白い翼
振り向くと、そこには見慣れた少女がいた。そしてその後ろには、先ほどまで探していた人物が。
「エフィー!?」
ジュリアは駆け寄ると同時に、小さく呪文を唱えた。
そして手のひらに小さな紅蓮の炎を浮かび上がらせる。
「じゅっジュリア!?」
鬼気迫るその表情に退け腰になりながら、エフィーはその後の展開に目を瞑った。勝手に出て行って、こんな騒ぎを起こしてしまった事に、怒りを感じているのだろうか? いや、怒られるだけならばまだいい。だが、魔術により生み出された炎などで焼かれるのは、洒落にはならない。
思わず、逃げ出しそうになるエフィーを捕らえジュリアはエフィーの後ろで縛られた腕を引き寄せた。
ジュっと、何かの焼ける音がした。次第に手首に熱が伝わり、何が起こったのかを理解する。
ジュリアは凝縮した炎の力で、ロープを焼き切ったのだ。
開放された手首は、ロープの痣が浮かんでいたが、大したことはなさそうだ。
「エフィー心配したんだから!! もう売られたのかもって……。もしくはドン臭いから殺されちゃったんじゃないかって」
心配してくれたのはありがたい限りだけれど、紡がれるのは随分と無神経な言葉だ。
エフィーは困ったように笑うと、ごめんと呟いた。
また、心配させてしまったようだ。もう、自立すると決めたのに。
「本当ならもっと危なかったかもしれないけど、何か偶然居合わせた天使みたいな人が、盗賊含めてぶっ飛ばしてくれたんだ。お陰で僕は助かったけどね」
当の盗賊は瓦礫の下で埋もれている。さすがに死んだとは思えないが、相当のダメージはあっただろう。もしくは、動く気配がない所を見ると、皆失神しているのかもしれない。
もちろんエフィーは助けてやる義理は無いので、このままトンズラしてしまおうと考えていた。厄介事には関わらない方が良いからだ。
「天使……、ってもしかしてこの灯台を破壊した人?」
遠くから見ていたが、天使らしき人物はジュリアとアジェルのいた角度からは見えなかった。かといって、エフィーを含め、この場にいた誰かにあれほどの魔術を扱えるとは思えない。
そうなればエフィーの言っていることは本当なのだろうか?
「そう、翼族でもないのに翼を持ってた。でも天使じゃないって言ってた気がする……突然だったからよく覚えてないけど」
「天使じゃなくて、翼族でもない……?」
一人会話に入り込んでこなかったエルフが口を開いた。
その表情は何かを考えている時のものだった。
アジェルは暫く考えた後、殺伐とした辺りを見渡した。
そこには、精霊の気配は感じられない。
「その人物が使ったのは古代魔術。地上人には許されない禁断の術……。精霊たちが逃げていったのが何よりの証拠だ。精霊は古代魔法を怖れているから」
淡々とした口調で紡がれる言葉は真実味がある。少なくともアジェルは嘘を言ってはいないだろう。
古代魔術は知識の上で、エフィーもジュリアも知っている。
普段ならば精霊を媒体として力を引き出す『魔術』であるが、古代魔術だけは特別視されている。何故なら、この魔術は精霊の力を一切借りずに己の身に宿る魔力だけで、自然のバランスを崩す事が出来るほどの力を持つ術を使う事が出来るといわれている。ただ、この術を扱うにはそれこそ想像も絶するような魔力が必要となる。もちろん制御する事も難しく、人の身には余る術なのだ。それゆえに、この術は古代魔術と別称され、禁じられた魔法でもあった。
それならば、エフィーの見た人物は何故、白き翼を持ち禁じられた古代魔術を使役したのか。
それは人に許されざる所業。
「まさか……」
予想が当たっているのなら、彼は――――。
「神族?」
信じられないといった瞳で、ジュリアは呟いた。
ありえるはずは無い。
神族が地上界に降りてきたなどとは。
神が地上界を去ってから六千年。もはや神は神話の中の存在だった。
そしてこの眼で、実際に見てしまったなどとは、考えられなかった。
「その人物の特徴は?」
探るように、その淡水の深く澄んだ瞳を細め、アジェルは尋ねる。
エフィーは必死に先ほど見た神族らしき人物を思い出そうとした。
だが、浮かんでくるのは逆行に照らされた純白の翼と、月よりも淡く綺麗な金色の髪くらいだ。
「特徴っていっても……。金髪だったぐらいしか」
顔を見た訳でもなく、背格好は宙に浮いていたせいもあってよく分からない。
どんな服装だったか、どんな顔だったか。
それすらも分からない。
「金髪? ……じゃあ違う。レイルじゃない」
残念そうに、呟いた。
エフィーはレイルのことをすっかり忘れていた。
あの時、目の前の人物が神族ではないかと、微かだが思っていたのだ。
何故聞かなかったのか。同胞なら、レイルのことを知っていたかもしれないのに。
「すっかり忘れてた!」
思わず頭を抱え込みたくなる。
折角のチャンスを無駄にしてしまったのだ。今更後悔しても遅すぎると分かっているが、それでも悔恨の念は消えそうに無かった。
と、その時。アジェルの横辺りから何かの動く気配があった。
積み重なっていた瓦礫が不安定な場に崩れ始める。
エフィーは少し長居しすぎたことに気付いた。
「やばい、賊が起きたんだ。早く逃げよう!」
言うが早いが、エフィーはジュリアの手を掴むと勢い良く崩れた灯台の窓から飛び降りた。
「ちっちょっと――――!?」
驚きのあまりジュリアが絶叫交じりの叫び声をあげた。
上手く風に乗ると、エフィーは羽ばたいて灯台に残っているアジェルの元に行き、手を差し伸べた。
だが、アジェルは小さく首を横に振るうと、
「いい、自分で降りるから。エフィーとジュリアは先に帰ってなよ」
と言った。
そして付け足すように「早く」とせかす。
追われているのはエフィーで、アジェルではない。
そしてアジェルは前にこの数の賊たちを一人で叩きのめしている。
別段、問題は無いらしい。
エフィーは分かったと頷くとそのまま疾風の如く飛び去っていった。
「ほんと、こういうのはお節介だね。さてと……」
小さく溜息を吐くと、モゾモゾしている地面を思いっきり踏みつける。
「ぎゃっ」
無残な叫びが一瞬瓦礫の下から聞こえた。
どうやらアジェルがここにいることは分かっているらしく、急に大人しくなった。
「俺はあの時、忠告したよ?」
踏みつけている地面が震え始める。
アジェルは構うことなく、瓦礫に手をかけた。
「ねぇ、ラドックさん」
瓦礫を剥がすようにどけると、そこには真っ青になって怯えた表情の赤毛の青年がいた。
ラドックは自由になった足で、懸命にアジェルとの距離をとった。
「いや、人違いだ! そう、たまたま茶髪のガキを探せって言う依頼があってよ」
賊と奴隷商人や人買が通じているのはよくあることだ。
そしてたまに賊はそういった依頼を受けることもある。
ありえると言えばありえるかもしれない。
だが、ラドックはエフィーを選んだ。茶髪の少年など世界各国何処にでもいる存在の中から。
それはつまり、翼族としての物珍しい生き物を捕まえようとしたのだ。
ラドックの言葉は、見苦しい言い訳にしか聞こえない。
「へぇ、随分と急な依頼だね。でもエフィーを攫ったのは事実だし? 俺の忠告を聞かなかったのはあんただ」
冷たい瞳に、氷のような鋭さが混じる。睨まれただけで、震え上がってしまいそうな。なまじ人形のように整った顔立ちをしているからこそ、その迫力は絶対零度の恐怖があった。
凍りついたように、ラドックは動けず、息を呑む。
「お前……まさかあの時……?」
誰よりも近くで、あの目茶苦茶な天使を見たラドックは、暗がりながらもその顔を見ていた。
そして間近で見る、エルフの顔は先ほどの「天使」に酷似していた。
雰囲気こそ違っていたが、確かにその冷たい瞳には同じ何かを感じる。
「余計な考えは身を滅ぼすだけだよ? さようなら、馬鹿な人間……」
氷のように冷たいエルフが感情のこもらない、冷淡な声色でそう呟くと、ラドックはその場に倒れた。
触れてもいないのに、何の前触れも無く目を見開いてラドックは意識を失った。
まるで、蝋燭の灯火がふと消えてしまったかのように、突然の出来事。
アジェルはそれを確認すると、来た道を戻っていった。
その姿が螺旋階段へと消えると、灯台は急に時が止まったように静かになった。
淡い月明かりだけが、時間の流れを伝えるようにおぼろげに輝いていた。