久遠の眠り


 轟音と共に倒れゆく家。中に、ジュリアとラーフォスがいるといっていた……。
 それはまるで悪夢のようで、ゆっくりと大破していく家は、全ての終わりを表しているかのよう。一瞬の事であったはずなのに、酷く長い時に思えた。
 禍々しいとさえ感じていた紅蓮の炎も、もはや風前の灯火のように収まりつつある。
 そして、期を見計らったかのように、空に渦巻いていた暗雲から嘆きの雫が落とされた。
 次第に強く、激しく降り始めたそれは、ほぼ完全に家の炎を消し去る。
 唖然とする村人を横目に、エフィーはふらふらと焼け跡と言っても過言ではないだろう家に近づいた。
 一体誰がこんな事を予測できただろう?
 そう、ロディの家に爆発物は無い。火薬などあるわけが無いのだ。それでも、説明のつかない事態が起こったのは事実で、そこにエフィーは僅かな希望を見出していた。
(もしかして……?)
 崩れた家の中心部は、妙なくらいに盛り上がっている。
 雨音だけが聞こえる空間の中、更にエフィーはその妙な膨らみに近づいた。

「冗談じゃ無いわ。何でこんな目にあうのよ!」

 ノイズのように激しく降り続ける雨の音に紛れて、聞き知った声が聞こえた。
 甲高い少女の声。その声が紡ぐ言葉は殆どが癇癪もちである彼女の自身のもの。エフィーは声の聞こえた場所を聴覚を頼りに探り当てた。少し盛り上がった焼け跡の底から、声は聞こえていた。

「ジュリア? ラーフォス?」

 エフィーは遠慮がちに、まるで幻聴に問い返すような感じで、焼け跡に声をかけた。
 すると、反応はすぐに返ってきた。

「エフィー!? そこにいるの?」

 それは先程までお菓子作りに心躍らせて、からかいあい笑いあっていた仲間の声。幻聴なんかではない。二人はきっとこの下に埋もれている。いつもと変わらない元気な声は、二人がそれほど酷い状況にいるわけではないと判断できた。
 けれど、二人の場所は分かっても、二人の上にある瓦礫は自分一人でどかせるほど軽くは無く、どうするべきか中の二人に尋ねる。

「エフィーさん、私が魔術で瓦礫を吹き飛ばしますから、皆さんと一緒に少し離れた場所にいてください。巻き込まれると怪我をしますから」

 質問に答えたのは、穏やかな青年の声。いつもと変わらず落ち着き払っているようだった。エフィーは了承すると、家の傍から離れる。近づこうとしていた村人たちを退かせる事も忘れずに。
 少ししてから、エフィーが合図を叫ぶと、短く二人の男女が別々の呪文を唱える声が聞こえてきた。初めに言葉を紡ぎ終わったのは少女の声で、薄っすらと黒く染まった瓦礫の下から光が溢れる。
 そして、青年の言葉が紡ぎ終わると同時に、先程に引けを取らない爆発が起こった。天を裂く様な轟音と凄まじい熱風を伴い、上に埋もれていた瓦礫を吹き飛ばす。十分に離れていたはずのエフィーの元にも石つぶてが飛んできて、思わず目を瞑り顔を腕で庇うように前にやる。それでも防ぎきれないいくつかの石が、エフィーの頬や腕を浅く切り裂いた。
 ちらりと横目に村人を見ると、彼らは驚きのあまり恐怖に引きつったように怯えていた。
 きっと、魔術を見るのは初めてのことだったのだろう。この世界では魔術はそんなに珍しいものではないけれど、それでも普通の村人から見れば脅威の力に映るのかもしれない。
 爆風が収まり、ようやく視界が晴れると、エフィーは二人がいるべき場所に目をやった。
 そこには予想を違わず、ジュリアとラーフォスが立っていた。怪我をしている様子も無く、ジュリアを中心に薄い光の膜のようなものが二人を守るように包み込んでいる。最初に少女が唱えた魔術で防護壁を作ったのだろう。そして、巨大な力を叩き込み、自爆覚悟で瓦礫を吹き飛ばしたように思える。かなり無茶な発想ではあるけれど、何よりも二人が無事でいることが嬉しかった。

「ジュリア! ラーフォス、無事か!?」

「エフィー、良かった。私達は無事よ。こんな子供だましの炎で焼かれるなんてありえないもの。それよりもロディが……!」

 光の幕を消し、ジュリアは素早くエフィーの元に走り寄ってきた。近くで見ても、外傷らしいものは何一つ無く、少しだけすすで顔を汚している程度だった。

「ロディは川に連れて行かれたって。アジェルがそれを追いかけて行った。だけど、何でこんな事に?」

 エフィーがロディたちと離れてアジェルを呼びに行っていたのはそんなに長い時間ではなく、あらかじめ用意されていたように全てがこちらに都合悪く、まるで何かに見張られて事が起こされてしまったよう。それは恐らく推測ながらに外れている気はしなかった。

「あの村人たち、邪気に当てられてるわ。覚えてる? あの黒い雨。きっとなにか悪い邪気が宿ってたんだわ。そして、あいつに裏で誘導されてたのよ」

 ジュリアはそう言って、森の暗がりを睨みつけた。
 話がよく読みこめないエフィーは少しだけ考え込む。村人は災厄の元凶を滅ぼしにやって来たという。そしてその対象はロディだったと。それに巻き込まれたジュリアとラーフォス。偶然家にいなかったエフィーとアジェルはその状況に振り回されてしまっただけ。村人が何らかの怨みを抱き、それが邪気に当てられた事によって増大した悪意だとしたら、それは利用するにはもってこいだ。それに、ジュリアの言うアイツとは……? それが、この惨劇を生み出したのだろうか?
 何故、何のために?

「この騒ぎの元凶は、村人ではありません。これを引き起こしたのは……彼らの言う本物の西の亡霊……いいえ――その名を語る存在です」

 近寄るラーフォスは、やはりジュリアと同じ方を普段には考えられないほど鋭い目つきで見やっている。エフィーもそれにつられて二人の視線の先にいたそれを見つた。そしてその存在に対して驚きの声を上げる。
 ようやく状況を飲み込んだらしい村人たちも、それを見て凍りつく。
 そう、視線の先にいたのは、先ほどまでは気配すらも感じなかった異物。決して人ではない、何か。
 まるで暗闇に溶け込むように青白い肌と、黒く窪んだ目に煌々とした見るもおぞましい金の瞳を持つ、人の姿を象った亡霊。いや、それは亡霊などと言うにはあまりにも禍々しく、また邪気に満ちていた。言うなれば、悪霊。そして、この世界では魔族と呼ばれ恐れられているものが、木の陰に息を潜めてこちらの様子を窺っていた。

「あいつは……?」

「まさか、この森に魔族がいるなんて思わなかったわ。でもあれはずっとこの森にいたのよ」

「そして、何かの理由で村人を裏で操り、ロディさんを陥れた」

 この悪夢のような全ての事は、この青白い魔族が元凶と言う訳だろうか。
 魔族は村人とエフィー達の視線を受けている事に満足したように、口と思われる紫色の線を歪ませて笑った。人のようで、やはりそれは人ではない。体の大まかな形こそ人と呼べるものだけれど、その表情はまるで獣のよう。頭にはたてがみのように背に届くほどのくすんだ金の髪をハリネズミのように逆立てている。人と獣が融合してしまったかのような、見るも無残で汚らわしい生き物。

『愚かな人間、今更気付いてももう遅い。我は魔界より派遣された水の一族の者、そしてお前たちが恐れた西の亡霊だ』

 おどろおどろしい声を響かせて、魔族はそう言った。まるで耳元に直接声が届けられているかのように、その声は身近で聞こえ意識の中に入り込んでくる。それは堪えがたい悪意を帯びた声。耳を傾けてはいけない。それでも、エフィーは魅入られたかのように、魔族の金の瞳から目が離せなかった。深い深い、黄昏色の黄金。

「貴方、なんでこんな事をするのよ? 魔族だったら魔族らしく、魔界に帰りなさいよ!」

 すっかり金縛り状態のエフィーとは違い、ジュリアは怖気づいた様子も無く声高にそう叫ぶ。
 魔族は気の強い少女の方を見ると、一瞬動きを止める。

『ふん、愚か極まりないお前たちに冥土の土産に教えてやろう。我は遥か昔よりこの地の人間を食料として喰らうてきた。そして、これからもそのつもりだった。我ら魔族は人の肉を喰らうものもいれば、その魂を喰らうものもいる。我は後者だ。人々が疫病と呼んだそれは、我が食べ残した人間の残骸だ』

 村人の話は全てが嘘ではなかった。真実と噂と偽りが複雑に混ざり合い、いつしか脚色されて脅し文句の言葉となっていたけれど、それは確かに事実も含まれていた。

『我を魔界より呼び出した男など、我が当の昔に喰らうてしまったわ! そして、我は現世で思う存分人の魂を堪能しようとしていたのに……あの若造に邪魔をされた。あやつは自身に宿る神々の産物の力で我を封印したのだ! じゃが、我は水を力の糧とする。久しく続いた雨で我の封印は弱まり、そしてあやつ自身神々の加護を失い弱っておったからのぅ。この期に応じて全てを覆してやったというわけだ。愚かな人間たちよ、御主らのしたことは、自らの首を自分で締める行いよ! ほうら、我の力が蘇る。あの若造は死んだようだのぅ』

 魔族はけらけらと子供のように声を上げて笑った。
 つまり、彼ら村人は何も知らずに、この魔族の手の内で踊っていたのだ。
 亡霊は恋人を捜し歩くロディではなく、その影に隠れていた粗悪の根源である魔族だったのだ。

「ロディが、死んだ……? まさか、そんなはずは!!」

 ロディの元にはアジェルが赴いたのだ。あのアジェルが、みすみすロディを見殺しにするはずなど無い。けれど拭いきれない不安だけは後から後から込み上げてきて、エフィーはいても立ってもいられなかった。
 村人には何の罪も無い。全て知らずの内に起こってしまったことなのだから。
 けれど、この魔族は違う。全てを知り、そして己の欲望のためだけに罪の無い青年を犠牲にし、これからもその犠牲を増やそうとしている。ただ、その魂を喰らいたいと言う、浅はかで愚かな願いによって!
 終わらない狂宴。それを終わらせるための方法は一つだけ。

『ふん、我がこうして再び蘇ったのが何よりの証拠。あやつは死んだ。そして、喜ぶが良い。御主らは我の復活記念の晩餐になるのだからな』

 魔族は嬉しそうに、怯えてすっかり青ざめている村人たちを一瞥した。
 村人は一瞬体を強張らせて、今にも逃げ出してしまいそうなへっぴり腰でよろよろと後退する。けれどそれも長くは続かず、魔族は怯える村人に向かって飛び掛った。
 エフィーがそれに反応するよりも早く、痛烈な叫び声と共に鮮血の飛沫が空へと上がった。
 それは繰り返される呪われた魔族の狂宴。
 闇と共に生まれた魔族は狂気に駆られ、次々と逃げ惑う村人を追いかけ、その手の鋭い爪で突き刺し、四肢を切り落とす。地獄のような光景。逃げ惑う村人はあまりにも無力で、ただ少しでも魔族から遠ざかろうと押し合い罵りあい、散り散りに走り逃げる。
 それに見かねたエフィーは、自身の背にある剣を抜き、おぞましい怪物へと成り果てた魔族に向かい駆け出していた。恐怖よりも怒りが先に脳裏を過ぎり、無意識のうちの行動だった。
 後ろから、少女の叫び声が上がったけれど、それすらも聞こえはしない。
 ただ、殺戮を求め、全ての元凶となった魔族に制裁を与えてやりたくて、エフィーは大きく剣を構えて魔族に向かって突っ込んでいった。

「うわぁぁぁぁ!」

 激しく降り続ける雨空の下、深紅の色をした鮮やかな飛沫が散った。






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