新世界
「ねえ、これからどうするの? まず、行き先を調べないと」
そろそろ昼になりかけた頃だろうか、陽は高く上り、暖かな陽光が平原を照らし出していた。
エフィーたち一行はその場から動く事無く、行き先を決めるという簡単かつ重要な問題に頭を悩ませていた。
「そうは言ってもなあ」
何か良い案が思いついたわけでもない。
時は過ぎ去り、空を舞う黒い鳥は増えるばかりである。
そんなか中、一人考えているのはエフィーだけで、ジュリアは聞くばかり、頼りになりそうなエルフは空ばかり見ている。
いい加減自分で考えろ、とも言いたくなる。
「あのさ、さっきから空ばっかり見てるけど何か思いついたのか?」
様子から言って当てに出来そうも無いが、一応聞いてみる。
アジェルは眉を顰めていた表情を緩め、何か考えるように爪を噛んだ。
「別に……気のせいだ良いけど、あの鳥……普通じゃない」
どこが普通ではないのだろうか? 確かに黒い鳥などそう多くは無いが、別段珍しいものでもない。
何が引っかかっているのか理解できずに、エフィーも空を仰ぐ。
「普通の鳥じゃないのか? こんなに群がっているのは変だけど」
「俺が言いたいのは……そういうことじゃなくて、何か……ぎこちないんだ」
何が? と聞いても抽象的な答えしか返っては来ないだろう。
約半日一緒にいたが、この少年は人とは少しずれているらしい。
自分やジュリアも結構考え方が偏っている所もあるが、この少年ほどではないと言い切れる自信があった。
「ねぇ、鳥よりも今はこの状況をどうにかした方が良いわ」
最もな意見である。
しかし地図も持たない自分達がいったいどうできるというのだろう。
さすがのエフィーも困り果てていた。
「誰か通ってくれればいいんだけど……」
こんな寂れた自然のど真ん中に、人が通るとは考えがたいが今はそれだけが頼みの綱である。
「そんな偶然、あれば幸せね。それよりもさ、そろそろ丁度良い時間だし、お昼にしない?」
緊張感の欠片も無い様子でジュリアは鞄からバスケットを取り出した。
その姿はまるでピクニックに遊びに来た子供のようだ。
「そっか、朝何も食べてなかったしな、丁度いいかもな」
考える事に熱量を消費したのか、急に空腹感を思い出した。
ジュリアの巨大な荷物も少しは役に立つ事があるらしい。
「これね、精霊祭の料理をこっそり詰めてきたの。ちょっと冷たくなってるけど、食べれない事無いわ」
差し出されたバスケットの中身は、ジュリアの術によって冷凍されていた料理だった。
冷たいといっても加減がある。これではさすがに食べる事はきつい気がする。
「せめてさ、解凍してからにしよ?」
そう? と呟くとジュリアはお得意の炎術で器用に解凍していった。
時々誤ってバスケットの端も焦がしてしまっていたが・・・。
「さ、どうぞ」
流石にジュリアが作ったものではないだけあって、割かしまともそうな食べ物がつめられている。
エフィーは少し焦げたサンドイッチを手に取ると恐る恐る口に入れた。
「……うまい」
ジュリアが出したものでマシなものは数えるほどしかない。
今回は幸い"アタリ"だったようだ。
「でしょー!? 村のおばさんたちが心を込めて作ってたからね」
自分が作った訳では無いのに妙に自信満々に笑みを浮かべる。
エフィーはサンドイッチを持っている手とは反対の手でバスケットからサンドイッチを掴むと、まだ空ばかり見ているアジェルに差し出した。
「食べる? 結構うまいよ」
差し出された事に気付いているのか、アジェルは空から目を離そうとしなかった。
その透明な水色の瞳に映っていたのは、先ほどから急に煩くなった黒い鳥達。
そして、何かに反応するように目を見開くと、少年はばっと身体を起こした。
「来た」
「っは?」
急に立ち上がった少年は有無言わさず、木の上に上り始めた。やはりエルフだけあり、その木登りの速さと身軽さは賞賛できるものがあった。
呆気に取られるエフィーとジュリアは何が起こったのかを理解する前に、空を舞っていた鳥の群れがこちらへと急降下してきた。
「なっ何!?」
鳥はエフィー達をつつくわけでもなく、頭ギリギリを飛行しやかましい声で鳴き続けた。木に登ったアジェルはそんなに登らないうちに何かを見つけたらしく、顔を歪めて舌打ちをした。
その様子に、二人はこれから何か良くない事が起こると理解した、
「二人とも、さっさと荷物を片付けてこの場所から離れるんだ」
木の上から降りてくると、いきなりそう叫んだ。
「どうして!? 何があったの? この鳥達は何?」
いまいち状況の読み込めていないジュリアは問い返す。
いくらなんでも異常だった。この鳥達も、急に変化した辺りの空気も。
アジェルは自分の荷物と地べたで丸くなって日向ぼっこをしていたミストを掴むとエフィーたちに早くと急かした。
「一体なんだって言うんだ」
「賊だよ。この鳥は賊の使いだ……。獲物を見つけさせて一気に叩くんだ」
賊とは恐らく旅人や小さな村を襲っては金品を強奪する輩の事であろう。
幸いな事か、当然と言うべきか、セレスティスにはそういう輩は存在しない。
フィーレでは盗み、強奪は当然のように繰り広げられているが、平和な翼族達には無関係の話である。
「そんなのがいるの!? この新世界には」
「新世界だからいるんだよ。分かったら早くしな」
相手はすぐそこまで迫っているのだ。もたもたしていては掴まるのが落ちである。
そんな三人を他所に、そう遠くない場所からひゅっと風の鳴る音と、続けて木に何かが刺さる音が聞こえた。
「伏せて!」
アジェルは二人の頭を抑えると自分もろとも地面に押し付けた。
「痛てぇ」「きゃっ」
思いも寄らない力で抑えられた二人は、不満そうな声をあげる。
しかしそれは次に聞こえてきた十本以上の矢が木に突き刺さる音によって、見事に封じられた。
「見つかった……みたいだね」
最悪の事態とやらに陥ってしまったらしい。
アジェルは小さく溜息を吐くと、矢が飛んでこないのを確認して、そっと立ち上がった。
「エフィー、念のために言っておくけど、飛ぶなよ」
それはこれから繰り広げられるであろう、闘いの警告。
ジュリアもエフィーも現実を理解出来ないといった顔で御互いを見詰め合う。
見つかった以上、逃げ切れるとは限らない。それはつまり、戦うと言う事だった。それも自分達と同じ、人と。
「エフィー、その剣本当に使えるの?」
「えっ……これ?」
そっと背に引っ掛けた剣に触れる。
太く、頑丈そうなその剣はエフィーの父のものだった。
旅立つ時に、護身用にでもとこっそり倉庫から持ち出したのだ。
「多分」
頼りなさそうな返事と共に、剣をゆっくりと抜き放つ。
真っ直ぐな刀身には刃こぼれ一つ無く、シンプルながらも質のいいことが窺える。
それでも、剣を持つ手はどこか震えていた。そう、人に向けて剣を抜く事は始めてのことだったのだから。
「エフィー私が援護するから大丈夫だよ」
人としての力は劣るものの、ジュリアには聖術という強力な力がある。それはたしかに力強いものだけれども。
「それよりアジェルは精霊術でも使えるの?」
エルフは精霊術、別名召喚術を得意とする。
使い方によっては術の中で高位に入るであろう威力を発揮する。
みるからに武器も持たない少年が、戦う術を持っているとしたら、それは術を使役するくらいである。
「残念だけど、俺は『無能者』だ。だから、術は使えない」
無能者とは術を扱えない者、魔力を持っていないものの呼び名である。
術を知るものならば、体外はこの言葉を知っている。
確かに一般人なら術を扱えなくても当然である。
しかし、精霊と共に生きる種族であるエルフが、術を使えないなどという話は聞いたことが無い。妖精族に数えられる彼らは、高い魔力を持つと言われているからだ。ジュリアは目に前が真っ暗になった気がした。
「何で――!」
その叫びは、近づいてくる荒い足音によって掻き消された。
「賊」は見える範囲まで来ていた。
数は十人いるだろうか。どれも人相の悪そうな者ばかりである。
唯一の救いは、中には自分達と変わらない年の少年が混じっている事ぐらいであろうか。
それでも相手が賊である事には変わらない。
エフィーは震えを何とか収めようと剣を握る腕に力を込めた。
「安心しなよ、別に傷つけるわけじゃない。その剣の柄で思いっきり相手の後頭部を殴ればいいんだ」
「ほっ本当かよ……」
さすがに震えは止まらないが、エフィーはぎこちなく笑うと走り寄って来る者達をきっと睨みつけた。