偽善の象徴
尾行、そう言っても間違いではない行動をジュリアは開始した。途中追いついてきたアジェルの服を掴み、なかば無理矢理に引きずって行く。
エフィーと金髪の女性は、中央街道を歩いていた。歩くうちにエフィーの顔色は大分良くなり、隣の女性に支えられなくても歩けるようになっていた。
「どこまで追いかける気?」
呆れているというか、脱力しているというか、表情こそ涼やかにそれでもやる気の無い声でアジェルは前を行くジュリアを見た。彼女は、いつにない、怒りを秘めた瞳でエフィーを見ている。只の兄弟と言っていたわりには、随分と執着しているようだ。多分、恋愛とかそう言ったものではなくて、所有物を取られた子供のようだと、アジェルは思った。
そう言えば、自分にもそんな時期があったような、そんな気もした。
昨夜、ジュリアを連れて入って行った店の前で、エフィーは立ち止まった。
少し何か話してから、二人は店に入って行く。
「絶対に現場を抑えて、ぶっ飛ばしてやる! 女に貢がせるなんて良い度胸じゃない」
ジュリアのその言葉に、アジェルはエフィーが財布を落としていた事を思い出した。
財布を持たずに、なぜあんな店に入るのか。
深く考えればおかしい。
だが、前を行く少女はそんな事お構い無しのようで、エフィー達が入って行った店に近づいていった。そして店の入口から中を覗き込む。周りから見ればそうとう怪しい姿に映るだろう。
店の中は昨日と同じ、華やかで目に痛い。
天上から下げられた星型のオブジェに、壁一面にちりばめられた花の模様。カウンターには昨日は見なかった、いかつい大男がいた。その姿を見たとき、ジュリアはぎょっとした。一瞬、強盗かと思ったのだ。だが、いかついながらに微笑みながら接客している親父は、どうやら店員らしい。
エフィーは、アジェルとジュリアに気付くことなく、隣の女性と何か話し合いながら可愛らしい装飾品を品定めしている。
アジェルは、そんな二人を見て、いささか不審に思った。何かが違うような、そんな気がする。横を見るとジュリアは、今にも飛び出しそうな勢いで壁を掴んでいる。そのうち壁にひびが入るのでは、と疑いたくもなるような、それほど強い力を込めているらしくその手は震えていた。
「……あの、大馬鹿……」
あくまでも、怒りはエフィーに向いているらしい。
隣にいる女性は眼中にすら入っていないようだ。ただ、怒りに拍車をかけるスパイスにはなっているようだったが。
アジェルはだんだん、帰りたくなってきた。
と、その時エフィーと女性が動いた。きらりと光る宝石がついた、首飾りらしいモノを購入する。見覚えのある鳶色の財布は、エフィーのポケットから出てきた。
その様に、ジュリアは目を丸くした。
「……」
心配していたのは、エフィーが財布を無くして困っていた事。それを裏切られた気がした。
隣の女性は?
何故、見つけたのに真っ直ぐに帰らなかったのか?
何故、少女趣味な店で見ず知らずの女性に首飾りなど買うのか。
理解できない何かと、思い通りにいかない感情が激しく暴れ回るようで、怒っていいのか、悲しむべきなのかそれすらも分からない。
ジュリアは、唇を噛むときっと地面を睨みつけた。
俯くその表情は見えなかったが、泣いている様にも見えた。肩を震わせて。きつく拳を握り締める。
「――っ」
小さく、少女は何かを呟いた。刹那、辺りの空気が動いた。そこを通りがかった人々は、動いた何かに気付く事は無いだろう。そう、動いたのは精霊なのだから。
ジュリアは、近くにいた精霊を呼んだ。アジェルがはっと気付いて、やめさせようとしたときには遅かった。
「エフィーのロクデナシ――!」
もっとマシな罵る言葉は見つからないのだろうか。
ジュリアはエフィーにも聞こえるくらい大きな声で、そう叫ぶと両手を前にかざした。一瞬、掌に光が宿った様に見えた。振り向いたエフィーは驚いたような顔をしていた。
「うわぁ!」
派手な音を立てて、エフィーの頭上にバケツでもひっくり返したような冷水が振ってきた。そんなにたくさん振ってきたわけではないが、エフィーを上から下までびしょ濡れにするには十分すぎる量でもあった。
すぐそこが海の港町だからこそ、水の精霊は吐いて捨てるほどいたのだろう。嬉々と集まってきた精霊たちは楽しげに笑っている。勿論、それが見えるのは精霊と心を通わす事の出来るアジェルだけなのだが。
「ジュリア……?」
放心したように、ジュリアを見るエフィーは訳がわからないといった感じでこちらを見ていた。隣の女性も、事に驚いたかのように振り返った。
辺りは騒然となった。店の主人すらも驚いて、何か言おうと口を開いたが肝心の言葉が出てこない。
ジュリアは、エフィーと一瞬視線を交差させると、脱兎の如くその場から駆け出した。エフィーが最後に見たジュリアは、完全に切れている時に見せる表情。何がジュリアを怒らせてしまったのか、分からないエフィーは反射的にジュリアの後を追いかけた。
戸惑った様子のアジェルの傍を通り抜けて、人々のごった返す中央街道へと駆け抜けて行く。
すぐに少女と、少年の姿は人の波に飲まれて見えなくなった。
残されたアジェルは、いまだ店の中にいる女性を見た。正面から見た、その姿に思わず息を呑む。
「あんたは……!?」
女性と見紛う、華奢で美しい造形をした青年は、ゆっくりとアジェルに近づいた。
アジェルは、信じられないとでも言いた気に歩み寄ってくる青年をまじまじと見つめる。
「――お久しぶりです。アリアジェル」
青年は、小さく微笑みかけた。誰もが綺麗だと騙される極上の笑みを浮かべ、アジェルの前まで歩いてきた。