封印の森
心地よい小鳥の囀りと、柔らかな光が半開きの窓から入ってきた。
ニ、三度寝返りを打ち、眩しそうに窓を見上げるとようやくエフィーは瞳を開けた。
早朝と言う時間でもないが、朝の爽やかな空気が部屋を満たしている。
エフィーは一度大きく欠伸をすると、寝台の上から体を起こした。
ぼんやりとする意識の中で、隣の部屋が妙に騒がしい事に気付き、見えもしない隣の部屋のある壁を眺める。思い出せば、ジュリアは朝起きると必ず、楽しそうに歌いながら部屋を整えるのだ。
自分の部屋でないこの場所で、それをするとしたら掃除くらいであろう。
朝っぱらから迷惑を考えないその行動に、エフィーは一日の始まりを実感する。
「エフィー、起きてる? もう朝だよー。さっさと支度してね」
部屋の前から元気な声を発し、ジュリアは数回ドアを叩いた。
「起きてるよ、どっかの誰かさんのせいでね」
「それは良かった。下に洗面台あったから顔でも洗ってきなよ」
一応嫌味を言ったつもりだが、軽く流されてしまう。
ジュリアはそれだけ言うと、さっさと何処かに去っていった。
エフィーは仕方が無さそうにジュリアに言われた通り、洗面台へと向った。
◆◇◆◇◆
支度を整えると二人は、一晩世話になった小屋を後にした。
「ねえ、新世界ってどんな所かな?」
昨日とは一転して嬉しそうな雰囲気全開のジュリアは突然そう言った。
「新世界か、どんな所なんだろう? でもきっとこんな小さなセレスティスよりもずっと文化とか凄いんだろうな」
「やっぱりそう思う!? きっと人間もエフィーみたいに旧式の羽根なんか無くても空を飛んでるんだわ。例えば……、そうね。魔術が発達してたり、考え付かないような精密機械とかでさ。そしたら私も空とべるかしら?」
ありえそうも無い理想をご機嫌な様子で語る。 エフィーはむっとしたように「旧式で悪かったな」と呟いた。
多分、彼女は良く読む本に影響されているように思えた。セレスティスは生活に必要な文化に関してはそれなりに栄えている。けれど、狭い大陸で出来る事はやはり限られていて、未だこの大陸を出る方法すらも見つからない。そのせいか、「新世界」と言う場所に淡い期待が浮かぶ。
森の小道を歩きながらのんびりとした会話をしているうちに、何かがすぐ傍の草むらで動いた。
昨日の経験のせいか、二人はさっと構えるように草むらに警戒する。
中から出てきたのは、昨夜の銀狼だった。だが、殺気を放っているわけでも無く、静かに二人に近づいてきた。
「何……?」
さすがに昨日の恨みを忘れきれないジュリアは近づいてくる銀狼に術を発動させる体勢をとろうとした。
しかしそれは無意味に終わった。
銀狼は二人の前まで来ると、その神秘的な赤く穏やかな瞳で暫し二人を見つめ、そのまま森の道へと二人を誘うかのようにゆっくりと歩いて行った。
「着いてこいって言ってるのかな?」
意味がつかめず、仕方無しに二人は銀狼の後を追うことにした。
途中道から外れると、銀狼は道には見えない場所を行き始めた。
そんなに行かないうちに、道から外れた林を抜けた先に広い場所に出た。見回すと、辺りには不思議な形の家が建っていた。百年、二百年と育まれてきた大樹に融合しているかのような、薄緑色をした円筒形の建設物。壁全体には、やはりエルフの好む蔦模様が描かれていて、嵌め込まれた窓は一つ一つが精密なステンドグラスだった。優美な芸術品を見ている気分だった。木漏れ日に当てられた、鮮やかな緑の村。その真ん中に、エフィーとジュリアは立っていた。その場所が広場だと理解すると、二人は村に辿り着いたのだと実感した。
いつの間にか銀狼はいなくなっており、静かな村に二人は取り残される事になった。
おかしなことに村に人の姿は見当たらなかった。というより、人の住んでいる気配が全くしないのである。
さすがに不安になってきた二人は村の中心にある大きな道を行き始めた。
「なんだか綺麗過ぎて不気味ね……、こんなに明るいのに」
見回しても見回しても無機質な家と冷たい空気のみで、元気だったジュリアも静かになる。
「そうだな、何かあるのかな?」
まさか自分たちを歓迎していて、この道の先で待ち構えている。という展開は昨夜のエルフの少年の態度から見て、絶対にありえないだろう。ならば、村人は警戒の色を濃くして、ひっそりと隠れているのだろうか? それが一番可能性の高い想定だ。
ゆっくりと進み、ようやく道の先に今まで見たことの無い何かが見えてくる。視界に入り込んだ色彩は、白い光に照らし出された純白。遠目にも、荘厳な風格と繊細な細工が凝らされた、美しい建設物だと理解できる。
さらに近づくとそれは城の様に豪奢で美しく、壮大な神殿と呼ぶに相応しい建物だった。
「すごい……」
思わず感嘆の声を上げてジュリアは神殿を見上げた。
そして視線を門に戻すと、そこには昨夜会ったエルフの少年が退屈そうに座り込んでいた。
「なんだ、本当に来ちゃったんだ」
第一声に発せられた言葉は挨拶ではなかった。
「あぁ、僕達は新世界に行くよ。だから――」
「分かってるさ。まさか本当に来るとは思わなかったけど、一応準備はしておいたよ」
そう言って少年は隣に放り出してあった鞄を肩にかけると、立ち上がった。
「準備って……もしかして貴方も来るの?」
以外と言わんばかりの表情でジュリアは少年の荷物を覗き見た。
少なくともジュリアの荷物よりかは小さいが、意外と重そうな袋はピクニックと言うには少し大きいようだ。
「あんた達だけを外に放り出すのは気が引けるしね、俺もついていってあげるよ。それに、俺もレイルに用があるからね」
意外と人情のあるヤツなのかもしれない、とジュリアは心の中で呟いた。
「ありがとう、助かるよ」
人の厚意は素直に受け取ることにしているエフィーは、嬉しそうに右手を差し出した。
エルフの少年は意外そうにその手をしばらく見つめていたが、恐る恐る自分の右手でその手を掴む。昨日よりも、その手は温かくなっている気がした。
短い握手を済ませると、少年は門にそっと触れた。
門は昨夜と同じように音も無くゆっくりと開いた。
「どうなってるの、これ?」
機械が組み込まれているわけでも無いらしい門は少年が触れただけで開いてしまった。
見た事も無い光景に二人は呆然とする。
「ついてきなよ」
少年の一声で我に返ると、慌てて二人は少年の後を追った。