新世界
お互いの顔を判別出来るほど、賊は近づいてきた。
何故、今からでも逃げ出そうとはしないのか、エフィーにはそれが気がかりだった。厄介事は避けた方が良いに決まっている。今この状況ならば、もしかしたら逃げ出せるかもしれなかったのに。
それとも、よほど腕に自身があるのだろうか?
当のアジェルはこんな状況でも表情一つ崩さずに、冷たく前を見据えている。
「エフィー、今は行くあてが無い。……だから、あいつらに道を聞こうか?」
(………はい?)
今なんと言ったのだろうか。流石のエフィーも度肝を抜かれた気分だった。
話でしか聞いた事は無いが、相手は平気で人を傷つける賊なのだ。話し合いが通じるとは考えにくい。それに、親切に道案内をしてくれるとは思えない。ましてやこちらは数の上でも、戦闘と言う技術面でも圧倒的に不利なのだ。まずは逃げ出す算段を練るのが先であろう。
それでも、冗談を言うようなタイプではないアジェルは、本気で話し合いをする気だろうか?
「まさか、あいつらと話し合う気か?」
「そう。まあ……簡単にいくとは思ってないけど」
まさかの冗談も程ほどにしてもらいたい。よくもまあ、この状況でそんな考え方が出来るものだ。エフィーは感心してよいやら呆れてよいやら複雑な気分だった。
「剣は一応収めて。まずは話をしないと」
本気らしい。
二人の会話を理解したジュリアは、いったん詠唱をやめると大人しくその言葉に沿った。
今はなるようになれ、としか思えない。この状況で一番頼りになるのは、このエルフなのかもしれないのだから。そして、エフィーが大人しく父の剣を、背の鞘に収めると同時に、肉眼でもハッキリと走り寄る十数人の男たちが見えてきた。
皆が皆体格が良い訳では無かった。全速力で駆けて来たのだろうか、荒く肩で息をしている。言っては何だが、緊張感の欠片も感じさせないような、どこにでもいる普通の男たちの集まりに見えた。
(案外恐れる事は無いのかも?)
失礼ながら、エフィーは簡潔にそう思ってしまった。明らかに、初心者盗賊、もしくはごっこでもやっているようにしか見えないから。
賊たちは全員が全員、エフィー達のいるその場まで来た。そして、中でも一際背が高く、無駄に目立つ赤毛が特徴的な大柄の青年が一歩前に歩み寄る。
「……我らは………げっほごっほ」
声は勢いをつけようとしたせいか、はたまた息切れのためか、最後まで紡がれる事は無かった。様子を窺っていると酸素不足らしく、全てを言い切る前に言葉を飲み込んだようだ。
「お、頭、しっかり」
今にも死にそうな弱々しい声で、子分と思われる少年が赤毛の青年を支えながら背中を擦ってやる。
お頭と呼ばれた、見た目だけは唯一賊っぽいと言える青年は「すまねぇ」と一言いい、息を整え今度こそは! と大声を上げた。
「我らはレッド・ブラックバード! 命が惜しくば金目のものをだしな!」
意外と声には迫力がこもっていた。鋭い目つきは鷹のように光り、いかにも盗賊らしい。が、それはこの男に限った事で、回りを見ればやはり普通の、少しだけ柄の悪そうな青年、少年、壮年男しかいない。
それに付け加え、恐怖を感じないのは第一印象があんまりだったからだろう。
人を襲うチンピラにしては、迫力がかなり欠けていた。エフィーは話で聞いていたものと違う現実に、少しばかり夢を壊されたような気分だった。スリルを求めているわけではないけれど、これでは土産話にもならない気がする。
エフィーは話し合いをすると言っていたエルフの横顔を盗み見てみた。
彼は相変わらず淡々とした瞳で相手を見つめ、その唇が開かれたのは少しの間を置いてからだった。
「……いい年して、何してるの?」
静かな声が発した一言は、賊もエフィーも冷汗が出る言葉だった。
案の定その言葉を言ったアジェルは馬鹿にしたような目で相手を見ている。
視線を横にずらすと、隣にいたジュリアは必死に笑いを堪えていた。
「貴様……どうやら殺されたいようだな」
赤い髪のお頭は怒りを耐え忍んでいるといった顔で、頭一つ分低いアジェルを見下ろすように睨み付けた。あまり言われたくない言葉だったことは十二分に認めてやるが、それでも言われてもおかしくは無い否が自分たちにあるのだから仕方が無いともいえる。
けれど、この状況でその言葉は懸命ではない。と言うよりも、普通言わないだろう。
もう一筋、冷汗が背中を流れた。
「っふふ……あはははは、だって変なの! 赤くて黒い鳥なんて語呂合わせが可笑しいわ! まさか、空飛んでる鳥が黒いからブラックで、貴方が赤毛だからレッドだなんて落ちじゃないわよね?」
緊迫した空間に止めを刺したのは、他の誰でもなくジュリアだった。
その言葉を聞いた賊の取り巻きたちは、さっと青ざめる。そして、それとは対照的に赤毛の男は顔まで赤く染まる。
「……てめぇら、許さねぇ! 野郎ども、殺っちまえ!」
何か血管の一本でも切れてしまったのだろう、林檎のように顔を真赤にさせて青年は叫んだ。掛け声と共に、ようやく息を整えた手下達が、玩具ではないらしい曲刀を抜き放ち、一気に襲い掛かってきた。
「話し合いはどうしたんだよ!?」
切りかかってきた相手の一撃をかろうじてかわして、エフィーは隣で嫌そうに剣戟を避けているエルフに向って叫んだ。
明らかに最初から話し合いと言う雰囲気ではなかった。
一体何を考えているのやら、エフィーには理解しがたいものがあった。
「向こうがいきなり襲い掛かってきたんだから、しょうがないだろ」
罰が悪そうに、目を逸らすと小さくそう呟いた。結局何も考えてはいないようだ。
それでもエフィーにも言い分はある。元凶の発端は、他の誰でもなくこのエルフなのだから!
(挑発したのはてめぇらだよ……)
内心毒づきながらも、相手の攻撃をかわすのが精一杯である。こちらから攻撃などできるはずも無い。相手は曲刀自由自在に、とはいかない目茶苦茶に振り回し、勢いに任せて迫ってくる。エフィーも背の剣を抜き放ち、一撃を受け止めては返すが、もともと剣術は得意ではない。村にいた時に、遊びのつもりで他の大人に習っていた程度だ。剣を持つ手は震えてはいないけれど、一撃を受けるたびに力が抜けていくようだった。
「どうするんだよ、この状況!?」
数に物を言わせる相手の剣戟に、早くも腕は痺れてきている。剣を握る腕は心なしか力が抜け、そろそろ限界を感じていた。体重をかけた強い一撃がくれば、そのまま剣を跳ね飛ばされてもおかしくは無いくらいに。
エフィーははっと気付いたように幼馴染の少女を探した。彼女は身軽な方ではあるが、丸腰には変わらない。
藍色の髪のなびかせたジュリアは、すぐに見つける事が出来た。あの巨大な荷物に入れていたのであろうか、蒼い飾り玉が両先端についた細長い棍棒で相手の剣戟を受け流している。術を主に扱う彼女も、エフィーと一緒にある程度のお遊び剣術は学んでいた。
けれどそれも長くは続きそうも無い。
元々術士である少女に、大の男と力比べをさせる事ほど過酷なものは無い。
「アジェル、言い出しっぺはお前だろ!?」
肩で息をしながら、必死で向ってきた少年の短剣を振り払うと、エフィーは武器も持たないであろうエルフを探した。
鮮やかな色彩を持つ少年は、意外とあっさり見つける事が出来た。
そう、二人の盗賊をまとめて足払いをかけた瞬間だった。よく見ると下には別に二人ほど伸びている。
「馬鹿! 後ろ見ろ!」
四人を地べたに寝転がせてやったアジェルは、こちらを凝視するように見つめる少年に怒鳴りつけた。
「……え?」
「くたばれぇ!」
それが隙を生んだ。一瞬の事で反応できなかったエフィーは、振り向きざまに剣を振るうことが出来なかった。
後ろから、盗賊の頭と呼ばれていた、あの背の高い青年が巨大な剣を振り下ろしたのだ。
一瞬の出来事だった。
手にもった剣は耳に響く金属音と共に、空へと回転しながら舞い上がった。
次に見えたのは真っ直ぐ自分に伸びてきた巨大な剣。
(かわせない……!)
そう思った時、横で短い詠唱の声が聞こえた。
剣がエフィーに触れるか触れないかの距離で、急に空気に電撃が走る。
それはエフィーを包み込むように剣とぶつかり合い、耐える力が激しい風圧を生んだ。
思わず目をあけていられず、エフィーは瞳を閉じた。
電撃が停まると、目に前には藍の髪の少女が、両腕を前に掲げる姿で仁王立ちしていた。
彼女はあらかじめ詠唱していた術で、防護壁を作りエフィーを庇ったのだ。
「ほんと、何してるのよ!」
怒ったような口調で、ジュリアはエフィーを背に庇った格好のまま怒鳴りつける。けれど、それは一瞬の事で、ジュリアは急に額を抑えてふらついた。
慣れない術を使ったためだろうか?
エフィーは慌ててジュリアを支えると、目の前で何が起こったのかを確認した。
赤毛の青年の剣は見事に真っ二つに折れ、青年自体は数メートルさきに仰向けに転がっていた。
恐らく今の術の反動で吹っ飛ばされたのであろう。
だが意識を失うほど強い力ではないようで、すぐに起き上がると腰に挿していた 短刀を抜き放ち、再度立ちはだかった。
「っち、邪魔しやがって。だが二度目はねぇ」
急に腕に重みを感じた。ジュリアが虚ろだった意識を手放してしまったのだ。
片手でジュリアを支え、もう片方の手には相手の攻撃を防げるものは無い。最悪の状況だった。
(どうすれば……?)
どうしようも出来ない状況に、エフィーは空を仰いだ。
黒い鳥の群がる中、不思議と自分達の上空には青空が広がっている。
(空へ逃げる事が出来る)
飛ぶなよ、という言葉を忘れ訳では無いが、今はそれしか方法が思い当たらなかった。
エフィーは気を失ってしまった少女を顧ると、きっと赤毛の青年を睨みつけた。
「諦めな、これで終わりにしてやるよ」
低く言うと、青年は短刀を閃かせた。
エフィーは迷いを断ち切って翼を具現化させると、痛みを堪えて空へと舞い上がった。
白い翼には赤く染まった包帯が巻かれている。
未だに傷は痛むが、それにかまっている事は出来ない。こちらは生死の境を賭けているのだから。
力強く、エフィーは背の羽をはばたかせる。
だが、賊は追いかけては来なかった。急に静まり返る地上。軽く振り返ると、そこには驚愕の表情を浮かべた赤毛の青年がいた。
「な、何だこいつ」
盗賊達の動きがピタリと止まる。
見た事も無い生き物に圧倒されていた。
純白の翼を持った少年。まるで物語で聞くような天使の姿に酷似した――。
「――エフィー……!?」
下で六人目の盗賊の鳩尾に膝蹴りを入れたアジェルが、こちらに気付き叫んだ。
忠告したのに何故? と言わんばかりの表情でこちらを見上げている。
「矢を射れ。絶対に殺すな、捕まえろ!」
正気に戻ったらしい盗賊が弓を持っていた少年に命じた。
だが、それはエフィーの死角からで、高みに昇る事に夢中になっている彼が気付く事は無かった。
まだ年若い賊の少年は、矢を弓に番えると力の限り引き絞った。
それに気付いたアジェルは少年を止めようと駆け出したが、少しばかり遅かった。
数人の盗賊に行く道を遮られ、一度立ち止まる。
「下を見ろ!」
いつになく、必死な大声で叫んだ。
それでも、エフィーは何の事だか気付いていないようで、更に高く舞い上がる。
矢が放たれたのは、丁度エフィーが最寄りの太い木の天辺に辿り着いた時だった。
ジュリアを木の枝に引っ掛け、アジェルの加勢をするために戻ろうと、振り返り再び翼をはためかせた。
だが、風の鳴る音と共に、何かが高速で空気を引き裂き飛んで来た。
「うわぁっ」
痛みを感じていた左の羽とは逆の片翼に鋭い何かが突き刺さった。
――羽は翼族の命
その言葉は確かだった。翼族にとって翼は心臓の次に大切なモノ。両翼が傷つけば飛ぶ事はおろか、バランスを保つ事も出来なくなる。
エフィーは痛みに耐え切れず、枝から手を離してしまった。
「馬鹿っ」
視界が暗転した中、賊の歓喜の声と、聞き慣れた少年の声が聞こえた。
多分、このままでは自分は地面にたたきつけられるのだろう。それでも、どうする事も出来なかった。
その後、どうなったかなどは知らない。
聞こえるのはアジェルの感情的な声ばかり。
そして、痛みを覚悟し瞳を閉じた。
けれど、不幸中の幸いか、傷みを感じる前に、エフィーの意識は再び暗闇へと落ちていった。
もう、痛みすら感じない。
暗い暗い安らぎへとただ落ちていくだけ。