森の村
ルーン大陸の大半を占める、鮮やかな緑の森は通称セルゲナ樹海と呼ばれている。樹海と呼ばれてはいるものの、方向を狂わす呪いも無ければ、迷子になるほど草が生い茂っている訳でも無い。何十年、何百年の時をゆっくりと時間をかけて成長した木々が背を高く伸ばし、光を遮らない程度に枝葉を伸ばしている、普通の森だ。
セルゲナ樹海には、アーシリア大陸に通じる港からそう遠くない場所にアダート村と呼ばれる、小さな村が存在する。人口もさほど多くないこの村は、大陸の端にあるために酷く人気が無く、誰も好き好んで訪れるものはいない。この村に来る者と言えば、港からルーンの王都へと行く者が途中経過に休んでいくぐらいだ。
そのせいか、アダート村には老人と中年といった、高年齢ばかりの村となってしまった。若い者もいるにはいるが、皆活気溢れる王都に憧れを抱いている。この村が、村として機能しなくなるのも、時間の問題だ。
新緑の葉の合間から、透明な雫が零れ、大地に吸い込まれるように染みを残して消えた。違う場所でも同じように雫が小さな音を立てて、地面に叩きつけられる。
ポツリ、ポツリとあちこちで透明な雫が地面に向かって落ちていく。それは次第に激しくなって、森全体にバケツでもひっくり返したような雨が降り注いだ。
こんなに早く雨が降るとは思ってもいなかった、四人の旅人は慌てて小道を急いだ。必死に走ったが、村につく頃には全員上から下までずぶ濡れになっていた。
「信じられない! 何でこんなに早く降ってくるのよ」
一際甲高い声で、ジュリアは不平をぶちまけた。
村に着いたは良いが、これから宿を探さなくてはいけない。小さな村なので、宿があるかは謎だが、ひとまず村を歩く事には変わらない。森の道を歩いてきた時点で全身から水を滴らせているエフィーは、今更困る事など無いのにと、不思議そうに幼馴染を見た。
ジュリアは癖のある髪の毛がすっかりと肌に張り付いてしまい、別人のように見えた。荷物で頭を保護してはいるが、それもすっかり無意味だ。
「まぁまぁ、村にも着いたことですし。まずは宿を探しましょう」
ラーフォスはジュリアを宥めるように優しい口調で言う。ジュリアは不満そうな顔をしていたが、穏やかなラーフォスに言い返す言葉も無く、大人しく口を閉じた。周りを見ると、村は円を描いて家を建てているらしく、広場らしい場所は苦も無く行く事が出来た。広場は草の生えていない白い土の上に、簡単なつくりの井戸が一つあるだけだ。
広場から宿を探すと、すぐに見つける事が出来た。木独特の色合いをそのまま使用した村の一般的な家々の中、一際目を引く赤い屋根の家に掛けられた看板が目に付いたからだ。
「助かったぁ……」
宿に入ると、窓から様子を窺っていたらしい宿屋の主人がタオルを手に出迎えてくれた。
中年かそこいらの何処にでもいそうな、頭部が少し剥げた恰幅のいい親父だった。
「いらっしゃい。酷い雨だっただろう? この季節じゃあ良くあることなんだ。可哀想に、ずぶ濡れじゃない」
口の良く回る主人は、四つのタオルをエフィー達に差し出した。
エフィーは礼を言ってタオルを受け取った。
「今日のお泊りはうちですよね?」
「うん。四人で」
こう雨が降っていては、先に進むのも難しい。とりあえずこの雨がやむまでは、宿で大人しくしている方が良いだろう。それに、ルーン大陸の事も色々と聞いておかなくてはいけない。
と、ジュリアが指先でエフィーの肩を突付いた。
エフィーは不思議そうに振り向く。
ジュリアはエフィーの耳を掴んで自分の口元まで持ってくると、小さく呟いた。
「私、一人部屋にしてもらえない?」
「え?」
今まで普通に同じ部屋で寝泊りしていたので、エフィーには少女に対する一般常識が多少欠けていたようだ。流石に、男三人と同じ部屋で寝泊りするのはどうかと、そう言うことらしい。
「あ、そっか。分かった。じゃあ、部屋は三人部屋と一人部屋に分けてください」
宿の主人は不思議そうな顔をした。
「生憎、うちは二人部屋しか無いんだ。そちらのお嬢さん方二人は一緒じゃ駄目かい?」
主人は、ジュリアと後ろで待機しているラーフォスを順に見てから言った。
エフィーは主人の視線の先にいた人物に呆れた。そう、エフィー自身も始めは女性だと思い込んでいた事があるので、勘違いされる理由もわかる。ラーフォスは確かに男にしては痩躯で、蜂蜜色の髪を女性のように長く伸ばし、その顔立ちも繊細に造られている。だが、彼は男なのだ。声は割と低いし、背も女性にしては高い。よく観察すれば、男女の区別はつくはずだ。
「あぁ、彼は僕たちと同じで大丈夫。じゃあ、二人部屋を三つでお願いします」
二人部屋では、三人と一人に分けることは出来ない。
仕方なく、エフィーは部屋を三つ取る事にした。一つは勿論ジュリア。問題は、誰が一緒の部屋になるかだ。エフィーは一人でも二人でも別段構わない。
そこまで考えると、エフィーの耳に昨夜の言葉が横切った。
まだ、戸惑いは消えない状態だった。今は、あまり誰かと同じ部屋は避けた方がいいのかもしれない。
「部屋の――」
「部屋、余るなら俺がもらってもいい?」
エフィーが切り出そうとした時、アジェルがそれを静かな声で遮った。
振り向くと、淡々とした表情の少年がいる。相変わらず何を考えているのかわかり辛いが、珍しく自身の意見を言ったのだから、聞かない訳にはいかない。
「あ……うん。じゃあ僕とラーフォスが同じ部屋でいいかな?」
押しの弱さにかけては天下一品のエフィーに、アジェルの申し出を断る事は出来なかった。
ラーフォスは未だに謎の人物ではあるが、コレといったわだかまりも無い。それなら、別に問題ないのかもしれない。
「はい、エフィーさんがそれで良いなら、私は構いませんよ。それよりも早く着替えないと風邪を引きますから……」
了承の言葉が出ると、エフィーは早速宿帳に記帳して、宿の主人から部屋の鍵を受け取った。
一階は食堂になっているらしく、泊まる部屋は二階だった。
「夕飯は二時間後だ。ちゃんと降りてきてくれよ」
宿の主人は簡単な説明をしてから、エフィー達の部屋に案内してくれた。エフィーとラーフォスは礼を言って主人と別れると、もらった鍵を使って一番奥の部屋に入っていった。