森の村


 柔らかく昇る陽が、三日目の朝を告げた。
 空は澄み渡り、雲ひとつ無い晴天は、目覚めをより素晴らしいものに感じさせる。
 夜中まで聞こえていた雨音が嘘のように、湿気も無く爽やかな朝だった。
 長く降り続けた雨のせいで、地面は泥沼のようになっていたが、ある程度の備えのある旅人たちには、関係ないことだ。
 高い空を、白い鳥が一羽飛び去っていった。

「良く晴れたね! まさかあんなてるてる坊主が役立つなんて、思っても無かったわ」

 久しぶりのカラッとした清々しい空気を胸いっぱい吸い込み、ジュリアは嬉しそうに言った。
 エフィー達は、宿の主人に礼を言って三日分の宿代を払い、森の村を後にした。
 歩くたびに少しだけ沈む地面は不愉快ではあったが、それすらも晴れた喜びに比べれば何てこと無かった。
 一行は宿の主人に教えてもらった道で、王都ラキアに行く事になった。
 主人が教えてくれた道は、ラキアまで最短の距離でいける、地元の人々が良く使う道だ。森の道を真っ直ぐに南へ進むと、半日程度で橋が見えてくるらしい。そして、橋を渡れば、ラキアに続く道を約二日歩くだけで着くと言う。
 目的地がすぐ近くだと分かり、エフィーの歩く速度は自然と速まっていった。
 隣のジュリアも、雨が降っていたときよりも数段元気に見える。

「これで、王都にレイルがいてくれれば、もっと良いんだけどな」

 苦笑しながら、エフィーは呟いた。この二日間、考える時間は十二分にあった。
 後ろをゆっくりとついてくるアジェルは、神の血を引いているのかも知れないが、アジェルだという事は変わらない。今は、仲間で目的を同じくしているのだ。例え、過去に何かがあって、神を憎んでいるとしても、それは本人の問題だ。現に、今までアジェルはエフィーを不安がらせるような話はしていないし、神への憎しみを露にしている訳でも無い。きっと、アジェルはアジェルなりに、エフィーたちに気を使っていたのだろう。それなら、エフィーも知らぬ振りをするまでだ。
 そう考えると、わだかまりが消えた気がした。三日と言う時間、ほとんど顔を合わせなかった事もあり、普段よりも話しやすくなった気がした。

「……うん。レイルを早く見つけてあげないと」

 エフィーの言葉を聞いていたアジェルが、小さく言葉を紡いだ。静かな声だが、穏やかな響きが混じっているように思える。
 エフィーは、何故だか口元が綻んだ。
 まだ陽が昇りきるには、大分時間が掛かるだろう。
 四人と一匹の旅人は、ゆっくりと鮮やかな樹海の道を進んでいった。


◆◇◆◇◆


 緩やかな風に、森の木々の枝葉は囁くように揺れ、心地の良い音を流す。
 遠くの方からは、水の流れる音が聞こえ、微かに水の香りが漂う。
 新緑の森を歩くのは、とても心地が良かった。
 濃い緑の香りは心を浄化してくれるように爽やかでいて、自然に歩も早くなる。
 そのせいだろうか、宿の主人に教えてもらった道の先にある橋には、思っていたよりも早く辿り着けた。本来ならば、夕方あたりに着くはずだったが、今はまだ陽も落ちきらない、正午を少し回った程度の時間だ。
 二日間降り注いだ雨のせいで、川は相当増水していた。周りの土砂は崩れ、川は土と混ざり合い本来の水の色をしていなかった。汚染でもされていそうな、赤茶に染まった川は、気分良く森を歩いてきたエフィーを落胆させるには十分だった。
 そして、何よりもガッカリしたのは、橋が氾濫を起こした川に流されてしまっていた事だ。

「はぁ、これじゃあ回り道しないと駄目ね」

 ジュリアも嫌気がさしてきたように、肩を落として呟いた。
 橋は、見事なまでに跡形一つ無く、綺麗に流されてしまったようだ。橋の付け根だった場所に、僅かながら木片を見つけることは出来たが、木の欠片だけでは川を横断する事は出来るわけがない。
 仕方が無く、エフィー達は西を迂回するルートを取る事になった。

「何となく、近道は無理な気がしてたんだよなぁ。あれだけ雨が降ってたわけだし」

 やる気をそがれた訳ではないが、エフィーは上の空で呟いた。
 何か、今までエフィー達の旅路が上手く行っていたかといえば、それは無い。四苦八苦の旅と言う訳でも無いが、運のついていないことばかりである。さすがに愚痴の一言も零れてしまう。

「そうね、ま、昨日聞いた幽霊話の真相でも突き止めに行きましょ。どうせなら八つ当たりもしてやるわ!!」

 ジュリアならやりかねない、と心の中で想像して、エフィーは苦笑いを浮かべた。
 どうやら、昨日宿の主人から聞いた亡霊がいるという噂に、心躍らせていたようである。
 口ではあんな事を言っているが、内心楽しんでいるのだろう。

「幽霊?」

 幽霊と言う言葉にアジェルが疑問を持ったらしく、ジュリアに尋ねた。

「うん。何でも西の森には亡霊がいるんですって。それで……何だっけ?」

「夜な夜な恋人を探して森を徘徊してる、だったかな。幽霊なんて、いるわけ無いのにな」

 エフィーもジュリアも、幽霊を信じている訳ではない。むしろ、只の噂か山賊か、はたまた誰かの悪戯かその程度にしか思っていない。
 今回の事も、真相を暴けるものなら暴いてやろうとも思っていた。
 対するアジェルの反応は、やはり静かで、何かを考えるように口元に指を当てた。

「そう……。何も起こらないと良いけどね」

 何かが引っ掛かるような言葉に、エフィーは少し不安を感じないでも無いが、すぐにそんな事は気にならなくなった。そう、幽霊など存在する筈は無いのだから。

「こんな所でぐずぐずしてても始まりませんから、そろそろ行きましょうか」

 地図とコンパスで方向を確認していたラーフォスが、見ていた地図を折り畳んで言った。
 西を迂回するのでは少しばかり時間が掛かるとの事だが、この場所にも大分早く着いたのだから、それほど時間は掛からないだろう。
 エフィー達はラーフォスの指差す方向へ、再び歩き出した。
 空は晴天。だが、森の枝葉に隠れた西の空の果てに、暗雲が漂っていた事を、一行は知る由も無い。






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