航海


 陽もまだ高くは昇りきらない早朝、急に船上は騒がしくなった。
 昨夜のあの後、なかなか寝付けなかったエフィーはまだ眠気の残る瞼を開き、辺りを見回した。
 いつもならまだ寝入っている客たちは、慌ただしく荷物の整理をしたり、身支度を整えていた。隣を見ると、ジュリアもいつの間にかに起きていて、寝袋をたたみ、巨大な鞄の中にそれを綺麗にまとめ入れていた。

「おはよう、エフィー。もうすぐ陸に着くんですって。ほら、急いで起きる!」

 急かすように、横になっていたエフィーを起こすと、ジュリアは洗顔用具を手渡した。さっさと眠気を覚まして来いとの、無言の抑圧だった。
 エフィーは大人しくそれに従い、洗面所へと歩いて行った。
 準備の良いほとんどの乗客は、既に身支度を万全に整えていたので、狭い洗面所はさして混雑していなかった。
 冷たい水で顔を洗うと、タオルを探すべく手を伸ばした。と、頬に柔らかいタオルが当たる。気を利かせてくれた誰かが、親切にも目に水が入り視界のぼやけたエフィーの為にタオルを取ってくれたようだ。

「ありがとう」

 礼を言ってタオルを受け取り、水を拭うとエフィーはタオルを渡してくれた誰かを見た。

「おはよ。あんまり目覚めが良くないみたいだけど?」

 タオルを渡してくれたのは、昨夜エフィーが寝入れない原因となったエルフだった。
 普段は邪魔にならないように結んでいる長い紫銀の髪は、今は真っ直ぐに背に流したままだ。あの後、眠れないエフィーを横目に寝たらしい。
 不条理だ、と心の中でぼやいて、エフィーは適当に相槌を打った。

「ああ、ちょっと眠りが浅かったんだと思う。でも、大丈夫」

 一日夜更かしをした程度で疲れが出るほど、エフィーも柔ではない。
 タオルをアジェルに返して、エフィーはその場を逃げるように去った。
 不思議そうにエフィーを見つめるアジェルの視線を抜けて、ジュリアの元へと戻る。
 エフィーの頭の中は、未だに混乱したままだった。真実を話してくれなかったアジェルに対して、どう接してよいのかよく分からなかったのだから。


◆◇◆◇◆


 ジュリアの言ったとおり、陸地はすぐそこまで見えていた。
 鮮やかな新緑の森に囲まれた港は、船を停泊させる必要最低限の広さしかなかった。そして、狭い港にはもう一つ別の船が停まっていた。ルーン大陸より、西にあるダリス大陸への連絡船だった。
 ラーフォスの話では、今この場にいるほとんどの者が連絡船に乗り換えるのだと言う。不穏な噂の流れるルーン大陸に留まる物好きな人は、あまりいないとの事だ。
 陸地が見えて、小一時間経たないうちにエフィー達は陸地を踏む事が出来た。
 長いと言うほどではないが、船に乗っていた体は浮遊感が漂い、地上に慣れるまで少しばかり時間を要した。
 ラーフォスの話どおり、乗客のほとんどは待ち合わせの連絡船に乗り込んで行った。
 残ったのはエフィー達と、数人の商人風の男たちだけだった。

「まずは何処に行く?」

 周りは森に囲まれた港だ。町や村は見当たら無かった。

「探し人の目的地が分からなきゃ、何処にもいけないわ。まずはどこかで話を聞かないと」

 ラーフォスもレイルの正確な位置は測りえない。だが、彼も地上で旅をしているならば、何処かしらで休息を得るはずだ。それなら、町を探すことが第一だ。

「ラーフォス、地図か何か持ってる?」

 町に行くにしても、地理が分からなければどうしようもない。アジェルはデューベルで地図を買い忘れていたことに今更気付いた。となれば、頼れるのはこの中では一人だけだ。

「ええ、かなりいい加減ですけど、地図はありますよ」

 ラーフォスはアーシリア大陸のデューベルを中心とする大まかな地形の記された地図を荷物から取り出した。
 古めかしいもので、何処かの古城の地下に眠る宝の地図を連想させる。
 そう大きくも無い地図で、ルーン大陸の最北部の港は見事に森に覆われているようだった。

「森だらけね……」

 森にあまり良い思い出のない、エフィーとジュリアは顔を苦く引きつらせた。
 そんな二人を横目に、アジェルは静かに地図を見ている。デューベルからルーン大陸の港までの距離を軽く三日と考えれば、徒歩で行く自分たちはどれほどの時間が掛かるのかを計算してみる。憶測が間違っていなければ、森を抜けるのに最低三日はかかるだろう。幸いな事に、森の中には小さな村があるようだ。この港からそう遠くない、港を南東に行ったところだ。

「情報を聞くためにも、まずはこの村へ行きましょうか」

「そうだな。他に道も無いようだし」

 あっさりと意見はまとまり、一行は港を出て森の中へと足を踏み入れた。
 そろそろ陽が高く昇るころ。
 西の果てからはやや強い風に吹かれて、暗い雲が漂い流れていた。
 雲行きは怪しいが、陽が暮れる前には、村へと着く事が出来るはずだ。
 皆、迫る暗雲に何故か不安を感じたけれど、それは各々の心にしまいこんで、一行は鮮やかな緑の森へと消えて行った。






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