序章


 陽は既に落ちており、深い闇が空を覆い尽くしていた。朧げな月明かりが大地を照らし、蒼穹の空には、色とりどりの星が煌き、鮮やかな月を縁取るように輝いている。
 セレスティス大陸東部の翼族の住まう山脈の谷には、いたるところに篝火が灯され、普段には無い活気と祝福の声に満たされていた。村のものは皆、手と手を取り合い、歌い踊る者もいれば、自慢の翼に花で飾り付けをして見せびらかすようにしている者もいる。もちろん、普段は中々飲めない酒を、力の限り煽る者もいた。
 そして、夕暮れ時に荷物を村の入り口付近に隠していたエフィーとジュリアは、何食わぬ顔で精霊祭に出席していた。
 本当のところは祭りが始まると同時に、すぐにでも村を出て未知の世界へと行きたいところだ。しかし変な所で感性の鋭い長老が目を光らせている為、それが出来ない状態に陥っていた。
 当の長老は、エフィー達をちらちらと見ては、村人の述べる祝辞を聞いている。

「これじゃあ、今回も失敗しそうね」

 壁に寄りかりポツリと呟く。大騒ぎの祭りの中心部から離れた場所で、ジュリアは溜息を吐いた。
 エフィーも気疲れしたような目で、長老の方をぼんやりと見ていた。

「ああ、でも今回は絶対いけると思ったんだけどな……」

「そうね。でも何でそんなに外にこだわるの? 外に出て行くって言っても、フィーレか封印の森くらいしか行く場所は無いわよ」

「そうかもしれない。でも父さんは……」

 エフィーは今回の旅立ちの真相について、ジュリアには何も告げていない。
 初めは彼女を巻き込むつもりは無かったし、父を探すこともすぐに終わると思っていたからだ。
 だが、抜け目の無いジュリアはエフィーの不審な行動に気付き、遠足か何かだと勘違いしたのか自分もついていくと言い出したのだ。
 こうなっては彼女の押しの強さには勝てず、仕方無しに二人で村を出る準備をしていたのだ。

「エフィーのお父さん? そう言えば私会ったこと無いわね」

 ジュリアは元々翼族ではない。けれど何の特長も無いことから、彼女が人間だと言う事は誰の目から見ても分かる。ジュリアがこの村に来たのは八年ほど前の事だ。
 村の入口のすぐ傍の谷で倒れている所を、長老の使いでたまたまそこを通ったエフィーが見つけ、村まで連れてきたのだ。
 ジュリアは何故そこにいたのかを語る事無く、家を聞いても答えはしなかった。今思えば、家出でもしてきたのだろうか?
 彼女自身、その話題に触れると少しばかり不機嫌になり、また曖昧な答しか返さない。
 村人も小さな少女を外に捨てる事は出来ず、結局エフィーの家に厄介になる事になった。初め寡黙だったジュリアも、無邪気に語りかけてくるエフィーに少しずつ心を開き、やがては村に馴染めるようになった。
 ジュリアは自身の事はあまり語らないが、エフィーの経緯についてはある程度知っていた。エフィー自身隠し事が苦手な性質のためか、聞かれればすんなりと答える、言わば無邪気なタイプだからかもしれない。
 だが、少年の口から父のことを聞くのは初めてだった。

「僕の父さん、行方不明なんだ。でもさ、こんなに狭い大陸で行方不明なんておかしいよ。父さん、封印の森に行ったきり帰ってこなかったって、じいちゃんが教えてくれた」

 もしかしたら封印の森に囚われているのだろうか?
 それとも殺されてしまったのだろうか?
 そんな不安がエフィーに焦りと捜したい衝動となって現れていた。
 狭い大陸だからこそ、行方不明になるなどありえないのだ。

「そうだったの……、私てっきりまた遊びに行くだけかと思ってた。でも、お父さん無事だといいわね」

「そうだね。あ、じいちゃんが何か演説するみたいだ」

 ふやけた顔から急に真面目になり、エフィーは広場の中心を指差した。
 そこには草と葉を編みこんで作られた冠を少し剥げた頭にのせた老人がいた。
 いつにない真剣な顔でじっと前を見据える。
 その表情には威厳と温かさが感じられた。村の人々も騒ぐのを一時的に止め、長老の方に姿勢を正して振り向く。
 厳粛な静寂が満ち、長老は低い声で言葉を紡ぎだした。

「今年も偉大なる大地の精霊の下、豊かな実りが谷を潤した。そのありがたき加護に祈りを奉げ、共に祝福を分かち合わん事を…」

 そう言うと長老は胸に手を当て、瞑想するかのように深く瞳を閉じる。
 村人もそれに続き、精霊へと祈りをささげた。
 エフィーとジュリアも瞳を閉じると、大地へと感謝の言葉を小さく呟いた。
 風が囁くような小さな祈りの言葉が、暗い空へ吸い込まれるように響く。
 満月にかかっていた雲が流れ、再び月が顔を覗かせると同時に、長老は瞳を開き少しばかり表情を緩ませた。

「それでは皆の者、大いなる慈悲と精霊の下に今宵は祝いの宴をひらこうぞ。日常の疲れを癒し、存分に楽しむが良い」

 晴れやかな声でそう叫んだが瞬間、村の音楽隊から宴の始まりの音が響いた。
 人々は音楽にあわせるように歌い躍りだした。
 空には虹色の花火が打ち上げられ、先ほどの沈黙が嘘のように活気に溢れ始めた。
 それを満足そうに見届けると、長老はエフィーの方へと歩み寄ってきた。

「げっ、じいちゃんがこっちに来る!」

 まさか脱走がばれてしまったのであろうか?
 昼、誰にも見られなかったと言えば嘘になるが、自分達はそれなりに慎重にやったはずである。今更つかまれば、十日前からの苦労が水の泡になってしまう。
 慌てたようにそわそわしだした二人に、無感動な表情の長老はゆっくりと近づいた。






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