久遠の眠り


 赤い赤い、血の色よりも尚鮮やかで、破壊のみをもたらす赤い炎。それは、ロディの家に戻ってきた二人を横目に、悠然と身を躍らせていた。燃えているのは、油絵などが大量に置かれていたロディの家そのものだった。長く続いた雨で湿気に包まれていたと言うのに、炎は勢いを増し続け、消える事無く更に天へと近付こうと燃え盛る。
 そして、そのすぐそばでは、まるでキャンプファイアーを囲むように、見覚えのある人々が燃え盛る家を見て歓喜の声を上げていた。皆の手にあるのは、炎を撒き散らしたのであろう石炭と、火種に使ったのであろう松明。それが意味する事はたった一つだけだった。
 ――彼らが、この家に火を放った。
 何故、何のために?
 理解できないその惨劇に、エフィーはただ呆然に盛り続ける炎を見上げた。
 木で出来た温かな家は、もう原形を留める事が難しくなってきたようで、勢い良く噴出した火の粉と共に、柱ごと倒れていく。信じられない光景。こんな事になるとは予想してすらなかった。いや、する意味も無かった。
 それなのに、彼らは何故こんな仕打ちをするのか?
 考えても考えても答えは出ない。出せるはずは無かった。

「こんな……。何があったんだ」

 ようやく固まっていた体が呪縛から解放されたように動くようになり、エフィーは炎を見上げたまま呟いた。あまりにも凄惨な光景が強烈過ぎて、思考が一時的に麻痺していたかのよう。ようやく状況が飲み込めてくると、エフィーの脳裏にとある疑問が浮かび上がった。

「ロディは? それにジュリアもラーフォスも……!」

 家がこのような状況になっているのに、彼らがそれをみすみす見逃しているとは思えない。
 まさか、魔術師が二人もいるのだから、逃げ遅れたという事は無いはずだ。それでも、ちりちりと焼けつく様な不安は後から後から込み上げてきて、エフィーは狂宴が開かれている家の周りの取り巻き達に向かって走り出していた。後ろからもう一人の軽い足音が聞こえてきたけれど、それすらも気にすることは無かった。ただ、理由を知りたくて。何故、こんな事になってしまったのか。
 エフィーは何処からか込み上げてくる憤りを隠す事無く、アダートの村人たちに詰め寄った。それに気付いた数人の男たちが振り返る。
 けれど彼らは近付くエフィーとアジェルに驚く訳でもなく、ただどこか冷めた視線をやるだけだった。

「何でこんな事をするんだ!? ここには人がすんでるのに」

 普段よりも口調をきつくして、エフィーは村人を率いていると思われる背の高い男に向かってそう問いかけた。
 男は中年と呼ぶのが相応な、黒い顎鬚が目立つ風貌をしていた。けれど、宿で三日を過ごしただけのエフィーに、その人が誰か知るはずも無く、ただ行き場を無くした疑問と怒りを真正面からぶつける。

「村の災厄の元凶を滅ぼしただけだ。お前達こそ、亡霊とどういう関係だ?」

「亡霊なんてここにはいない。 何で、こんな事をするんだ!? 答えろ!」

 望む答えが返ってこないので、再度問いかける。

「ふん、亡霊は村の平穏を脅かした。だから、我らはその元凶を消しただけだ。お前らは、亡霊の仲間か?」

 男は用心深そうにエフィーと、その後ろに視線を投げつける。その疑うような行動が不愉快で、更に感情が高ぶるのを必死に抑えて、聞き返す。

「亡霊? まさか、ここに住んでいるのはロディアっていう人間だけだ。それに僕らはただの旅人だ」

「旅人だと? 亡霊の名前は知らないが、奴の仲間ならば容赦はしない。それに、今更何か言ってももう遅い。亡霊は川に沈め、その仲間どもはそこで灰になってるだろうよ」

 男は赤く染まる家を指差して、嫌みったらしく微笑んだ。
 灰になっている。
 その言葉に、エフィーは信じられないものを見るように轟音を立てて燃え盛り、全てを飲み込む炎を見やった。
(まさか……、そんな)
 ありえない。
 ジュリアは水の魔術に関しては、相当な腕を持っていたし、ラーフォスだって伊達に一人旅はしてきていない。こんな、何の抵抗も出来ずに炎に飲まれるなど、考えられない。それに、この髭男はロディがどうなったと言ったか?
 川に沈めた……?
 激流の川に、きっと無抵抗だったのであろう何の力も持たない優しい青年の顔が浮かんで、エフィーはかっと目頭が熱くなるのを感じた。
 何かを考えるよりも早く、目前の男に掴みかかるために一歩勢いづいて前に出る。
(許せない……!)
 亡霊などに振り回され、軽率な行動で無益な殺生をしたこの村人が、たまらなく憎らしい。
 けれど相手の襟元をつかんでやろうと伸ばされた腕は、途中で別の何かに当たり、目標に届く事無く静止した。
 エフィーよりも早く、後ろにいたはずのエルフが男の襟元を片手で引き寄せ、空いている左手で鋭利なナイフを持ち、男の太い首筋に突きつけていた。目を疑うような早業に、エフィーは一瞬言葉を飲み込む。悠然としていた髭男が、さっと青ざめる。

「何処? あんたたちが沈めた『亡霊』は、どこにいるの……?」

 普段から冷ややかだと思っていたアジェルの声は、いつもとは比にならないほど冷たく、背筋に冷たいものが走る。見えているのはいつもと同じ後姿だけれど、きっと浮かべる表情はこの上ないほど凍てついていることが容易に想像できた。普段からあまり感情を公にするタイプではなかったけれど、この時のアジェルは明らかにエフィーと同じように、もしくはそれ以上に怒りを感じていた。
 短剣を掴む腕に力が込められ、髭男は恐怖に引きつったように痙攣して、小さく悲鳴を漏らした。
 堂々としていた先程までの態度が嘘のようだ。
 その光景に他の村人たちは手にした松明をエフィーと髭男のいる方へ、威嚇のつもりで向けた。
 けれど誰一人その場からは動かない。
 いや、動けなかった。動けば、髭男の命は簡単に奪われてしまいそうで、その緊張感から勇気を出して収めようと言うものはいなかった。

「何処?」

 さらに声色を下げて、アジェルは薄っすらと血が滲み始めた男の喉下にさらに強く短剣を押し付けた。
 脅すには、十分すぎた。
 男は許しを乞う罪人のように、口元を震わせて小さく言葉を発した。

「西の……橋だ。石で重りをつけて、沈めたんだ……」

 言葉が途切れると共に、男は冷たい呪縛から解放された。
 突き飛ばすように、アジェルは男を蹴り飛ばし、そのまま男の言っていた西の橋へと向かうべく踵を返した。エフィーはそれを止めようと思い、走り去ろうとする少年の腕に手を伸ばす。けれど、あっさりとその手は払い落とされて、エルフはすぐに森の暗がりへと消えていった。
 残されたのは、泡を吹きそうになっている髭男と、呆然と立ち尽くす村人。そして、虚しさと怒りが同時に込み上げて、それをどうすればいいのか分からないエフィーだけだった。
 と、その時重い何かが倒れるような凄まじい音を立てて、炎に包まれた家が傾いた。
 はっとしたように、エフィーはそちらに視線をやる。
(ジュリアは!? ラーフォスは?)
 まさか、彼らの言うとおり、炎に飲まれたのか?
 軽く否定してしまいたい意識の中に、それでも否定しきれない自分がいるのも確かで。
 どうしようもなく、エフィーは燃え盛る家に近づいた。

「ジュリア!! ラーフォス!!」

 声帯が壊れてしまうのでは? と思うほどに大きな声で叫び続ける。
 嘘だといって欲しい。
 ロディとアジェルの事も気がかりだったけれど、そちらに気を回せるほどエフィーは器用な人間ではない。ただ、眼前で広がる死の狂宴に一刻も早く終わりが来る事を願って、大切な者達が無事でいる様にと切に思い、叫び続けた。

 ――無事でいてくれ……!

 その願いは、家から上がった耳を劈くような爆発音でかき消されるように、意識の外側へと追いやられた。
 全て燃え尽くされたと思っていた家は、火薬庫に火が灯ってしまったような恐ろしいとまで思える爆発により、急に火種を失ったかのように静まりだした。
 そして、家を取り巻く村人も、予期せぬ出来事に唖然と口を開き、その光景の成り行きを見守った。
 そう、燃え盛る家は、突然のさらに巨大な爆発によって炎ごと吹き飛ばされたのだ。






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