偽善の象徴
「何で僕とジュリアの名前を知っているんですか?」
簡潔に、率直にエフィーは聞いた。
他に言葉が思い浮かばなかったのが本当の所だが、取り合えず初めから気になっていた疑問だ。
青年は表情を崩さないまま、答えた。
「何でだと思います?」
さらりと交わすように、青年は微笑んだ。
知るわけが無い。と、いいたい所だが一応考えてみる。どこからどう見ても、こんな綺麗な青年とは会った事が無いし、見たことも無いと思う。何よりもこの青年はセレスティス大陸ではなく、このアーシリア大陸にいたのだ。絶対に他からの進入が出来ないはずのセレスティス大陸では、旅人などいない。大して広くは無い大陸なのだから。
そしてセレスティス大陸から外の大陸へ出ることも、普通なら出来ないはずだ。
遥か昔に起こった神と人との戦争により、セレスティス大陸は呪われてしまったのだから。
回り全てと関係を断ち切った孤立した場所、それがセレスティス大陸である。
そう考えると、エフィーは別の大陸に知り合いなど決していない。ジュリアの知り合いなのだろうか?
昔、ジュリアは一人翼族の村のある谷で倒れている所を発見された。
何処から来たのか決して言おうとはしなくて、そもそも人間なのかも謎だ。
セレスティスの人間の町、フィーレの住民では? と考えもしたが、それは違うと本人が言っていた。
ジュリアなら、何か知っているのかもしれない。
「ジュリアの知り合いですか?」
まさかとは思うものの、聞いておく事に損はない。
青年は笑みを崩さないまま、瞳を細めると、間をおいてから答えた。
「ジュリアさん? んー、外れです。正解は……貴方の父君フェイダの知り合いです」
「父さんの!?」
思わず大声を出してしまった。
近くに座っている他の客が、驚いたようにこちらを見ている。
エフィーは顔を赤くして俯く。
照れ隠しのためか、平静さを装うためか、エフィーは水を一口飲んだ。
「でも、何で僕が父さんの子供だって分かったんですか?」
エフィーの父フェイダの顔は写真の中でのみ、知っている。
特別似ている訳でも無い。エフィーはどちらかと言うと、穏やかな母に似たのだから。父とそっくりだと思えるのは、その深い青をした瞳の色くらいだ。
だが、世界は広い。青い瞳の者など、探せば星の数ほどいるだろうし、ましてやエフィーの顔立ちは穏やかだが、目立った特長は無い。可も無く不可も無い、平均的な顔と体格。
「どうしてでしょうね……。『何となく』ですよ。」
曖昧な答え。この青年と話していると、どれが本当の事なのか分からなくなってくる。いつも無表情で淡々と必要最低限に説明してくれるアジェルが何だか懐かしくも思える。少なくともアジェルは正直だ。
「ひとつ、答をあげるとすれば……貴方が額に頂く物ですかね」
頬ずえをつき、考え込んでいたエフィーに青年は答えた。
エフィーは弾かれた様に額に触れる。
そこには、在るべき輝石が存在する。だが、エフィーはこの石を青年に見せてはいない。少し長めに伸ばした前髪で、いつも隠しているのだから。
「この石が何なのか、知ってるのか?」
アジェルは知っているようだった。だが、何度聞いても答える事はなかった。
嘘こそ言わないが、真実も言わない。
頼りに出来る者がいないので、輝石の事は暫く放っておこうと思っていた。
「詳しく何、とは言えませんが……。それは神に属するもの。決して地上人に与えられるものでは無い尊い石だと聞いたことがあります」
「神に属する?」
「ええ。古い伝承にある歌の一説にそういうものがありましたので」
歌、その言葉を聞いてエフィーはなるほど、と納得した。
不思議な服を纏っているのも、手にした銀の装飾美しい竪琴が表すものも理解できた。青年は俗に言う「吟遊詩人」というものなのだろう。古い伝説を歌い、時に遠くの地で起こった出来事を歌に代えて別の地で流す。そう言った職を持つ者がいる事は、本を読んで知っていた。
「失礼だけど、あなたと父さんの関係は?」
率直過ぎるが、いささか不信になってきた青年に向けて、エフィーは問い掛けた。
「フェイダと? ……言うなれば、同士です。神を共に追うものとして、ね」
同士。父の生い立ちは詳しく聞いてはいない。
だが、それでも歳はそれなりに取っていたはずだ。
今、目の前に座る青年は二十歳を過ぎたか過ぎていないくらい。いつ何処で、父と出会ったのだろうか。聞きたい事だらけで、頭がこんがらがってくる。
「父と会ったのはいつですか? 僕、父さんを探してるんです。それに父さんが探し続けてる神族を。もし何か知ってるんだったら、教えて欲しいんだ」
敬語など、普段使わないので少々ぎこちない話し方ではあるが、エフィーは誠意を込めてたずねた。少しでも、真実に近づけるようにと。
「フェイダと会ったのは、大分昔の事です。今どうしているか、私には……」
すまなそうに青年は答えた。
エフィーも残念そうに「そう」と呟き、肩を落とした。
「ですが、フェイダの追っていた『神族』には先日会いました」
「えっ!?」
信じられないものを見る様に、エフィーは綺麗な微笑を絶やさない青年を見上げた。
青年のその深緑の瞳には、悪戯っぽい輝きが見える。まるで子供のように無邪気な笑み。
「――古代神の御子、レイルに」
その言葉にエフィーは目を丸くした。
と、その時、給仕の男性が料理を持ってきた。
青年の傍に、ピザに良く似た円盤状の食べ物を置いた。それは色とりどりのソースがかけられ、なんとも言えず甘そうで、辛そうだった。挙句に、飾りとしてだろうか、綺麗に丸められたサラダが、まるで芋虫のような形を象って載せてある。
エフィーの前に置かれた料理は、ごく普通の何処にでもありそうなラザニアに似た食べ物だった。色も、形も普通のもの。
内心ほっとして、運ばれてきた料理が"アタリ"だと意識した。
◆◇◆◇◆
そろそろ昼食時。
辺りは賑わい始め、宿屋の食堂も活気に溢れてくる。
立ち込める香ばしい香料の匂い、湯気が立つ暖かなシチューや、地鶏の串焼き、様々な料理がウェイターの手に運ばれ、料理を待ちわびる人々に届く。
ウェイターは、窓際の席に座る二人組に料理を運んだ。
お盆に載っているのは、ごく普通のパンと、温かそうなコンソメのスープ、メインと思われる豚の生姜焼きとサラダの盛り合わせ。それに林檎が五つほど入ったバスケットだ。
料理を受け取ったのは、人の目を引く鮮やかな髪の色をしたエルフと、幼さの残る顔立ちをした、藍の髪を持つ少女だった。そしてテーブルの上には、トカゲに良く似た、薄緑色の可愛らしい生き物が、ナプキンを首に巻き、食事が来るのを待ち構えていた。
ウェイターは『ごゆっくり』と言うと、すぐにその場から離れた。仕事が忙しいのもさながら、二人の、いや正確には少女の不機嫌そうな表情に恐れをなして逃げたようにも感じられる。向かいに座るエルフは目の前に置かれた林檎を一つ手に取ると、皮も剥かずにかじる。同じように、薄緑色の生き物もバスケットに入り込み、真っ赤に熟した林檎にかじりついた。目の前で不機嫌そうな少女がいる事など気にも止めないように。
「エフィーたら、財布探しに何時間かけてるのよ。それだけじゃないわ! よりにもよって今日、私を差し置いて!」
少女、ジュリアが怒り始めたのはつい先程。
まだ夢の中にいたアジェルとミストを叩き起こし、意味不明な言葉を叫び続ける事数分。酷い起こされ方をされた一人と一匹に反撃の余地も与えずにジュリアはひたすらエフィーの馬鹿、あほ、などと口走り続けていた。
意識がはっきりとしてきたアジェルが、「何かあった?」と聞くと、待ってましたと言わんばかりにジュリアが話し始めた。
話によると、ジュリアは一人朝食をとった後、エフィーを探しに行ったらしい。
広い街なので、すぐに見つかるとは思っていなかったが、意外と早くに見つけることが出来た。
そこは公園だった。港町のほんの一角、緑の鮮やかな光と水に彩られた心休まる場所だった。そこで、エフィーがベンチに腰掛けているのを見つけた。そして、隣には零れんばかりに微笑む、綺麗な女性。間に入る前に、心配して探しに来た自分が馬鹿らしく思え、その場をすぐに去ってしまったという。
つまり、エフィーが"綺麗な人"と話しているのが気に食わなかったらしい。二の次辺りに、財布探しを怠っていた事も。
「今日なんかあるの?」
林檎を早くも半分骨にしたアジェルは、呆れたように聞き返す。
下を見ると、ミストが二つ目の林檎に襲い掛かろうとしていた。
平らげた一つ目の林檎は、食べかすすらも残さずに丸呑みしたらしい。ミストの周りは綺麗なままだ。
「別に忘れたってかまわないわ。そりゃ最近忙しかったし、色々あって私も忘れてたし。ただね! 私が言いたいのは……」
「エフィーが浮気してるからー、許せないー……って?」
ジュリアの言葉を遮って、実にやる気の無い声でジュリアの言おうとした事を完結に繋いで見る。
ジュリアは、きょとんとした表情で、アジェルを見た。
そして見る見るうちにその表情が歪む。
「違う! 何言ってるのよ。私は別に……エフィーが誰と話そうが関係ないし。第一私達、そういうんじゃないし。私が言いたいのは……」
視線を泳がせ、ジュリアは閉口した。
俯いたまま、運ばれてきた料理にようやく手をつけはじめる。
スープはまだ温かかった。
怒気が抜けたのか、その後ジュリアは黙々と料理を平らげた。
最後にデザートのイチゴアイスを膨れっ面ながらに、それでも美味しそうに食べると、甘ったるそうな桃色の飲み物を一口飲んだ。相当、口にあっていたらしく、先程までの機嫌の悪そうな態度は何処へやら、実に幸せそうに口元を拭いた。
バスケットの中では、ミストが同じように口元を拭う。アジェルよりも小さな生き物は、当のアジェルよりも多く林檎を平らげたらしい。すっかりとお腹が丸くなっている。
「あれ、エフィーじゃない?」
窓際の席から、外を窺っていたアジェルは、道を行く一人の少年を指差した。
そこには、真っ青な顔をして、口元に手を当てているエフィーと、寄り添い支えるように歩く一人の女性がいた。
ジュリアは手に持っていたコップを、ミストの上にポロリと落とした。
突然コップが振ってきた事に驚いたミストは小さく鳴き声を漏らす。
「あの……破廉恥馬鹿!」
わなわなと、震えながらジュリアは席を立った。
何だか嫌な予感がして、ミストはアジェルの肩によじ登った。
怒りを爆発させたように、ジュリアは店を出て行った。
嵐が通り過ぎた後のように、ジュリアの通った場所はぽっかりと道が出来ていた。あまりの見幕に、恐れをなした人々が道をあけたらしい。
「……追うべき、かな?」
一人残されたアジェルは、そう呟くとめんどくさそうに立ち上がった。
店の人に二人分の食事代を払うと、実にかったるそうに店を出て行く。
別に、放っておいても構わないのだが、今朝のように只でさえ喧しい少女にまた愚痴られるのもめんどくさい。それに、エフィーと共にいた人物に、一瞬不安が過ぎる。
仕方無しに、アジェルはミストを連れたまま、店のドアを押す。
恐らく、修羅場となるであろう町へと、一歩踏み出した。