森の村


 部屋は温かみのある柔らかい薄茶の家具で統一された、こざっぱりしている部屋だった。前に泊まったデューベルの宿のように、都会的な雰囲気は無いが、柔らかなベッドに落ち着きのある木の香りがする部屋は、居心地が良さそうだった。
 ラーフォスはとりあえず手持ちの服で着替え、髪の水を拭って落ち着いた。
 エフィーは途中で一度木の根に足をかけて転んでいたため、泥だらけだったのでひとまず部屋から行ける風呂へ向かった。一部屋一部屋に設置されているらしい風呂は、小さい浴槽一つと、随分古典的なものだった。だが、水を井戸から汲み上げるこの村では、これが普通なのかもしれない。
 とりあえず、汚れさえ落とせればそれでいいのだ。文句なんてあるわけが無いので、エフィーは旧式の浴槽へと入っていった。

 程よく温まり、別の服に着替えて浴室から出てくると、そこにはラーフォスと仲良く話をしているジュリアがいた。ジュリアは上から下まで着替えた状態で、頭にタオルを巻いていた。恐らく彼女も汚れを落としたのだろう。

「エフィーいつまで風呂に入ってるのよ。長風呂は体に良くないんだよ」

「気持ちよくてさ、ついうたた寝しちゃったみたいなんだ。でも、何でジュリアがここに?」

 冷えた体に、湯の温かさが心地よくて、エフィーは知らず知らずのうちに意識を手放していたらしい。何とか、のぼせる前に出て来れて良かったと思う。

「今ね、ラーフォスから魔術教えてもらってるの。ほら、私って知ってる魔術少ないでしょ? これから外でどんな危ない目に会うか分からないし、身を守る術はちゃんと持っておかないとね」

 エフィーの知る限り、ジュリアは幼い時から術を扱う事が出来ていた。
 初めて知ったのは、エフィーがジュリアに出会って間もない頃だ。エフィーが転んだ時に膝に軽い怪我をして、それをジュリアが癒しの力を持つ聖術で治してくれたのだ。他にも物を燃やす術や、水を凍らせる術など、多彩な術を披露してくれた。けれど何かあったときに攻撃の術としてはどれも威力に欠ける。
 ラーフォスは自称吟遊詩人と言うことらしいが、その他にも魔術に精通していた。
 彼自身は今まで一人旅をしてきていたため、身を守る術を身に付けているのだ。

「へぇ、じゃあ僕も習おうかな」

 はっきり言って、エフィーは剣術は勿論、魔術も扱えない一般人だ。はっきり言ってしまえば、ただの役立たずに過ぎない。だが、少しでも魔術を扱う事が出来れば、戦力的にも役に立つかもしれない。
 そう思い、エフィーはラーフォスとジュリアが腰掛けている寝台に、自身も腰を下ろした。

「エフィーさんは魔術を使った事無いんですよね?」

「まあ、そうだな。精霊って言うのも見たこと無いし」

 人が己の内に秘める魔力で術を使うとき、精霊の力を借りる。その際、術者には精霊の姿が見えるのだという。
 精霊は元素ごとに様々な種に分かれる。一般的に知られているのは四大元素と闇と光の精霊だ。精霊は空気中に音も無く漂っているが、場所によっては精霊の存在できない場所もある。
 例えば、氷山などには炎の精霊は少なく、呼び出すために普段よりも多くの魔力を消費する。
 逆を言えば、そう言った地方には水の精霊が多く、術も比較的少ない魔力で扱える。

「じゃあ、まずは精霊の話から始めましょうか。精霊と言うのは、精神体のみの、形の無い魔力の結晶のようなものです。それぞれ自然の理の元に、大気を整え地を癒し、世界を守っているのです。そして、精霊たちの生きる糧は人の魔力です。人は生まれながらに微弱でも魔力を持っているんですよ。そして自然と魔力を空気中に放出しているのです。精霊はその大気に流れる魔力を取り込み、自身の力とします。つまり、人がいる限り精霊はこの世界でも生きる事が出来るのです」

「生まれたときから魔力を……?」

 エフィーは自分に魔力があるなんて思えない。ずっと魔術などに関わらずに生きてきたし、使おうとしても使えなかったからだ。いまいち実感が沸かないが、話を遮るのもなんなので、エフィーは再び聞く体勢に戻る。
 ラーフォスは更に話を続けた。

「精霊界と呼ばれる異世界では、精霊は実体を持つ生き物として生きていると言われています。だけど、物質の世界である地上界では、精霊は実態を持たない不安定な存在です。地上界にいる精霊は、自身の存在意識があまりありません。その方が世界としても好都合ですし、精霊の掟を破るものもいませんから」

「精霊の掟?」

 不意に、疑問をもったジュリアがラーフォスの話を遮った。
 魔術を普通に使える彼女にも、分からない事はあるらしい。

「精霊の掟は、精霊のみに適用するもので、人との交わりを禁ずる事の代名詞です。精霊は地上界に存在しても、決して人と交わってはいけないのです」

「どう言うこと? 交わるも何も、精霊に肉体が無い限り私達と話をする事も出来ないわ。それなのに何故、無意味な掟なんて作るの?」

 精霊の眷属であるエルフは、精霊の姿は見えるし、言葉を交わす事も出来る。だが、妖精以外の種族は、精霊の姿も見れなければ、声も聞く事が出来ない。
 つまり、精霊が人と交わる事などあるわけが無いのだ。

「それは、恐らく上位精霊に当てられた警告なのでしょう……。遥か昔の事。精霊と人の交わりが生んだ悲劇とでも言いましょうか。今では物語として伝えられる、一つの歌があります。もう、その歌を知る者は少ないけれど……。私もその歌の殆どを忘れてしまいましたから。ただ、物語は覚えています。知りたいですか?」

 エフィーとジュリアは真剣な表情で頷いた。
 魔法の話からかなり脱線している事も、別段気にしてはいないようだ。
 ラーフォスはそれを確認すると、記憶を辿るように瞳を閉じて、語り始めた。

「精霊は深い自我を持つものはほとんどいません。自我を持てば、精霊は地上界のバランスを崩しかねないからです。彼らは魔力の結晶。その力を解放すれば、どれほどの被害が出るのか、私には予想がつきません。遥か昔、上位精霊と人間が恋に落ちました。上位精霊は自我を持つものが多く、またその力も並みの精霊以上に強いのです。けれど、精霊王は二人の仲を反対しました。また、人の子の父も二人を認めはしませんでした。時が来て、二人は離れ離れにならなくてはなりませんでした。そして、精霊は悲しみのあまり自らの力を暴走させ、最期には神の力で封じられてしまったのです。力の暴走があった場所は、草一つ生えない、無の空間と化したと言われています。それだけ精霊の暴走は危険なものなんです。ですから、精霊王は、人と精霊の交わりを禁じたと、伝えられています」

 自我を持つことが、精霊の自滅へと繋がるのだ。
 世界一般でも種族の違う者同士の恋は、ほとんどが悲恋となることが多い。
 精霊たちはそれ故に、自我をもつ事を禁じられた。だが、それは何だか哀れだ。精霊たちの生きる意味を、無くしてしまっているように思える。
 エフィーは何とも言えない気分で、どう返すべきか分からなかった。

「精霊は……みんな心を持たないの?」

 恐る恐る、ジュリアが尋ねた。
 精霊を魔術の道具として使ってきた彼女は、彼らの事など何一つ知らなかったのだ。

「いいえ。確かに精霊は自我を持ちませんが、心は存在します。考える事も出来ますし、感情の表現も知っています。ただ、それらは全て一つの意志なんです。精霊に個人はありえません。例え個体となって分かれていても、精霊は一つの存在なのです。ですから、裏切りもありえなければ、争いも無い」

 人のように自我を強く持ち、個人として生きる者は時に仲間でも傷つけあい、争いあう。
 だが、精霊にはそうした事は無いのだ。全てが一つの意志で、思いなのだから。
 肉体を持たない精霊は、心が通じ合う事で己の生を感じるのだ。

「上位精霊は、普通の精霊とは違うの?」

「はい。上位精霊に数えられるものはほんの一握りの者達だけです。そして彼らには自我を持つことを許され、己の判断で仮初の肉体を持つことも出来ます。物語の悲劇は、上位精霊がもたらしたものです。つまり、精霊王は上位精霊に警告の意を込めて、掟をつくったのでしょうね」

 同じ悲劇を生まないようにと、精霊王は掟を定めた。
 それは精霊自身の自由を束縛してしまうものだけれど、世界の理のためにはそうせざるおえないのだ。
 それでも、複雑だ。何故だかエフィーには、精霊がとても哀れな存在に思えた。

「自分のない存在って、何だかいやだな」

 エフィーはエフィーだから、生きていると感じられる。自分が何者か分かっているからこそ、生きる楽しみがあるのだ。だが、精霊には生きる喜びも悲しみもきっと無いのだろう。全て同じ命のもと、ただ存在しているだけなのだから。
 不意に窓を見ると、降り注ぐ透明な雫が見えた。
 まるで自然の精霊が流している涙の様に思えて、エフィーは胸が痛んだ。

「そうね……。私だったら、そんな生き方耐えられないな……って、あら?」

 丁度ジュリアが上を仰いだ時、彼女の表情が驚きのものに変わる。
 ジュリアが見ているほうを見て、エフィーも首を上げると、そこにある時計を見た。

「あ、もうこんな時間! 食事出来てるじゃない」

 ほぼ半日森を歩き続けたせいで、くたくたに疲れているのと空腹は限界だ。
 出される食事を見逃すほど、エフィー達は遠慮がちな性質ではない。
 ジュリアは頭のタオルと引っ張って取ると、寝台から降りて、手招きした。

「ほら、食事食事。早く行こう」

「うん。僕もすっごくお腹減ってるよ。ラーフォスも行こう」

 エフィーもジュリアに続いて寝台を降りる。
 二人は嬉々としてラーフォスを手招いて、共に部屋を出て行った。
 外は雨。
 だが宿の食堂は、温かな空気で満たされていた。
 今はぬくもりを感じられる。それだけで、エフィーは十分だった。
 生きている喜びも、些細な事から感じられるのだから――。






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