白い翼
勢いよく出てきたはいいが、エフィーは完全に迷子になっていた。
宿を出ると中央街道がある。だがそこはごった返す人々の波で、アジェルがどちらに向ったかなど分かるはずも無かった。
レイルを探すと言う事なのだろうが、よく考えればどこをどう探しているのだろうか?
不意に疑問に思ったが、それよりもまずアジェルを探さなくてはいけなくなってしまったので、取り合えず港の方へと当ても無く歩き出した。
普段広い道は、夕食の材料を買いに来たであろう人で満たされていた。前に進むのも結構困難な事である。
ようやく人気の無さそうな裏路地まで出ると、エフィーはほっと一息を入れた。
この人ごみで人一人を探すなど困難極まりなさそうだ。
「仕方ない……戻るか」
ここまで着てなんだが、恐らく今探し回ったところで取り越し苦労になるのが落ちである。ここは素直に戻って帰りを待ったほうが賢明だろう。
そう考えてエフィーは来た道を戻ろうとした。
刹那、後頭部のあたりに鈍い電撃が走った。同時に鈍い音が直接頭に響いたかのように聞こえた。
目の前が一瞬ぶれたかと思うと、全てが暗闇に落ちていくように視界が閉ざされた。
何が起こったのかを理解する前に、意識は深い深い闇へと導かれていった。ゆっくりと、エフィーはその場に倒れた。
「ちょろいもんだな」
暗い裏路地の影から数人の男たちが出てきた。
皆、影と同化するような漆黒の衣装に身を包み、顔は判別できないように黒い頭巾を巻いていた。
エフィーの後頭部を殴った男は、口元を歪めて笑うと後ろの男たちに合図をした。
待機していた数人の男たちは、エフィーを囲ったかと思うと、大きな布にエフィーを入れ、担ぎ出した。
「よし、戻るぞ」
その言葉と共に、黒装束の男たちは再び闇へと消えていった。
最初から人気の無かった裏路地は、冷え切ってしまったの様に静寂が訪れた。
町を行く人々は、少年が攫われた事に気付く事などなかった。
◆◇◆◇◆
成果はゼロといっても良いほど、情報らしい情報を手に入れることは出来なかった。
レイルを探すといって、宿を出て向かった先は酒場や宿屋などの情報が手に入りやすい場所だった。
あちこち行き来し、物知りそうな人を捕まえてはレイルの特徴を告げ、質問してみたが、はっきりと知っていると言う者はいなかった。
無駄な事をしてしまったと気付き、今更ながらに後悔しつつ薄暗い街道を通り抜け、ようやく宿屋にたどり着いた。少し疲れたような気分で宿の部屋のドアを押した。
外はすっかり暗くなっており、窓から覗く家には明かりが灯っていた。
部屋は灯りもつけずに、真っ暗な状態だった。
アジェルは明かりを灯すと、部屋を見渡した。
ベッドにはジュリアとミストが毛布に包まって寝ていた。三つあるベッドのうち二つは空の状態だ。
一人足りない事に気付いたアジェルはジュリアの肩を揺すった。
「ん? えふぃ……まだご飯いらないから」
寝ぼけたような声を出し、ジュリアは枕を頭の上に載せた。
「ジュリア、エフィーはどこ?」
「エフィ〜? ……一緒でしょ………だって……」
呂律の回らない口で単語を言うと、ジュリアは再び眠りに付こうとした。
仕方が無さそうにアジェルはその場から離れると、宿の主人に会うために部屋から出て行った。
ジュリアに聞くよりも主人に聞いた方が手っ取り早いと思ったのだ。
宿屋の一階は食堂になっており、店はそろそろ満席に近くなっていた。
酒を飲み交わす港の男たちもいれば、自分たちのような旅人もいる。
さすがは幅広い港町の宿である。ここまで騒がしい宿屋など、アジェルは見たことなかった。
目的を思い返し、宿のマスターのいるカウンターにまで歩み寄る。
マスターは五十そこらの厳ついオヤジだった。顎には立派な髭を生やし、隆々と盛り上がった筋肉はいささか宿のマスターとは思えないものがある。
少し迷ったが、アジェルはエフィーの居場所を聞く事にした。
「マスター、今日この宿を取った茶髪の奴見なかった?」
「あぁ?茶髪なんてそこら辺にいるからなぁ……そういうことは俺よりもメリッサのが詳しいと思うぜ。メリッサ! おい、お客だ」
大声でマスターは店を走り回っていた若い女を呼び止めた。
先ほどから忙しく走り回っていた所を見ると、ウェイターのようだ。
「何、マスター」
「このエルフの客人が人探してるみてぇなんだ。茶髪の今日ここに宿を取った奴見てないか?」
メリッサは丸いトレイに載っていたジョッキを指定のテーブルに置くと、マスターの元にやってきた。
「茶髪の子? 見たわよ。夕方くらいかなー、店を出てったわ。なんだか急いでたみたい。あぁ、貴方の行ったすぐ後くらいね」
「俺の?」
まさか自分の事も覚えられているとは思っていなかったので、このメリッサという人物の記憶力に少し驚く。
「そうよ、貴方のあとをついていったみたいよ。途中で会わなかったのなら……町で迷子にでもなってるんじゃないかしら? この町、意外と広いから」
メリッサはそれだけ言うと、新しく渡された大盛りのサラダとビールをトレイに載せて「じゃ、忙しいから」と、また忙しく店を回り始めた。
アジェルはマスターに礼を告げると再び自分の部屋へと戻った。
エフィーはアジェルの後を追ってきたのだ。だがアジェルを見つける前に迷子になってしまった。
それにもかかわらず、随分と帰りが遅い。
この時間帯は中央街道も人だらけではなくなっているはず。帰れなくなったと考えるのはすこしおかしい気がした。
部屋に戻るとアジェルは問答無用でジュリアを起こしに掛かった。
さすがに二度目もあってジュリアは目を覚ました。
「どうかしたの?」
すこし寝ぼけてはいそうだが、体を起こし、靴をはく。
「エフィーがまだ戻ってきてない……。何か知ってる?」
「何かって……? エフィー、アジェルを追いかけていったみたいだよ」
「それは聞いた。もしかしてこの町に賊がいるんじゃないかって事」
賊がこの町にいるとしたらかなり危うい状況だ。
彼らはエフィーの翼を見た。あの時の驚きに満ちていた所を見ると、この世界に翼族はいないと考えた方がいい。
もしそうなら、エフィーは"価値のあるもの"ということになる。
賊がそれを黙って見過ごすなんてありえるはずも無かった。
「賊……、えぇっ!」
完全に目を覚まし、悲鳴にも似た大声でジュリアは叫んだ。
「どうしよう、エフィー丸腰よ!? 賊なんかに襲われたら……」
どう言う結果になるのか、頭の中でシュミレーションしてみる。
考えるまでも無い、エフィーは十中八九盗賊に掴まったと考えた方が良いだろう。
ジュリアはパニック状態でどうすれば良いか、オロオロとしだした。
「落ち着いて、まずは探しに行こう」
こんな時でも表情一つ崩さずに、淡々とした声で呟くように言う。
あくまでも冷静な態度のアジェルにジュリアもパニくるのを一時止め、少し考えてからぱっと起き上がった。
「そうだよね、探さないと! まずは誰かに聞かなきゃ……」
「ウェイターのメリッサって人が何か知らないか聞いてみよう。あの人、凄く記憶力いいみたいだから」
「そうね。こんなことしてる場合じゃないわ」
勢いよく立ち上がると、騒々しく部屋を出て行った。嵐が過ぎ去ったかのようなベッドにはミストが小さくアジェルを見上げていた。
アジェルは手招きすると、ミストを肩に乗せジュリアが思いっきり力任せに押したドアへと向っていった。