封印の森
神殿の中は薄気味悪いほど静まり返っていた。
繊細な彫刻も、絶賛されるべき装飾も今は唯不気味に見せるだけだ。
音というものは三人の足音程度しか聞こえない。いや、正確には二人の足音のみである。
一人前を行く少年は物音一つ立てずに歩き進んでいる。
気配も、その姿を見ていなければ感じる事すら無いだろう。
「ねえ、何でこんなに静かなのよ」
とうとう耐え切れなくなったジュリアが聞いてはいけない事を口にした。
少年は振り返る事無く、当然のように答えた。
「あんた達には関係無いよ」
少しは心を開いてくれたのかと思っていたが、昨日と少しもかわらない冷たい声でそう言い放つ。
ジュリアは納得のいかないといった顔をして尚も食い下がった。
「関係なくても教えてくれたって良いじゃない。いくらなんでもこれじゃあ不気味すぎるわ」
本音は怖いのだろう。特に暗い場所を嫌うジュリアにとってはこの場所は落ち着かないようだ。
エフィーは二人の話をぼんやりしながら聞いていた。
確かに神殿の中も含め、この村は普通ではなかった。雰囲気からして人の住む場所とは思えない。静まり返り、この少年以外のエルフは目にしていない。何よりも、この村からは生活感と言う物が全く感じられないのだ。まるで、何年も野晒しにされた廃墟のように、寂しさだけが残っているような静寂の空間。
それでも、エフィーにはどこか懐かしい感情が存在した。それが何なのか、自分でも良く分からなかったのだけれども。
「大体なんで貴方以外の人たちは出てこないのよ?」
まだ続いていたらしい質問合戦にようやく終わりが来た。
「ここに俺以外のエルフはいないからだよ。理解できた?」
二人は言葉を失った。一体どういうことなのだろうか。
普通にとらえれば誰も居ない。それは一体どういう風に受け取ってよい言葉なのだろうか?
「それって……」
少年はそれ以上答える事は無かった。
ジュリアも追究する事を止め、大人しく少年の後に着いて行った。
◆◇◆◇◆
少年がようやく足を止めたのは、長い長い階段をひたすら下り続け、またまた長い廊下をまっすぐに進んだ先にある巨大な扉の前だった。
今まで歩いてきた過程を考え、ここは地下なのだと意識した。
少し寒気のする地下の廊下は、上の階と全く変わらない美しい装飾が飾られている。無機質な、白い壁と鏡のように磨かれた白い床。全部が全部完成された美を持ちながら、それでもやはり寒気を感じるほどの静けさは消えない。それでも、物語のように妖しげなオブジェなどが無い事にエフィーは胸をなでおろした。
「この先が転移装置のある場所だ。……今ならまだ、引き返せるよ」
「ここまで来て、引き返すわけ無いだろ」
エフィーは当然のように言ってのけると早く、と少年を急かした。
ジュリアも仕方が無いといった面持ちで、肩をすくめ小さく笑った。
少年はそれを見届けると、扉に触れた。
重そうな扉はやはり音一つ立てずに、ゆっくりと開いた。
完全に開ききると、エフィーとジュリアは少年の肩越しに中を覗き見た。
中は恐ろしいほどの冷気に満ちていた。多分、この中に一時間もいたら凍え死んでしまうだろう。冗談にできそうもない、凍えた空気。それは白い靄と共に、扉から溢れ出す。
白く霞んだ視界が次第にはっきりとしていき、温度差によって生じた霧が薄れ行くと、部屋の内部が見渡せるようになった。部屋の中には氷のように透明な水晶の壁と柱。部屋の床は底の見えない水で覆われ、細い一本の道が中心部にある小島のような場所へと続いていた。凍てついた氷で部屋を作ったかのような場所だった。
「下、落ちると冷たいから気をつけて」
呆気に取られている二人を他所に少年は震える事無く細い道を渡っていった。
先にジュリアがその後に続く。
「さ、寒い」
身震いをしながらジュリアは薄着の自分自身に後悔した。剥き出しの二の腕に鳥肌が立ったのか、震えを止めないまま、両手を交差させ、摩擦を起こして少しでも寒さをしのごうとするが、どうやら無意味らしい。
寒い寒いと連呼する幼馴染の後に続いて、エフィーも刺すような冷気が立ち込めるその場所へと入って行く。
「本当に寒い……」
内装に比例した寒さの中、ようやく道を渡り終えた二人は兎に角寒いといわんばかりに腕を摩っていた。
「少し待ってて」
エフィーは少年が本当に生き物なのかと疑っていたが、コレで確信した。
(絶対こいつ普通じゃない)
少年はこの寒さの中、自分達と同じか、それ以上の軽装の薄着で平気な顔をして装置を動かしている。
どう考えてもこの寒さの中平気でいられるのは極寒の町、フィーレに住み慣れている輩くらいであろう。
「早くして。このままじゃ、新世界を拝む前に天国に行きそうだわ」
大袈裟にも見えるほど、寒そうに身震いをしてジュリアはそう言った。
エフィーも心臓まで凍りついてしまいそうな寒さに、ただ青ざめるばかりである。
「ん……ああ。寒いの?」
以外とでも言いた気に、少年は二人を見据えた。
「貴方、寒くないの?」
「まぁね。一応慣れてるし。それよりもう出来たから、そこの魔法陣の中に入って」
何が出来たのだろうか、激しく突っ込みたい衝動は寒さの為の気力減少と共に消え去った。
二人は言われたとおりに、小島の中心部にある蒼い魔方陣らしき物の中に入ると、次の指示を待った。
少年は今まで操作していた機械の様な装置から離れると、エフィー達の居る魔方陣の中に入り込んできた。
「先に言っておくけど、空間移動中に動いたらどっか変な所に出るかもしれないから絶対に動くなよ。それから、何があっても魔術は使うな」
最後の一言はジュリアに当てたものだろう。
兎に角こればかりは言う事を聞いたほうが良さそうなので、エフィーとジュリアは素直に頷いた。
「じゃ、行くよ……」
魔方陣の中枢に立ち、少年は小さく印を切って、その形の良い唇から言葉ならぬ言葉を紡ぎだした。
少年から発せられた言葉はエフィーの、またジュリアの知る言葉ではなかった。歌うような響きのエルフ語でもなければ、古代ルーン語でも無い。
在るべき言葉。それが何なのか二人には理解できなかった。
少年の言葉に反応するかのように、水晶の壁が仄かに光りだした。それは次第に虹色となり、文字の形を取り始めた。壁じゅうに文字が現れると、今度は少年が先ほど弄っていた装置が淡く光りだした。次の瞬間、装置の中心から突然光が発せられた。光は一筋となり、エフィー達の丁度真上にあった漆黒の水晶へと注がれた。漆黒の水晶は、他とは違い、光を吸収し続けた。眩い光景の中、エフィーがふと足元をみやると、魔方陣は今にも破裂しそうなほどに光を発していた。
そして一瞬、目の前が真っ白になると同時にエフィーは身体が浮くのを感じた。
「エフィー!?」
何も見えない隣から少女の声がする。
エフィーは無意識に伸ばした手で、ジュリアの手を掴んだ。
(知っている)
そう、この感覚をエフィーは知っていた。
そのせいか何も怖くは無かった。
真っ白な空間に放り出されたのだと、記憶の中で意識した。
ジュリアの手が震えながら強く握り返してきた。
「大丈夫」
自分が自分ではない感覚に少し驚きながらも、エフィーはそう呟いた。
遠い遠い記憶の中で、確かに自分はこの道を通ったのだから。
ふんわりとした空間に抱かれているような心地よさに、いつしかエフィーの意識は遠くなりかけていった。
これ以上、思い出してはいけないような、そんな気がした。
「……リア?」
知らない名前。なのに何故か知っている気がした。
しかし、それが誰だかは思い出す事は無かった。
エフィーの意識は深い深い闇へと堕ちていったのだから。