三つの命令


 少年はまた、その場所にきていた。
 何かがある訳でも無いのに、ただ一人になりたくて。
 ふらりと出てきて、行き着くのは何故かこの場所。
 先日、機嫌が悪かった少年が見事に破壊した灯台の最上階。
 見晴らしの良くなったその場所に座り、ぼんやりと海を見ていた。広く、世界を見渡せるこの場所が、何故か好きなのだ。少年の故郷に、この場所から見える光景に似た場所があったから、何処となく落ち着くのかもしれない。そして、人気のいないことも相まって、一人で考え事をするには、とても良い場所でもあった。

「また、こんな場所で何をしているんです?」

 背後から声がした。
 何の気配も無いのに、暗闇から聴こえた声は少年の良く知るものだった。
 振り向かなくても、誰だかは分かる。
 質問に答えないでいると、背後の暗闇から声の主と思わしき麗しい女性が顔を覗かせた。

「どうせまた、あの時のことを考えていたのでしょう?」

 女性にしては低い、いや低すぎる声。
 影から出てきた女性は、見目麗しく華奢で、長く伸ばした金の髪を結わえもしないで背に流しているので、その声を聞くまでは誰もが女性だと思うだろう。
 だが、よく見れば胸は平たく、服装も女性のものにしては少し大きめだ。
 声を聞いた者は、よくよく考え直してからこの人物が男性だと知るだろう。
 少年は気分を害したように、振り返った。
 その睨んだもの全てを凍てつかせてしまいそうな、色素の薄い淡水の瞳で背後の青年を見る。
 予想通り、そこに立っていた青年は、少年の良く知る人物だった。

「だからあんたは嫌いだ。そうやって何でも知ってますって風で……」

「図星だったんですか? ねぇ、レイル?」

 青年は意外そうな顔をしたが、すぐに笑みを浮かべ少年の隣に腰をおろした。
 一時的に会話が切れ、静かになる。レイルと呼ばれた少年は、言葉を発する気配はない。

「――過去に囚われすぎると……貴方の未来も黒く染まってしまいますよ?」

 独り言のように、俯いて青年は言った。
 その表情は笑みを浮かべているのに、ひどく悲しそうだった。

「あんたに何が分かる? あの時、あの場所にいた訳でも無いのに」

「貴方は考えすぎです。もう、帰らぬ人のことを考えるのはおやめなさい。自身を追い詰めるだけなのですから……」

 諭す様な言葉。
 それでも、少年レイルの心には何も響かない。
 囚われて、自分を追い詰めて、それでも考えずにはいられないのだ。
 あの時に起こった事を。
 突然の悲劇と言ってしまえばそれまでなのかもしれない。
 それでも、レイルにとっては心に深く突き刺さった棘のように、三年立った今でも忘れられない。
 あの日、魔族が村を襲った事件が……。
 彼の故郷、セレスティス大陸の封印の村は、突如神石――つまりレイル自身を要求してきた魔族に一夜にして血の海に静められた。要求を飲む暇もなく、無慈悲に、彼らはレイルを捉えるために無関係な人々を虐殺した。そして、その中にはレイルの家族も含まれていた。
 父と、三つ年の離れた弟と、たった一人の双子片割れ。掛け替えの無い三人の血縁者は、その悪夢のような日に、早すぎる終焉を迎えた。そうと知りながら、助ける事は愚か、見取る事すらも出来なかったレイルは、自身を責め続け、元凶となった神石と魔族と、その背後にいた神族に深い憎しみを覚えていた。

「俺にどうしろと? あいつらに殺されるのを待てと? それとも、地上人として生きろとでも言う気か?」

 三年の月日。
 それは彼の心を毒すには十分すぎた時間。
 悔やんでも悔やみきれない過去に囚われ、行く道も無く、ただ世界を回り続けた。
 始めは、復讐を誓った。
 呪うべき神と、魔族に。
 だが、神界への道を開くことは出来なかった。
 少年はあまりにも幼すぎたし、また道を開くための術も知らない。
 村に置いてきてしまった古文書や古い書物。何故、読んでおかなかったのだろうと、今更後悔しても遅いのに。
 行き場のない負の感情は、レイルを生き長らえはさせた。しかし、それと同時にその心は死んだ者のように冷たく冷え切っていく。

「私は、貴方に幸せに生きて欲しいだけですよ。かつて、古代神……貴方の母が望んだように。たった一人生き残ったのですから」

「一人? あいつは、あの時死んだのに、どうして俺だけ残るんだ?」

 失いたく無いモノがあった。
 それは儚くて、触れるだけで砕け散ってしまいそうだったけど。それでもたった一つだけ、掛け替えの無いものがあったのだ。
 守りたかった。守れなかった。指の隙間から、砂のように流れ落ちていってしまって、残ったのは自分と言う一粒の小石だけ。

「同じ命を持って生まれたのに。あいつは何の力も持たない地上人だから、身を守る術も無いまま殺された……。神族も魔族も、俺は許さない。絶対に……」

 同じように、全てを分け合って生まれたはずの半端な神の片割れ。
 全てが同じだったから、いつも一緒だと信じてた。
 それなのに、いつからかもう一人の御子はレイルとは違う存在となっていた。
 レイルのように空を舞うことはできずに、満足に力も使えず、そしてその命の灯火は日に日に弱っていった。
 誰もが知っていた。一人の御子は完全体だが、もう一人は不完全だと。そして生来より、体の弱かったもう一人の命は、母と同じ病で倒れようとしていたと言うのに。それを知りながら、何も出来なかったのはレイル自身で。それ故の悲劇とでも言うのだろうか。
 たった一人のレイルの片割れは、彼の知らない場所で死に絶えた。
 それは、聞き知ったことだ。今、隣で静かにレイルの言葉に耳を傾けている青年から。

「あの子は、どの道長くは無かった。神族の力は、不完全な人の身体には荷が重すぎた。あの子は、貴方とは違ってただの地上人。いずれは死の道を辿る命です。誰かを憎むのはおやめなさい。憎しみからは何も生まれないのだから……」

 地上にあるものはいつか死を受け入れなければならない日が来る。
 それは世界の理。万物全てにある、永遠の安らぎ。
 それでも、やるせない気持ちは後から後から込み上げてくる。
 レイルにとって、憎まずにはいられないのだ。神も魔も、決して許せないものだった。

「それでも、確かにあの時までは生きていた。少なくとももう少しは、生きていたはずだったのに……。いつもそうだ。神族は自分たちの都合ばっかり押し付けて、俺たちの事なんて考えても無い。神なんて滅べばいいのに……!」

「……貴方も、その神の一族なのに?」

 どんなに否定しても、レイルの身体に流れるのは神の血。
 呪われた力と運命を受け継いだ、古代神の末裔。
 他の何者でもなく、レイルは所詮神の一族なのだ。

「……」

「良い事を教えましょう。貴方の大嫌いな神族が、空より一人の刺客を放ちました。三つの命令を携えて」

 その言葉に、レイルは我に返った様に目を見開いた。

「命令内容は詳しく知りませんが、一つは貴方の抹殺。そして古代神の神石の捜索と、もう一つは知りません。貴方の行動次第では、神界への扉を開くことが出来るかもしれませんよ? 刺客は……最後の刻人、ルカ・エングレイヴなのですから」

「何っ?」

 その名前には聞き覚えがあった。
 何処で聞いたかは忘れたが、確かに聞き覚えがある。
 そして何よりも、刻人と言う言葉に、レイルは反応した。

「刻人は時空間を自由に移動する術を持っています。もし、上手く利用できれば貴方は神界へ行く事が出来るかもしれませんね」

「神界に……?」

 それは今、レイルにとってもっとも叶えたい願いでもある。
 この三年間、神界へ行く方法を探し続けてきたのだから。

「全ては貴方次第です」

 そこまで言うと、青年はゆっくりと立ち上がった。
 先ほどとは違う、何かを決意したような表情で。笑みは、消えていた。

「古代神の残りの神石を、探しなさい。さすれば自ずと道は開かれるでしょうから」

 歌うように、綺麗な流れの言葉。それは人には聴こえない神の言葉。
 レイルは、このとき初めて少年らしい表情を浮かべた。
 困惑と躊躇。それでも、その瞳は強い光を灯していた。
 小さく頷くと、レイルも立ち上がった。

「あんたが何故、そんな事を教えてくれるのかは知らないが、その言葉信じても良いんだな?」

「決めるのは貴方です」

 さらりと交わすように、笑みを浮かべ青年は言った。
 その表情には悲しみの影が濃く映っているようで、酷く切ない。
 それでも、口調ははっきりとしていた。

「全ては、貴方の思うがままに……レイル」

「ああ、分かったよ」

 レイルが他人の言葉を聞かない性質なのは、青年も良く知っている。
 最後に、決めるのはレイル自身なのだ。
 それなら、選択肢くらいは与えてあげようと、何故だかそう思ってしまった。
 それは青年の望むものではなかったのに、何故かそうしなければいけない気がした。

「俺はもう行く。今度は、南の大陸に渡る」

 この港町デューベルより出ている定期船に乗れば、三日で着く大陸がある。
 そこは、青年も、またレイルもまだ訪れたことのない地。

「そうですか……。お気をつけて」

 もう、後戻りは出来ない気がした。
 彼を行かせたら、二度と戻れないような。あえて、それを口にはしなかったけれど。
 青年はただ、悲しそうに微笑んで、少年の旅立ちを見守ることにした。

「ラーフォス、あんたも大概神族に首突っ込むのは止めたほうが良い。そんな事ばっかりしてると早死にするぜ?」

 嘲るように、冗談めいた声色でレイルは言うと、そのまま純白の翼を背に浮かび上がらせた。
 灯台の際まで来ると、数回羽ばたく。

「じゃあな。次に会うのは、俺が神石を見つけたときかもな」

 それだけ言うと、レイルはゆっくりと飛び上がった。
 大空に向け、真っ白の穢れない翼を羽ばたかせて、新たな世界へと飛び去っていく。
 その姿が見えなくなるまで、ラーフォスと呼ばれた青年は見守っていた。
 その深い緑の瞳を曇らせたまま。

「レイル……もし、あの子が生きていることを知ったら……、貴方は私を憎むでしょうか?」

 最後の呟きは、風と共に消えていった。
 空は闇色に染まり、星ひとつ輝かない暗い夜が訪れていた。






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