三つの命令
セレスティス大陸の翼族の村を出てきて、気付けば一週間が経とうとしていた。時間の感覚が同じであると言うのならば、明日は、本人が覚えているのか定かではないが、横を歩く少女の生まれた日になるらしい。
毎年、この時期になると決まってジュリアははしゃぎ出し、何かと小物の売る店に行きたがる。毎度のことなので、エフィーはすっかり慣れてしまっていたが、今年はそういうことが無かった。多分、色々とあったので忘れてしまってるのだろう。
それなら、ちょっとは驚かせてみようと思い、自分から誘ってみた。うきうきとした表情で活気溢れる港町の市場を歩く少女は、全く気づいていないらしく、「何を買うの?」とたずねてくる。
さり気なく誤魔化して、エフィーは少女が好みそうな、可愛らしい雰囲気のアクセサリー店で足を止めた。
「エフィーがこういうの見るの、珍しいね。何か買うの?」
普段ならキラキラした宝飾品には全くといっていいほど興味の無いエフィーが、少女趣味なアクセサリー店で足を止めたので、ジュリアは不思議そうな顔をしている。
「ん、いや……ちょっとね。時にはこういうのも見たいなって思って」
あり得ない嘘ではあるが、ジュリアは「へぇ」と相槌を打つと、そそくさとアクセサリーを見る為に、店へと入っていった。
普段行かない場所なせいもあって、店内の装飾にエフィーは一瞬入るのを躊躇った。それほど、店の中は少女趣味な感じだった。
壁には淡い桃色の花がちりばめられ、天上からはガラスと思われる星型の透明なオブジェが雨でも降っているように吊るされている。綺麗に並べられた小物やアクセサリーはシンプルと言う言葉を知らないように、キラキラと輝いていた。
エフィーとジュリア以外に客はいないようで、店員らしき人物が二人を背に戸棚を整理していた。
「さすが港町ね。魚のカタチしたのが沢山ある。あ、この色綺麗」
ひっかえとっかえ、可愛らしいブレスレットや首飾りを手にとってはエフィーに見せる。
こういうのは毎度のことなので、「可愛い」とか「似合うんじゃないかな?」など言っておけば良い事を知っているエフィーは、適当に相槌を打って店にきた本来の目的を果たすために、自分も小物が並んでいるテーブルに近づいた。
「っあ……!!」
突然、カウンターの方から小さな叫びが聞こえた。
振り向くと、棚を整理していた店員が手を滑らせて棚にあった箱を落としてしまう場面だった。
一つの箱が落ちたかと思うと、雪崩れのように後から後から不安定に積み上げられた箱がばらばらと落ちていく。
店員は必死に抑えようとするが、結局適わず、数個を残して箱は全部落ちてしまっていた。
「大丈夫ですか?」
崩れた箱を数個拾い、棚を抑えている店員に差し出した。
店員は驚いたように、振り返った。長い金髪が、ふわっと風に舞うように流れた。
店員はまだうら若い、花のような、という言葉が良く似合いそうな美しい女性だった。
アジェルの氷的な無機質な綺麗ではなく、暖かい春のような人。
店の雰囲気に馴染む、フリルのついた可愛らしいエプロンをしている。
「あ、すみません。お客様が来ていたことに気付かなかったもので……。ありがとう御座います。ちょっと手を滑らせてしまったようです」
店員は、エフィーから箱を受け取ると、申し訳なさそうに頭を下げた。
エフィーは呆然と、女性を見た。
何か、信じられないものでも見るように。
「どうか……しましたか?」
「え、いや……。なんでも無い、です」
さっと目を逸らすと、残りの箱を拾ってやり、店員に渡した。
「ありがとう、ちょっと今腰が痛くて……とても助かりました。――もしかして彼女にプレゼントですか?」
にこやかに微笑むと、店員はジュリアの方を見た。
ジュリアは相変わらず楽しそうに品定めをしている。
「いや、そんなわけじゃ!それにジュリアは彼女じゃなくて……」
突然の店員の言葉に顔を赤らめ、エフィーはうつむきながら答えた。
「恥ずかしがらなくてもいいんですよ」
店員はくすくすと可笑しそうに、口元に手を当てながら笑った。
と、突然店の入口から甲高い声が上がった。
「エフィー、アジェルが今そこ通ったわ」
アクセサリーを見ていたはずのジュリアは、何時の間にか店の入口に移動していた。
「え? アジェル……?」
先ほど何処に行くかを告げずに出て行ったエルフが、店の前を通ったらしい。
ジュリアは小走りにエフィーのもとまで来た。そしてエフィーと話していた綺麗な女性を見ると、不思議そうに小首を傾げてから、エフィーの腕を引っ張り外へとでようとした。
「っわ、ジュリアちょっとまっ……!」
引きずられるように、店の外へと連れて行かれる。
店員は少し驚いたように長い睫毛に縁取られた深緑の瞳を瞬いたが、エフィーが店を出て行くと、笑顔で手を振り、
「またのお越しをお待ちしております。エフィー・ガートレンさん」
と、言った。
その瞬間、エフィーは不意に変な感じがした。
あの店員に、名乗っただろうか?
ジュリアが、名前を読んだから知ったのだろうか?
いや、違う。彼女はエフィーの下の名前を知りはしない。知るはずが無い。
たった今、初めて会う人なのだから。
「ジュリア待って、今の人……」
爆走しようとするジュリアを呼び止めようとしたが、ジュリアは一軒の薬屋の前にいた人物の名前を呼んだ。
「アジェル、何処に行ってたの?」
ズルズルと引きずられ、コチラに気がついたらしいエルフの下へと行き着く。
アジェルは何かを買った後らしく、手に小さな紙袋を持っていた。
その表情は先ほどと違い、ずいぶんと穏やかになっている。
「何してるの?」
ジュリアの質問には答えずに、アジェルは奇妙な格好で引きずられているエフィーと逆さに腕を掴んでいるジュリアを見比べ、変なものでも見るように眉をひそめた。
冷めた視線に気付いたジュリアは、エフィーの腕を離した。
「何してるんだっけ? えっと……エフィーが出かけたいって言うから、ついてきたのよ。アジェルこそ何してたの?」
「薬買っただけ。色々と必要だからね。予備とか買うの忘れてたし」
ほら、とでも言うように紙袋をジュリアの目線まで上げて見せる。
「なんだ、私怒ってどこか行っちゃったのかと思った」
先ほどの態度だ。てっきりジュリアはアジェルがブチ切れて出て行ったのかと思っていた。
ほっと、安心したように胸をなでおろす。
今一、アジェルの行動と感情が読み取れない。
どう見ても今のアジェルは穏やかで。さっきのようにぴりぴりとした雰囲気は無い。
「怒る? 別に怒ってなんていないけど? 気分が悪かっただけで……。あんまり気持ち悪いから酔い止めも買うつもりで薬屋に来たんだ」
酔う。その言葉に、エフィーとジュリアは納得した。
今朝、エフィー達は港から出ている小船で中央市場に行った。
中央市場は港町から船で半時かからない、海の真ん中の埋立地にある。
そのために必然的に船に乗ったのだが。それで船酔いでもしたのだろうか?
言われてみれば確かに、宿に戻った時のアジェルの顔色は青白かった。
本人、気づいているのか謎だが、このエルフは船酔いをしてたらしい。
「なんだ。そうだったの」
「だから言っただろ、いつもと変わらないって」
只の勘違いだったことに、苦笑いを浮かべジュリアは素直に「そうだね」と言った。
そろそろ陽が傾いてきた時刻。
辺りは薄っすらと暗くなり始めている。
アジェルは宿に戻ろうと言い、方向転換をした。
「あ、待って。僕ちょっと行きたい場所があるから、先に帰ってて」
エフィーは先ほどから気になっていた現況を確かめるために、もう一度あの店に行こうと思った。
「ちょっとエフィー……?」
呼び止める間も無く、エフィーは走り去っていった。
残された二人は、お互いの顔を見合わせた。
「……帰ろうか?」
アジェルは小さくそう言うと、宿に向かって歩き出した。
ジュリアも、エフィーが去っていった方を一瞥すると、その後に続いた。
◆◇◆◇◆
店はさっきと変わらず、少女趣味できらきらとしていた。
店内には客が数人いた。見回すと、カウンターにフリルのエプロンをつけた人物が、客に商品を紹介していた。
だが、フリルのエプロンをつけていたのは、先ほどの女性ではなかった。
この少女趣味な空間には場違いな、筋肉隆々の顎には立派な口髭を伸ばした、文字通りいかつい親父だった。
頭がそろそろ禿げかかっているところを見ると、歳ももう若くは無いようだ。
話し掛けることに相当戸惑ったが、こうしていても埒が明かないので、勇気を出して話し掛けることにした。
「すみません、さっきここにいた金髪の店員はいますか?」
「あぁ!? 金髪の店員だと? 知らねぇな……」
客に対する態度にしては些か傲慢な口調で、親父は言った。
その声も、振り返った傷だらけの顔も、迫力がありまるで海賊のようだ。
「でも、さっきまでここに……」
「何言ってんだ? この店の店員は俺だけだ。悪いが他の店と間違えてるんだろう」
そんなはずは無い。ここまで少女趣味で、派手な外観を持つ店など他には無かった。
ましてやさっき、この親父は見ていない。
店員が店を空けることは考えられない。
なら、あの時見た女性は一体何者だったのだろう?
「すみません、間違えたみたいです」
潔く謝ると、エフィーはその場所を後にした。
近くの店を見渡したが、それらしい店は無く、仕方が無いので宿へ戻ることにした。
見間違えだったのだろうか?
どうにも拭いきれない奇妙な感じに、エフィーは軽く頭痛を覚えた。
昼下がり、そろそろ空が赤く染まり始めた時刻。
先ほどの夢は白昼夢だったのだろうか?