白い翼


 少年は深い眠りについていた。
 そこは、灯台の屋根の上。
 吹き抜ける風が酷く冷たいにもかかわらず、少年は薄い衣装をはためかせピクリとも動かずに瞳を閉じている。
 誰がどう見ても夢の中に憩っていることが分かった。
 だが、その表情は決して安らかなものではない。
 淡い絹糸のような金髪からのぞく額には玉のような汗が滲み、苦しげに潜められた柳眉と硬く閉ざされた唇。肌は蒼白なまでに白く、青ざめていた。
 整った顔立ちの美しい少年だったが、浮かべる苦悶の表情はまるで悪夢でも見ているかのようだ。
 少年は深いまどろみの中で、過去の記憶を呼び起こしていた。
 今となっても心を苛む残酷な記憶は、深い眠りと共に少年に悪夢を見せ続ける。
 逃れられないもの。
 うめくように、少年は一つの言葉を搾り出すように呟いた。

『ア……リア……』

 小さな呟きは、強い風音に吹き消された。
 誰も知らない其の場所で、少年は深い深い悪夢を見続けるだけ。



◆◇◆◇◆


 メリッサにこの街に盗賊がいないかを聞くと、彼女は思い当たるのが数人いると答えた。
 そして赤い髪の盗賊は一人だけだと、教えてくれた。その盗賊がどこにいるのかも。
 盗賊の名前はラドック。まだ若い盗賊で、失敗ばかり繰り返しているので自警団もそこまで気にしていなかったという。
 だからと言って放っておくなよ、と内心思いつつもアジェルとジュリアはメリッサに礼を言い、ラドックのいるらしい港まで来た。
 片っ端から倉庫と言う倉庫を暴き、探し回ったが盗賊らしき者を見つけることは出来なかった。
 少しばかり来るのが遅かったのだ。
 探しているエフィー自身が、その場から逃げてしまったのだから。

「何処に行ったのかしらね?」

 強い風が出てきたため、急激に温度の下がった港でジュリアとアジェルは立ち往生していた。
 エフィーは一体何処に言ったのだろうか?
 四番目に暴いた倉庫には、人のいた気配があった。
 飲みかけのカップにまだ温かいポット。倉庫にしては不要のものが多すぎる空間だった。雑誌やソファーなどがあちこちに散らばっており、まるで休憩所だ。
 多分メリッサの言っていた盗賊のアジトはこの場所に間違いないだろう。

「さぁ、でもまだ売られてはいないと思う。闇での取引にはそれなりの時間と準備が必要だから……」

 知っているかような口ぶりで、アジェルは呟いた。
 その無表情ともいえる顔からは何の感情も読み取れなかったが、口調がいつもよりも早いことから焦っているのが分かる。どんな人も、感情の変化を完全に隠しきれる者などそうざらにいない。
 ジュリアもエフィーが心配でたまらないが、今は考えることが先決だ。

「エフィー、何処にいるかしら? 私がエフィーなら助かるために嘘をついてでも逃げようと思うわ。エフィーだって馬鹿じゃないもの。それなりの対処を考えるはずよ」

「ジュリアなら何の嘘をつく?」

「私なら……自分よりももっと凄いものに興味を引かせて……そう、まずは外に出るわ」

 屋内では助けを呼ぶことも出来ない。
 逃げる事が適わないのなら、せめて外に出る。そうすることによって、少し道が広がるかもしれないから。
 ではその後は?

「エフィーは翼族よ。空を飛べるわ。……もしかしたら高い所にいるかもしれないわ。うん、絶対そうよ! 高い所なら、エフィーは自由に逃げ出せるもの」

 気流を捕らえれば如何に鋭い矢を放とうとも、空を舞う一族に届くことは適わない。
 ジュリアがエフィーなら、きっとそう考える。

「アジェル、普通街で一番高い建物ってどこかしら?」

「町にもよるけど、この街で一番高いのはきっとあの灯台じゃないかな」

 アジェルが指差したのは、ここからそう離れていない、港際の巨大な灯台だった。
 ジュリアはそこに異様な空気を感じた。
 何故だか分からないが、そんな気がしてならなかった。それが何故なのか、ジュリアはまだ知らない。


◆◇◆◇◆


「着いたぞ」

 足は何とか開放されたものの、両手は後ろで縛られたままだった。
 外に出た瞬間、逃げ出そうとも思ったが、両手が使えないのでは空へ逃げてもバランスをとることが出来ない。
 気流に乗ればそれでも大丈夫だが、そのためにはある程度の高さから飛び立たねばならない。
 嘘だと言うことがまだばれていないようなので、エフィーは周りを見回し、目に付いた一番高い建物である灯台へ行こうといった。
 そして両手を縛られ、それが分からないようにと全身を覆う外套をかぶせられたエフィーは何とか灯台までたどり着いた。

「本当にここに神族がいるんだろうな?」

 疑わしいと言わんばかりに、エフィーを睨み付ける。
 だが、エフィーは臆した様子も無く、「そうだよ」と言って中に入っていった。
 本当はいるはずも無い。まんまと騙されていることに気付かない盗賊たちを笑い飛ばしたい気もするが、それよりも今は逃げることだけを考えなくてはいけない。
 そう、途中でばれてしまえば一巻の終わりなのだから。
 それでも、彼らは消息を絶った古の一族に会いたいらしい。いや、つかまえたいのか。どの道、それはエフィーにとって好都合でしかなかった。

「神族、レイルはこの上にいるよ」

 意気込むように、巨大な灯台を見上げエフィーは中に入っていった。
 ラドックと部下である盗賊数人もその後についていった。






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