偽善の象徴


 人の少なくなってきた公園で、二人の少年少女は向かい合った。
 見慣れた姿がお互いの瞳に映る。
 少年の瞳には、藍の髪を肩のあたりで軽く切り揃え幼さの残る顔に少し怒気を含ませた幼馴染の少女の姿が。見慣れた翡翠色の瞳に、太陽を受けたためか金の色合いが混じっているように見える。
 少女の瞳には、濃い茶色の柔らかそうな髪に、穏やかな表情の少年が。上から下までずぶ濡れで、いつも見ているのとは少し違う、それでも見慣れた幼馴染。
 どちらもはじめは口を開かなかった。
 ただ、お互いの出方を窺っているように、じっと視線だけが真っ直ぐに見抜く。
 大分、息は整った。
 ジュリアはまた逃げ出そうと思えば、さっきと同じく走れたし、エフィーも今のうちに走りよって捕まえる事が出来た。
 でも、二人は動こうとはしない。
 何を言おうか、ただ考える。
 ごめん、と言う言葉は何故か言えない。
 二人ともお互いに怒っていたし、謝るのはプライドが許さない。
 二人の間を風が通り抜けた。柔らかな緑が、風に乗って舞い上がる。

「ジュリア、何か怒ってる……?」

 先に口を開いたのはエフィーだった。癇癪持ちのジュリアの性格は知っているし、別段それが嫌という訳でも無い。ジュリアが怒る理由は理不尽なものではない。その事を知っているから、エフィーはいつも下手に出る事が多い。
 昔、出かけて帰ってきたジュリアが泣きながら怒鳴り散らした事があった。
 何があったのか分からないエフィーが理由を聞くと、大好きな小鳥が庭で死んでいたのだという。近くにいたのは隣の家で飼っている猫。怒った理由は、猫から小鳥を守ってあげられなかったこと。それはジュリアの口から聞いた訳ではないが、エフィーには何となく分かった。ジュリアは悲しいと思うよりも、悔しいとか許せないと、そう言った感情が先に来る。だから、エフィーは今回も何か他の理由がある気がした。

「……」

 エフィーがいつもと変わりなく、穏やかに話してくるのを見て、ジュリアはバツが悪そうに視線を横に流した。
 悪いのは自分自身だと、本当は気付いていた。
 それでも、自分から下手に出る事が出来ない。謝らなくてはいけないと分かっているのに。

「あの人、誰?」

 視線を戻さないまま、ジュリアはぽつりと呟くように言った。
 気になっていないわけではないが、聞きたい事は別にあった。
 それから言いたい事も。
 ただ、謝るきっかけがないかと、そう思って口走った一言。
 エフィーは苦笑いを浮かべた。

「ラーフォスさんの事? 何から言えば良いかな。今日朝財布捜してるときに会ったんだ。財布を拾ってくれてて……お礼に食事奢って、僕じゃわからない事を教えてくれたから。それだけだよ」

「分からないことって何?」

 相変わらず、視線は違う何かに向けたまま、ジュリアは聞き返した。
 エフィーは、「あー」と、言おうかどうしようか迷ってから、ポケットに手を突っ込む。取り出したものは、桃色の飾り石の付いた羽根を象った白い首飾りだった。きらりと、太陽の光を受けて銀の鎖が光る。可愛らしい、少女達が好みそうなアクセサリー。
 光りを目に感じ、ジュリアはようやくエフィーを見た。

「なんて言うか、僕じゃこういうのどれが良いか分からなくて。ラーフォスさんに一緒に選んでもらってたんだ。でも、羽根の形は飽きてるよね」

 照れる感情もあり、またエフィーは苦々しく笑った。
 ジュリアは驚いたような表情をした。大きな瞳を、ぱっちりと開き、数回呼吸にあわせて瞬く。

「十六歳、おめでとう」

 ふらふらと、ジュリアは隣のベンチに腰を下ろした。朝、エフィーと金髪の女性が座っていた場所。
 足を抱え、腕の中に顔を埋めるとジュリアは蚊の泣くような小さな声で呟いた。

「馬鹿だね、私」

 勘違いだった。
 幼馴染を取られた気がして、少しだけ悔しくて。
 エフィーの隣は、ジュリアの特等席だと思っていたから。
 だから、エフィーを責めようとしていた。
 全部勘違いだったのだ。恥ずかしくて、謝らなくてはいけないのに、言葉が上手く出てこない。
 顔は見られたくなかった。きっと林檎みたいに赤くなっていそうだから。

「あのさ、最近色々あって中々いえなかったけど……。一緒に来てくれてありがと」

 ゆっくりとエフィーが近づいてきて、ジュリアの隣に腰掛ける。
 それでも、ジュリアは顔をあげない。足を抱える腕に力がこもった。

「僕の勝手な我侭に、ジュリアを引きずったのは事実だし、ジュリアが怒っても当然だと思う。でも、本当言うと嬉しかった。何も知らない場所で、一人じゃなくて。アジェルの事、僕は良く知らないし、アジェルも自分の事を何か隠してる」

 あんなに無邪気に新世界とはしゃいでいたエフィー。
 それでも不安が無い訳ではなかった。
 エフィーにとって家族と呼べる者は長老であるじいちゃんと、一つ屋根の元一緒に遊びながら暮らしてきたジュリア。エフィーは父も母も見たことが無い。だから、家族の尊さも分かる。いないからどれだけ大切なのかも。それでも、エフィーにとって家族と呼べるジュリアがいるから、優しく、時に厳しいじいちゃんがいるから寂しくなんて無かった。
 でも、新大陸に行くと言う事は、父と神族を探すということはその全てを捨てなくてはいけない。二度と帰れないと言ったエルフ。簡単に決めたわけではない。本当は、一人で行きたくは無かったし、心細いのもある。
 それでも、この少女は着いてきてくれた。
 どうなるか分かりもしない、新世界に。

「だから、驚かせたかったんだ。ちょっとまどろっこしかったけど」

 ジュリアは顔をあげた。
 目の前に、いつもの穏やかな笑みを浮かべる少年がいる。
 急に、心にあったわだかまりが砕けて消えた気がした。

「――エフィーごめん……。 冷たかったよね……。私ね、エフィーがどんどん知らない世界で遠くに行っちゃう気がして、恐かった。……昔ね、大好きだった人がいつの間にかどこかに行っちゃったの。だけど、エフィーはきっと傍にいてくれる気がしたから……だから着いていこうと思ったの」

 昔。
 ジュリアの口からその言葉が聞けるとは思っていなかった。
 エフィーと出会う前の事は、何一つ言おうとしなかったジュリア。
 エフィーはそれだけで嬉しかった。
 妹のようで、時に姉のように、だけど友達として一緒にいてくれた少女が、少しだけ心を開いてくれたようで。誰だって心の奥深くに、人には言えない感情がある。それに触れられた気がした。

「私も不安だったよ。でもエフィーがいるから大丈夫だって思ってる。今だって」

 本当の兄妹ではないけど、それ以上に二人は一緒にいたし仲も良かった。
 お互い、今更離れることは無い。
 まだ、二人はお互いを必要としているのだから。
 エフィーは嬉しそうに笑った。

「うん。じゃ、これ受け取ってくれる? ……あんまり高価な物じゃないけど」

 エフィーはジュリアの目の前に拳を突き出した。
 ジュリアがその拳を見た瞬間、ぱっと手が開く。そこから銀の鎖が零れ落ちた。
 ジュリアはそっとそれに触れた。
 半透明な桃色の小さな飾り石が、吸い込まれそうなほど綺麗で。石のまわりを覆う銀の枠と白い羽根が石の美しさをより引き立てていた。

「……綺麗」

 ジュリアはエフィーの白い翼に憧れている節があった。持っているアクセサリーは羽根の模様がついている物が多い。だから、エフィーは随分迷った末、ラーフォスの勧めてきた青い魚の形をしたブレスレットではなく、自身の選んだ羽根を象った首飾りにした。それが、一番喜んでくれる気がして。

「もらって良いの? 私、エフィーにひどいこといっぱいしたのに?」

 珍しく、ジュリアが申し訳なさそうに瞳を伏せた。
 エフィーは何も言わずに笑って、首飾りをジュリアの手に置いた。
 ジュリアは少し戸惑うように首飾りを持ち上げたが、エフィーがこちらを見ている事に気付いて首飾りを自分の首に通した。白い肌に、銀の鎖が良く映える。青い色を好むジュリアが、桃色のアクセサリーをつけているのは新鮮な感じがした。それでも、よく似合っていた。

「ありがとう」

 小さく、エフィーにしか聞こえないであろう声で、ジュリアは呟いた。
 柔らかな風が再び通り抜けた。木々を揺らし、葉を攫いながら。
 穏やかな昼下がり、周りが砂を吐いている事等、気にも止めないで二人の兄妹は楽しそうに笑った。






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