偽善の象徴


 エフィー達が追いかけっこをしている間に、アジェルとラーフォスは宿に着いていた。
 ラーフォスが、部屋の入口付近にあるイスに腰掛けると、アジェルはその近くの寝台に座った。

「何からお話すれば良いですか? ……宜しければ私の問に先に答えてくださると嬉しいのですが」

 先に口を開いたのは、ラーフォスだった。アジェルは小さく口を開いたけれど、言葉は紡がれなかった。
 長い金の髪を邪魔そうに掻き揚げると、青年は笑みを消した。

「何故、三年前突然姿を消したのですか?」

 アジェルは開きかけの口を、閉じた。
 その表情は、ひどく困ったような、そういった顔だと、ラーフォスには分かる。
 少し間をおいて、アジェルは答えた。

「――思い出せないんだ。三年前のあの時の事と、その前後数日の間の事」

 微かに表情が動いた。普段では見せない困惑の色が伺え、呟かれたその言葉が偽りでないと知らしめる。
 いつもの何も感じさせない人形のような冷たい表情ではなく、生きた人の感情のある顔。
 アジェルはそれ以上何も言わず、口を閉ざした。
 ラーフォスは小さく溜息をついた。

「私は貴方と、レイルを同時に追わなくてはならなかった。レイルに会えば貴方にも会えると思っていたのに、貴方は何処にもいなかった。だから……レイルには偽りを教えました」

 一時の間を置いて、ラーフォスは告げた。

「貴方は死んだと」

 その言葉に、アジェルは顔をあげた。
 信じられないものを見るように、ラーフォスを見る。
 綺麗で、残酷な笑みを浮かべる青年。普段は穏やかな表情を浮かべる青年は今は笑ってはいなかった。
 アジェルは知っていた。彼の笑みには何の真実も無いということを。
 そう、微笑んでいる時のラーフォスは、何一つ真実を告げない。
 逆を言えば、微笑まないラーフォスは決まって悪報を告げる。

「レイルは、村を襲ったのは神族だって言っていました。それは本当ですか?」

「多分。……何も覚えてないわけじゃないんだ。ただレイルとあの日の事だけ、ぽっかりと抜けたみたいに思い出せない。レイルの事も、双子の弟がいたって、それだけしかね」

 全てを忘れた訳ではないのに、何故か部分的なものが初めから無かった事のようにアジェルの記憶から消えていた。
 三年前、起こった事件。何があったかは知っている。
 でも、それは聞いて知った事だ。
 だから、レイルを探す旅に出た。
 エフィーとジュリアに会ったのは偶然だったが、それでもアジェルの目的に支障は無い。ただ、自身のためにもレイルには会わなくてはいけないのだ。

「……私は貴方たち双子を、神族の勝手な理由で巻き込みたくはなかった。だから、あの事件の前に貴方たちだけでも逃がそうと……でも遅かった。レイルは姫巫女の手により『外』へと逃がされていたけれど、貴方と他の者達は皆……」

「やめて」

 アジェルは首を振るう。嫌なものを頭から叩きだす様に。
 傍にいたミストが心配そうに鳴いた。
 全ての記憶が忌まわしくて、忘れてしまいたくて。だから部分的に忘れてしまったのかもしれない。

「私が貴方を助けたのは、貴方に生きて欲しいから。神族のしがらみを全て捨てて、人として生きて欲しいから……。忘れた事を思い出そうとしないで。貴方もレイルも十分過ぎる不幸にあった。だから、これからは……」

「それ以上、何も言わないでよ」

 ラーフォスの言葉を遮って、アジェルは言った。
 その淡水の瞳は、ラーフォスの良く知る陰りが見えた。レイルと全く同じもの。
 何かを憎む、強い意志のような。見えない憎悪が渦巻いているかのように。

「――俺は、何もかも忘れて生きようとも思ったよ。でも駄目だ。この身に流れる血が穏やかな時を全てを壊していく。それに……やるべきことがあるんだ」

 悲痛な声色で、アジェルは呟いた。
 同じようで、どこか違う。レイルは何かを激しく憎んでいた。憎しみで生きてきたような、投げやりの生き方。だが、この少年はどこかが違う。何か使命感のようなもので、必死に生きようとしているようだった。
 それが、レイルとの違い。
 ラーフォスは黙ってアジェルの言葉を聞いた。

「止めないで。……俺は、レイルを探し出して神界に行かなくちゃいけないんだ」

 果たすべき目的のために――。
 記憶が無くても、やるべき事は覚えている。そう、母である人から言い渡された、命令にも似た約束。
 それを知るのは、二人の御子だけ。
 一瞬、沈黙が流れる。

「そうですか」

 ラーフォスは小さく笑った。まるで自嘲するような、渇いた笑顔。
 アジェルが予想通りの答を言ったから、なんだか余計におかしかった。
 レイルと同じ言葉を紡ぐ少年。でも、この少年には別の何かがあった。
 それが何なのか、ラーフォスには分からなかったが。

「貴方も、レイルも同じなんですね。私は止るつもりはありません。貴方達の選んだ道なんですから。ただ、私は……古代神の願いを叶えたかっただけ。――たとえ、それが偽善だとしても」

 ラーフォスは小さく呟いた。歌うような言葉を、その綺麗な声で囁く。
 アジェルは、それ以上何も言おうとしなかった。

「エフィー・ガートレン。あの子がフェイダを探しています。はじめは驚きましたが、これも運命なのでしょう」

「フェイダは……、神界に行ったのか?」

「恐らくは。ですが、それ以上は分かりません。神界では時空神が動いています。あの人は貴方とレイルを消すおつもりのようですよ」

 消す。
 とうとう神族が、邪魔者排除に乗り出した。その言葉に、アジェルは眉を潜めた。
 ラーフォスは更に続ける。

「レイルに先日会いました」

 微かに驚いたように、瞳を見開く。それでもすぐに平静を装うと、自然に聞き返した。

「レイルに……、何処で?」

「この町の灯台で。南に行くと言っていました。丁度、南への定期船が明日出ます。追いかけますか?」

 アジェルは当然と言わんばかりに深く頷いた。
 探し回っていた手掛かりが、思わぬところで手に入ったのだ。
 これを逃す訳には行かない。

「では、私も共に行きましょう。貴方たちだけでは、心もとないですから。それに、私は見届ける義務がありますから」

 ラーフォスは穏やかな表情で、夢を見る少女のように窓際を見た。
 一羽の白い鳥が、窓にとまっている。
 突然、騒がしい声がした。白い鳥は驚いたように飛び立った。

「エフィーの馬鹿! 信じられない」

 聞き覚えのある声が、窓から聞こえた。
 次に、どたどたと階段を上る音。その間も何かものすごい罵倒が飛んでいる。
 そして勢い良くドアが開かれた。
 そこには、ソフトクリームらしきものを服につけ顔を真っ赤にして今にも怒鳴り散らしそうな少女と、後ろから必死に追ってくる少年がいた。
 呆気に取られるアジェルとラーフォスは、顔を見合わせて小さく笑いを噛み殺した。
 穏やかな日常、空は青々としていて、賑やかな街を活気付かせる。
 道行く人は、一日を楽しく幸せに生きるために忙しく動き回り、誰も宿の一角から騒音が聞こえた事など気にも止めない。
 酷く平和な一日はまだまだ続くのだから。






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