと考えていただけだ。だからラーフォスに南に行くと伝えた。それらを考えると、やはり彼らはレイルを追っているのだろうか……?
(そんな訳無いな)
 探されたからと言って、何がどうにかなる訳でも無い。
 それでも、レイルの方は彼らに用事がある。
 いや、彼らのの中の一人にだ。

「そうか……。邪魔して悪かったな。おい、行くぞ」

 レイルは話が分からずに考え込んでいる女性に声をかけると、船の方へと向かって歩き出した。
 女性はそれに気がつくと慌ててレイルを追い、その隣に並んで歩く。

「何か見つけたの?」

「ああ。目的が出来た」

「それって、あの女の子の事?」

「違う。リィーナはまだ目覚めないだろうから……。俺の兄が見つかったんだ。ルーン大陸に向かったらしい。だから、それを追う」

 レイルがそう答えると、女性は急に口を閉ざした。おしゃべりな彼女が急に押し黙ったので、ふと気になりレイルは女性をちらりと横目で見る。
 彼女はぼんやりと何かを思い出すように空を見ていた。つられて、レイルも空を見上げる。
 青々とした空のもと、光は零れゆっくりと白い雲が流れていく。

「あなたのお兄さんなんて、どんな偏屈な性格の持ち主か見てみたいわ。勿論、私も着いて行って良いのよね?」

 くすくすと笑い、女性はレイルにそう問いかけた。返る答えは分かっているけれど、それでもつい聞きたくなってしまう。

「好きにすればいい。とりあえず、宿から荷物を運んでこないと始まら無いな」

 そう言ってレイルは歩調を速めた。それが彼独特の誤魔化し方だと知っている彼女は、薄く微笑んでから少年の後を追った。きっと、子を持つ母の気持ちはこういう感情に似ているのだろうと思う。まだ、母になるには早いかもしれないけれど、女性がレイルに抱く感情は幼い子供に対するもの。
 人間も魔族も、そして神すらも憎む少年に傍にいる事を許された女性。それはきっと、新世界で彷徨うレイルを助けたディアだけの特権だろう。
 思い起こせば彼と出会ったのも、こんな青空の日だった気がした。

「おい、ディア。早く行かないと船がまた出るだろ。急げよ!」

「はいはい。でも今度は乗船券なくさないでよね」

 ディアと呼ばれた女性は笑顔を浮かべて、レイルの後に小走りに続いた。
 晴天の青空の下、二人は新たな目的とともに人ごみへと消えていった。






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