久遠の眠り


 その後、静かに佇むエフィーとアジェルの元に、アダートの長老だという老人を引き連れたジュリアとラーフォスが現れた。
 長い時を生きてきた、九十そこいらの長老は、自らの知るロディの事を全て聞かせてくれた。
 ロディは長老が子供の時から存在していたらしく、その当時はまだ亡霊になる前だったという。
 そして、突然の黒い訪問者の事。それが神族かどうかは彼には分からなかったけれど、その時にロディの命が尽きた事を教えてくれた。そして、呪いのように現世に留まり続けたロディ。せめて亡霊と成り果てた彼の眠りが安らかであるようにと、アダート村に偽りの幽霊話を流し、決して西の森には近づけないようにとしていた事。
 それでも、事は長老の留守に起こってしまった。偶然が重なった惨劇。
 結果、ロディは半ば強制的に自らの死を知り、空へと還っていった。でもそれは決して幸せな終わりではないし、彼の想いは精霊に届いていない。
 もどかしくて、それでもどうにも出来ない事が何よりも苛立たしかった。
 そして、長老は自分に降った不幸のように、ロディの事を悼んでいた。
 それはきっと嘘ではなく、彼が今の今までロディを影ながら見守ってたのだろう。
 結局、誰もが重い心のまま出発する気にもなれず、ひとまずアダートの長老の家で一晩休むことになった。


◆◇◆◇◆


 薄暗く沈んだ二度目の夜明けが来た。
 空は軽薄なほど青白く、とても清々しい天気とはいえなかった。
 長老の言葉に甘え一夜の宿を借りたエフィーは、ラキアへと出発するべく支度を整えていた。朝、ジュリアもラーフォスも起こしには来なかった。きっと、それぞれ暗い気持ちを抱えているからだろう。
 支度を終えた後、家の前で集合と言う事だったので、エフィーは皮鞄の口を紐で縛り、持ち上げてから部屋の扉を開こうとした。が、扉越しに感じた人の気配に一瞬止まり、相手が扉を開けるのを待った。待つ事無く、数回扉が優しく叩かれる。エフィーは一歩下がってから「どうぞ」と声をかける。すると、待っていたと言わんばかりに扉が開いた。

「ラーフォス?」

 部屋に入ってきたのは、予想していた藍色の髪を持つ幼馴染ではなく、艶やかな金糸の髪の青年だった。すっかり支度は整っているらしく、鞄もすでに肩から下がっていた。
 ラーフォスは穏やかに微笑んだ。

「おはようございます、エフィーさん。昨日は良く眠れました?」

「ん、あんまり。ちょっと色々と考える事があってさ……」

 ロディの事。神族の事。グレンジェナの意味。
 分からない事だらけで、頭が痛くなるくらいだ。
 そして、心の一部を抉られたように、昨夜の事を思い出すだけで後悔と怒りが込み上げてくる。
 村人に罪は無かったのだけれども、それでも行き場のない怒りは彼らに向かって行ってしまう。

「あのさ、ラーフォス。今回の事……本当に神族が関わってるのか? 分からないんだ。絶対な力を持つって言われてる神族が、何でこんな事をするのか。神を名乗っておきながら、人を殺すのか?」

 全ては過去でありこれからも存在する神族。実態を見たわけではない。
 神族の事は伝説と神話と書物から得た知識上の人物なのだ。それでも、事実神族は存在する。
 だからこそ、余計に分からない。
 感情に流されるほどの者ならば、神と名乗るには愚かなのではないか?
 浮かぶ疑問には決して答えは返らず、もやもやとした思いだけが心に溜まっていく。

「アジェルがそう言ったのですか?」

「違う。アジェルは今回の事に神族が絡んでるって言ってただけだ。ただ……僕がそう思ったんだ」

 決して答えはわからない。目の前にいるのは、神族ではないのだから。

「私にはその質問に答えられません。――ただ、命あるもの全て、絶対なんてありえるはずは無いんです。神も人も同じ命のもと生きているのですから。過ちもあれば愚行もある。それは、全てに共通する事なのでは?」

「全てに?」

 確かに人は愚かな行動をよくする。
 それは悪気があるわけではなく、いつの間にかそうなっていたという事が多い。
 エフィーだって今までの行動を考えれば、決して褒められたものではないものもある。
 神と呼ばれ、巨大な力を持つからといって、全てが正しい訳ではない。
 そう、否定してしまえば簡単だ。
 けれど、それでは納得できないものもあるのは確かで。

「実際の神族を目にするまで、貴方にとっては全て憶測でしょう? 今はまだ深く考えなくても良いんです。自分の目で確かめて、全てを知り、それから考えればいい。最後に決めるのは、他の誰でもなく自分自身なのですから」

 そう、今は見えるものだけを見ていればいいのだ。
 全てを知ろうなどとは無理な話。エフィーは辞書も無いのに知らない言葉を解読しようとしているのに等しい行為を無心に続けているだけだ。
 それでは時間だけあっても致し方が無い。

「今は前だけ見ていなさい。レイルを見つけ、神界に行く事が出来れば自ずと道は広まるでしょうから」

 そう言ってから、ラーフォスは穏やかに微笑んだ。
 心配するな、とでも言っているかのように。

「ああ、そうだな。早く、神界に行って父さんを見つけないと」

 当初の目的は父を探すこと。そして父の求めた神族を追う事。
 今はそれだけを目指せばいい。それが答えに近付くための確実な道なのだから。

「さぁ、下でジュリアさんとアジェルが待ってますよ。また雨に降られる前に、ラキアに向かいましょう」

 まずはラキアを目指せばいい。
 目指すものがあれば、迷わずに行く事が出来るから。
 余計な事は考えなくていい。だから、今は前へ進もう。


◆◇◆◇◆


「遅い」

 集合場所に辿り着いて、一日ぶりに顔をあわす幼馴染の少女の口から出た第一声は挨拶ではなく、お得意の非難の声だった。
 珍しく、アジェルはその場にいて、結局一番遅かったエフィーをラーフォスが呼びに来たという事らしい。少しだけ早起きをしたと思っていたエフィーは、少々残念そうに笑った。

「ちょっとゆっくり支度してたみたいだ。でもまだ誰も起きてこない時間帯だよ」

 昨日の事件で村人はすっかり気力と生気を奪われたように、皆が皆死んだ魚のような目をしていた。疲れ果てたような、暗い表情。自らの犯した過ちを悔いている者、魔族に傷つけられ恐怖に苛まれている者、そして未だに警戒心の解けない者。とてもではないが、そう言った人々に会う気にはなれなかった。

「誰かに見つからないうちに村を出よう……。今更顔合わし辛いだろうから」

 アジェルは小さくそう呟いた。静かな声は普段と同じだけれども、やはりいつもよりも沈んだように聞こえた。その人形めいた表情からは何も読み取れない。それでも、眠れなかったのだろうか、いつもよりも目元が腫れている気がした。
 世話になったアダートの長老に何も言わずに出て行くのは気が引けるが、今はこの村にいたくは無い。長老が皆を説得してくれたらしいが、やはり彼らの目にはエフィー達は災いの象徴にでも映るのだろう。そういう目で見られて、喜ぶ人間はいない。
 だから、早朝に出て行くことにしたのだ。

「そうね」

 相槌を打って、ジュリアは自身の荷物を持ち上げた。心なしか、中身が減っている気がする。無駄なものでも捨てたのだろうか?
 気になって聞いてみようと思ったとき、エフィーの出てきた扉が遠慮がちに開かれた。
 出てきたのは、家の主。アダートの長老だった。
 どこか浮かない顔をした長老は、音を立てないように細心の注意を払いながらエフィー達に近付いた。そして低く小さな声でエフィーにだけ聞こえるように話し掛けてきた。

「黙って行かせるつもりじゃったが、一つだけ頼み事があってな。聞き入れてもらえるだろうか?」

 近くで見た長老の皺だらけの目の下は、悲しみと疲れの色が伺えた。
 まさか、一晩の宿を提供してくれた人の願いを跳ね返す訳にもいかず、エフィーは頷く。
 長老はやつれた頬を緩ませて薄く笑うと、片手に持っていた緑色の髪飾りのような物を差し出してきた。

「これは、ロディが最後まで大事そうに持っていた物じゃ。もし、お前さん達が旅を続けていく途中でサリアに出会ったら、渡してやって欲しい。あの精霊は、もう戻っては来ないじゃろうから……」

「でも、僕達もサリアさんに会えるとは限らない。それでも良いのか?」

「会えなければそれも運命。諦めましょう。ただ、この村で腐らせておくには勿体無いからのう」

 そう言って長老は皺だらけの手でしっかりと持っていた翡翠の髪飾りをエフィーに握らせた。決して安物ではないだろうそれは、見事な細工模様を施してあった。目を凝らすと、留め金の裏にイニシャルらしき文字が書かれていた。恐らく、サリアとロディ、どちらかの名前が入っているのだろう。

「どうか、頼みます。わしが出来なかった事を……ロディアの為に」

 それから長老は深々と頭を下げて、息子の愚行を詫びた。そして、騒がせてはいけないからと、そのまま扉の奥へと戻っていった。最後まで申し訳なさそうにしていた態度に、少しばかり哀れみを感じてしまうほど、彼は心を病んでいるようだった。一人でも、本当のロディの事を思ってくれている人がいて、それだけでエフィーは救われる思いだった。

「今度は僕らがサリアさんを探さないと」

 深い翡翠の髪飾りを光に透かし、エフィーは呟いた。
 まだまだ、先は長い。レイルも見つけなくてはいけないし、サリアも探さなければいけない。
 それでも、不思議と面倒だとは思わなかった。

「そうね。待っているだけじゃ何も変わらないもの。もう二度とこんな思いをするのはごめんだわ」

 いつ終わるかも分からない追いかけっこだけれど、今はそれだけを目指し進むだけ。
 足跡を辿るような思いで只一人の神族を見つけ出す。そして、行方の欠片も掴めない精霊も同時に探すのだ。それだけが、残されたエフィー達に出来る事。

「行こう。こんな事している時間も、勿体無いから」

 深い深い悲しみを映した青空の下、四人の旅人たちは新緑のセルゲナ樹海に消えていった。
 彼らの探し人を見つけるために、ただ曖昧なあてを頼りに歩き続ける。
 先に何が待つかなど分からないけれど、今だけはまだ前を見ていられるのだから。
 今は、それだけが偽りのない現実――。






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